今回は統計学を駆使する有名YouTuberサトマイさんのこの1冊をもとに、「時間を食べつくすモンスターの正体」について哲学の教養をもとに考えていきましょう。参考文献は『あっという間に人は死ぬから』(著者:サトマイさん)です。
突然ですが、あなたは毎日を有意義に過ごすことができていますか?やりたいこと、やった方がいいことがあるとわかっているにもかかわらず、現実逃避をしてむだに時間を浪費してしまっているということはないでしょうか?その結果「あっという間」に死を迎えることで私たちは人生を後悔することになるのです。
ブロニー・ウェアさんの著書『死ぬ瞬間の5つの後悔』(2012)では、①自分に正直な人生を送ればよかった、②働きすぎなければよかった、③思い切って自分の気持ちを伝えておけばよかった、④友人と連絡を取り続ければよかった、⑤幸せをあきらめなければよかった、という5つの後悔があると言われています。多くの人が胸に手を当てた時に思い当たることがあるのではないでしょうか?
そうならないためにもこの本からは「時間」を有意義に使う方法を学ぶことができます。本書の帯には「科学×哲学」という文字が書かれていることに気づいたでしょうか?これは哲学の教養があれば本書の意味をより深く理解できるということです。そこで今回はこのチャンネルらしく「哲学の補助線」をひいて本書を紹介してみました。哲学という教養があってこの本を読むのと読まないのでは印象も大きくかわるはずです。きっと明日からの人生に役立つヒントがつまっているのでぜひ最後までご視聴ください。
1 本書の概要
1-1 「時間術」で時間の浪費を解決できるのか?
なぜわたしたちは時間が足りないといつも感じてしまうのでしょうか?それは自分にうそをついた行動をするから時間が足りなくなってしまうのです。そのためわたしたちは自分にとっての有意義な時間をすごすことができないのです。本屋さんに行けば時間不足を解決するための「時間術」の書籍はたくさんありますが、本書では時間術の本を「生産性アップ系」と「自己啓発系」に分けて紹介しています。
まず「生産性アップ系」では仕事のための仕事にいかに効率よく取り組むかが示されたり、仕事をする上での集中力を高めるための方法が示されたりしています。また「自己啓発系」では『7つの習慣』に代表されるように行動の指針が示されています。しかしこれらの書籍では「自分が本当に望むこと」の見つけ方は示されていないので、なかなか自分が本当にやりたかったことに時間を使えるようにはならないのです。どんなに時間を上手に使うことができたとしても、そもそも「自分が何に時間を使いたいのか」がわからなければ意味がありません。その結果わたしたちは多くの時間をむだに浪費することになってしまうのです。では時間を浪費するものの正体は何なのでしょうか?
フランスの文学者ロシュフコーは「死と太陽は直視できない」という言葉を残しました。これは死という受け入れがたい現実を直視できず希望を見つけようとするも、その希望(太陽)すらも直視することができない人間の葛藤を表しています。そのため多くの人はこのような「本質」から目を背けて、代替案として選んだものを正当化するために時間をつかってしまうのです。つまりやりたいことがあるのに別のことをしてしまうから時間を浪費してしまうのです。本書ではわたしたちが直視することができない3つの理を紹介しています。それが①死、②孤独、③責任の3つです。これらは意識しようとしなければ普通は直視することができず、この3つの理から目を背けるために自分に無意識にうそをついているのです(自己欺瞞)。
まず「死」について、わたしたちはどこか死を他人事としてとらえがちだといわれています。そして死に対する不安を避けるため何かに熱中することで悩まないようにしているのです。わたしたちが死を意識するのは大きな病気にかかった時がほとんどです。その時になってはじめて、生きられる時間には限りがあることに気づき、ものの見方や考え方がかわって時間を大切に使うことができるようになるのです。
つぎに「孤独」について、わたしたちはだれもが1人でうまれ1人で死にます。また同じような環境で育ったとしても見ているものや考えていることがちがいます。そのため自分のことを100%相手に理解してもらうことはできません。つまり私たちは本来だれともわかりあうことはできないのです。にもかかわらず孤独の不安に耐えられず誰かといっしょにいることを求めたり、完全にわかちあおうとしたりするので時間を浪費することになってしまうのです。
そして「責任」について、私たちは自由に生きることができますがそこには責任が伴います。自由すぎるほどに自由で誰の言うことも聞かなくてもいいけど責任はとらないといけない、そんな責任から逃れるために他責にして立ち止まったり指示待ちになったりするのです。その結果やりたいことがあっても別のことに時間を浪費するようになってしまうのです。私たちがかかえるこれら3つの理は「時間術」を実践するだけでは解決できないのです。そのため時間を浪費することで人生はあっという間に終わってしまうことになるのです。
