今回は「オリンピックを哲学する」をテーマにして考えてみましょう。参考文献は『オリンピック・パラリンピックを哲学する-オリンピアン育成の実際から社会的課題まで-』(谷釜尋徳ほか)や論文『オリンピズムの平和思想に関する哲学的探究-カントの平和思想を手掛かりとして-』(野上玲子)などほか数点です。
いよいよ第33回オリンピックパリ大会が開幕しました。メディアでは金メダルの予想数から不祥事の数々までさまざまな話題が報道されています。そもそもオリンピックとは何でしょうか?オリンピック憲章には「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である」とされており、「オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値と社会的な責任、さらに国際的に認知されている人権、およびオリンピック ・ ムーブメントの権限の範囲内における普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする」とされています。このオリンピズムの根本原則は近代オリンピックの父クーベルタン男爵が提唱した「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで平和でよりよい世界の実現に貢献する」という言葉に由来します。
オリンピズムは生き方の「哲学」である…と書かれているならばぜひ考えてみましょう、オリンピックの哲学を!今回の記事ではまず古代オリンピックから近代オリンピックまでの歴史を振り返ります。そしてオリンピックとはどんなものなのかということを改めて考えてみたいと思います。この動画を見れば金メダルの数に一喜一憂するメディアの報道に踊らされることなく、オリンピックを少しちがった視点から捉えることができるようになるはずです。知られていないオリンピックの豆知識も紹介していますのでぜひ最後までごらんください。そして「哲学」に興味をもってもらえたらぜひチャンネル登録をよろしくお願いいたします。
1 古代オリンピック
紀元前776年ペロポネソス半島にある都市オリンピアで競技大会が開催されました。これが最初のオリンピックであるとされ、現在では古代オリンピックとよんでいます。オリンピアはギリシア神話の最高神ゼウスを祀る聖地であり、その奉納試合としてスタディオン走(約191m走)が行われたのです。スタディオンとは古代ギリシアにおける長さの単位のことです。1スタディオンはゼウスの足裏600歩分に相当して、ヘラクレスがこの距離を実測したという伝説が残されているようです。古代オリンピックはゼウスに捧げる祭典として4年に1度開催されていました。女人禁制で子どもや奴隷も参加は認められず、金銭報酬を目的としないアマチュア主義が採用されていたといわれています。
紀元前724年の第14回大会以降はディアウロス走(2スタディオン走)やドリコス走(24スタディオン走)、幅跳び、槍なげ、レスリング等が追加されていきます。またボクシングの原型ともいえる殴打競技のピュグマキアや総合格闘技のパンクラチオン、ヒッポドロームという競馬場では馬に馬車をひかせる戦車競技も行われていたようです。古代オリンピックでは優勝こそがすべてなので2位以下の表彰台はありません。優勝者にはオリーブの冠が授与されることで栄光を独占することができたのです。当時は軍事訓練している都市スパルタの選手が優勝することがほとんどだったようですが、紀元前696年にはパンタクレスがアテナイ出身の選手として初めて優勝しました。その後少年が出場できる種目が追加され女性も参加できる大会ヘライア祭も始まります。さらにポセイドンに捧げるイストミア大祭やアポロンに捧げるピューティア大祭など、多くの祭典が開催されるにつれてアマチュア主義はなくなりプロ選手が登場するのです。
この頃のギリシア地方では都市国家がお互いに争い合っていたのですが、オリンピア大祭の開催が決まれば聖なる休戦が伝えられ皆がオリンピアへ集いました。そして言語や宗教などに関わることなく競技をしていたといわれています。マケドニア国王フィリッポス2世は戦車競技で3度も優勝したことがあるとされています。強大なペルシア帝国に対抗するためコリントス同盟を結びますが開戦直前に暗殺されます。後を継いだのがかの有名なアレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)です。紀元前152年の第157回大会ではロドスのレオニダス選手がスタディオン走など、4年連続で3種目を制覇する記録を達成するのです。なんとこの記録は2168年後のリオデジャネイロオリンピックまで破られませんでした。ちなみにレオニダス将軍やチョコレートのレオニダスではありませんのでご了承ください。
ギリシア地方の覇権をローマ帝国が握るようになってからはローマ人も参加しました。暴君として有名な皇帝ネロは自分が準備をして参加するために、開催を2年遅らせた上で出場して見事に7冠を制覇…したかのように思えますが、戦車競技で途中落下したにも関わらず優勝するというあきらかな八百長だったようです。その後コンスタンティヌス帝がミラノ勅令でキリスト教を公認したことがきっかけで少しずつ異教徒であるギリシア神話の神を祀るオリンピックは縮小されていくのです。そして392年にテオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教として定めた後393年の第293回大会をもって最後の開催となりました。オリンピックを廃止したことで1169年続いた歴史的イベントが終焉を迎えたのです。
2 近代オリンピック
1766年に英国の考古学者が1000年以上の時をへてオリンピアに遺跡を発見しました。それから各国による調査が何度も行われたことでオリンピックへの注目が集まるのです。そして1894年オリンピックの復興を願うフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵はパリでオリンピックの会議を開いてIOC(国際オリンピック委員会)を発足させたのです。そして1896年にアテネで第1回の近代オリンピックを開催するのです。古代競技場と同じ場所に当時の姿を思わせるような大理石のスタジアムを建設しました。また古代オリンピックの理念を重視するためにアマチュアスポーツの祭典としました。古代オリンピックと違い優勝者には(財政事情により金ではなく)銀メダル、2位には銅メダルと3位には賞状が授与されるようになりました。ほかにもチーム競技を導入したり長距離走をマラソンという名称で行ったりしました。これは紀元前490年にアテナイ軍がペルシア軍に勝ったという報告をするため兵士が戦地マラトンからアテナイまでの約40kmを走って伝えたのですが、そのまま