1-2 自分が大切にするべき価値観
死・孤独・責任という苦痛を直視できないことが時間を浪費してしまう原因でした。では、これらを直視するためにはどうすればいいのでしょうか?まず、苦痛から逃れようとすればするほど幸福が遠ざかるという残酷な真実があります。幸福とはこれまで払ってきた時間や労力というコストの総量によって決まるのです。これを心理学では「努力のパラドクス」というそうです。実は現代社会が便利になったおかげで私たちは努力をする体験が減っているのですが、それが逆にわたしたちを幸福から遠ざけることにもなっていると指摘されています。
ストレスのない環境は心地よいかもしれませんが実は幸福を感じにくいのです。生物学的にも逆境によって強くなる現象をホルミシスといいます。温室で育った野菜は枯れやすい、水を少なくしたトマトは甘くなるなども同じです。だからこそ人生を後悔しないようにするためには大変な道も選択する必要があるのです。その上で自分にとって大切にしたい価値観をどのように見つければいいのかを紹介します。自分の価値観を見つけるヒントは過去の困難や子どもの頃に夢中になった体験にあります。
まず過去に起きた困難にはどんなものがあったかを思い出してみてください。つまり人生でいちばん辛かった経験は何かということです。その体験をした時に「何が本当に大切だと学んだのか」を振り返るのです。大きな病気をしたのであれば健康かもしれません。ブラック企業で心身ともに疲弊したのであれば自由や思いやりかもしれません。
次に子どもの頃に夢中になったことにはどんなものがあったかを思い出してみてください。レゴブロックを延々と作り続けることやダンスの練習に夢中になっていたことなどです。そしてそれのどんなところが面白かったのかを振り返ってみましょう。そうすればそのままそれが自分の価値観を知るためのヒントになるのです。たとえば、心身が健康で自由な時間をもつことができる人生を前提として、自分でコツコツものづくりに取り組み自分のことを表現するという価値観などです。自分が大切にしたい価値観を見つけられたら具体的な行動をするようにしましょう。なぜなら価値観は自分が進むべき方向を示してくれるコンパスのようなものです。しかしその方向に進むための具体的な方法がなければ到達することはできませんよね。そのためには価値観にあった目に見える目標を設定することが大切です。心身が健康であるとはどのような状態なのか?自由な時間をもつことができるとはどのような状態なのかを考えてみましょう。具体的に理想の姿を書き出すことができればなりたい自分が見えてくるはずです。
その上で「やるべきこと」と「やらないこと」を決めておきましょう。たとえば自由な時間をもつためには経済的自立をしなければならないので、毎月10万円を投資したり副業の時間を2時間確保したりするようにすること、心身が健康でいるためには食事は自炊をしてお酒を飲まないようにしたり、睡眠時間を確保するために毎日10時には寝て5時には起きるようにすることなど。もちろん時間がたてば価値観や目標は少しずつ変化していくはずです。その時は思い切ってやるべきこととやらないことをあらためて見直すことも必要です。このように、自分が大切にしたい価値観とは①ゴールではなく「今」からできること、②言葉ではなく「行動」にあらわれること、③義務ではなく「つい」やってしまうことなのです。
以上ここまで簡単に本書の概要をまとめてみました。次章ではここに「哲学の補助線」をひいてよりわかりやすく紹介していきたいと思います。
2 死の哲学 -マルティン・ハイデガー-
マルティン・ハイデガーはフッサールの後継者としてフライブルグ大学の教授に就任したドイツの哲学者です。20世紀最大の哲学者といわれ著書『存在と時間』はあまりに難解なことでも有名です。その哲学は「存在とは何か」ということを考えるために「人間とは何か」を問いかけ、「人間とは何か」を考えるために「死とは何か」を問いかけたとされています。ハイデガーは自己の有限性を自覚して死と向き合うことで主体的に生きられると考え、「人は死から目を背けているうちは自己の存在に気づけない
死というものを自覚できるかどうかが自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる」という言葉を残しました。
そんなハイデガーの難解な哲学を少しでもわかりやすくお伝えしたいと思います。まずあなたは「自分がいつ死ぬのか」を知りたいと思いますか?死におびえてびくびくしながら残りの人生を送るくらいなら知らない方がよいでしょうか。しかしそのようにして過ごす時間は「あした死ぬ」とわかっても幸福といえますか。もしそうでないならば、あなたは無意味なことに時間を費やしていることになります。「自分の死」を知ることであなたは時間を浪費していることに気づくことができるのです。そして死という絶望に向き合うことで人生の新しい可能性を見つけることができるのです。ハイデガーはこれを「本来的な生き方」という言葉で表現しています。本書でいうところの「死」と向き合うことや「価値観」の部分に通じていますよね?
ハイデガーは自分という人間以外のものはすべて「道具」であると考えました。フォークもハンマーもすべての道具はある目的を達成するための手段なのです。たとえば「食べる」という目的を達成するために箸や食材は存在するということです。そして自分以外のすべての人間も自分にとっては「道具」ということになるので、あらゆるものは「自分」という究極の目的のための「道具」として存在するのです。しかしここで問題なのは相手にとっては自分も「道具」になってしまうということです。「世界の中のかけがえのない存在」であるはずの自分も相手から見たらただの道具です。そのため大切な存在であることを忘れ自分を道具だと思い込むようになってしまうのです。もしフォークが折れてしまったらあなたはどうしますか?取りかえますよね。フォークは道具であるのだから機能を果たせないなら交換する必要があります。
では、あなたが道具になってしまったら同じように交換すればいいといえるでしょうか?ここに「死」と向き合う本当のおそろしさがあるのです。もし自分が死んでもそれは他人にとって道具の1つがなくなったことにすぎません。つまり自分とは交換可能で無意味な存在であるという現実を突きつけてくるのです。だからこそあなたにしかできない「本来的な生き方」を見つける必要があるのです。ハイデガーは物が自己の意味を問うことをできなくても存在しているのに対して、人間は「生きるとは何か?私とは何か?」と自らの意味を問うことができることから、人間が自己の意味を問うことができる存在「現存在」であると考えました。
しかし他人は自分のことを道具としてみているのでそのように行動してしまいます。そのため他人の目を気にせず生きることが大切だとわかってもなかなかできません。そこで人間にとっての最大の切り札となるのが「死」を自覚することです。ハイデガーは死の特徴として次の5つをあげています。
- 確実性…誰もが確実に死ぬ
- 無規定性…いつ、どこで死ぬのかはわからない
- 追い越し不可性…死んだらおわり
- 没交渉性…死ねばすべてがなくなる
- 固有性…自分の死は誰であろうと代理することはできない
これを聞くと死はやはり絶望を感じさせるもののように思いますが、ハイデガーは死がもたらす思いがけない贈り物について教えてくれます。まず④について、死はあらゆる関係性という呪縛からあなたを解き放ってくれます。つぎに⑤について、代理不可能ということを誰とも交換不可能ということでもあります。交換可能な道具だと思っていた自分はかけがえのない存在であることを示しているのです。他者の視線から解放され道具ではない固有の存在であることに気づくことができれば、「自分の人生とは何だったのか?」という疑問をもつことができるようになるのです。
さらにハイデガーは「死の先駆的覚悟」を持つことが必要であるとも述べています。私たちは死と向き合うことが大切とわかっても「まだ…」と思いがちです。そうではなく、死は「この瞬間」にやってくるかもしれないのです(②無規定性)。だからこそ、いついかなる時でも死を覚悟して生きなければいけないのです。
さいごにハイデガーが考える「時間」について紹介しましょう。時間の理解の仕方には「通俗的な時間」と「根源的な時間」の2つがあると考えました。通俗的な時間の理解とは時計の針を見てわかる「今」という時間があるとわかることです。時計の針がカチカチ動けば「今」という時間も次々に過ぎていくというイメージです。このように考えると時間は無限に流れ続けていくように思いますよね?しかしあなたにとっての時間は本当に無限であるといえるでしょうか?きっと「時間は有限である」という思いの方が強いのではないでしょうか。実際に日々の生活で「時間がない」「時間が足りない」という実感があるはずです。その上で自分にとっての最大の過去とはどのようなものであったかを考えてみてください。もちろん生まれた瞬間だと思いますがそれはあなたが願っていたことではないですよね。ハイデガーはこの「どうにもできない」過去のことを「被投性」と言いました。
また未来について自分にできることは何があるか考えてみてください。実は自分にできることは「1つの可能性しか選べない」ということです。何が正しいのかわからない状況で1つしか選べないことを「企投性」と言います。過去とは「何もわからないままにいきなり投げ込まれてしまったもの」であり、未来とは「何もわからないのに自分を投げ込むことしかできないもの」ということです。そんな状況で生きなければならない現在だからこそ私たちは時間を浪費してしまうのです。このように「死や時間」と向き合えて初めて本来的な生き方ができる可能性が生まれます。
まず未来とは1つしか選べないのですが、逆にいえば1つだけは選べるということです。かけがえのない存在であるあなただけのオリジナルの生き方を見つけられるのです。そしてそのヒントは過去と向き合うことで見つかります。勝手にこの世界に投げ込まれた自分ですが、その状況に投げ込まれた自分は1人だけです。どのような状況で生まれたとしても本人には何の責任もありません。しかしオリジナルの過去から選んだオリジナルの未来であるならば、それは結果に関わらず正解とよんでいいのではないでしょうか?このような前提のもとに導かれる現在こそが本来的な生き方ができる場となりうるのです。
「人生とは何か?」についての答えは死ぬまで誰にもわかりません。それどころか死んだら全てがなくなるのですから答えを知ることは不可能でもあるのです。だからこそ、あなたにできることは過去から良心の呼び声に耳を傾けること、そして「このままではいけない」という感覚と共に一歩前へ動き出すことなのです。
3 孤独の哲学 -アルトゥール・ショーペンハウアー-
ショーペンハウアーはカントとプラトンに影響を受けたドイツの哲学者です。ヘーゲル哲学を批判したことでも有名で同時期にベルリン大学の哲学教授でしたが、ヘーゲルの講義が人気だったのに対してその講義は閑散としていたといわれています。そのためベルリン大学を辞職して生涯在野の哲学者として過ごすことになりました。
ショーペンハウアーは25歳の時に著した『意志と表象としての世界』において「世界は人間の意志と表象である」といいました。つまり私たちの世界は人間の表象でもあり意志でもあると考えたのです。そして人間そのものが「生への盲目的な意志」によって支配されていることによって、ショーペンハウアーは「生きるのは苦痛である」という結論を導き出すのです。「生への盲目的な意志」による生きたいという意志を満たせないことも苦痛であり、その意志が満たされたことによる退屈も苦痛であるというのです。
現代のわたしたちは便利な生活を手に入れたことと引き換えに多くの退屈な時間を持て余すようになってしまいました。だからわたしたちは人との交流を求めるようになっていったのです。しかし私たちは人との交流が広がればそれだけ自分との比較をすることが増えて、自分が幸せなのか不幸なのかを判断しなければならなくなってしまいます。もし友人が自分よりも多くの給料をもらっていい生活をしていたら、今の自分の生活に対して不幸を感じてしまうことがありますよね?私たちは手に入らないものを見つけるたびに不幸を感じ続けることになってしまうのです。なぜ私たちは不幸になるとわかっているのに人との交流を望んでしまうのでしょうか?それは「退屈を愛する方法」を知らないからだとショーペンハウアーは言います。退屈を愛するとは自己の内面的な充実を求めるということです。人と交流する中で比較することを通してえられる外的な満足を求めるならば、退屈な時間を埋めるために永続的に外的な満足を追い求めなければいけなくなるのです。だからこそ「知的で孤独を愛する方法を見つけることができれば退屈も苦痛もなく、幸福な時間を手に入れることができる」とショーペンハウアーは言うのです。
わたしたちは高級なもの(こと)でしか満足をえられない状態よりも、どんなもの(こと)でも内面的に満足できる状態の方がはるかに幸福なはずです。そのため高級なものでえられた満足というのは、それ以下のものに満足できなくなるという呪いとなって永遠にあなたを苦しめ続けます。外的な満足は一瞬でもその呪いは永続的なものであるため、幸福を追い求める限りあなたは永遠に不幸な状態から抜け出せなくなるのです。「孤独を愛さない人間は自由を愛さない人間に他ならない」とショーペンハウアーは言いました。不幸を避けて孤独を楽しむ方法を見つけることができれば、幸福とはあなたの中にあると気づくことができるでしょう。
6 まとめ
今回は「時間を食べつくすモンスターの正体」について哲学をもとに考えてきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだありますので、ぜひ本書を手に取って時間を浪費せず有意義な人生を送るヒントをGETしてください。ハイデガーの「本来的な生き方」やショーペンハウアーの「孤独」の哲学を知ると本書の内容をより鮮明に理解することができるようになったと思います。
「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。これからも「哲学の補助線」を活かしていろいろな本を紹介していきますのでぜひゼロから一緒に学んでいきましょう。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。
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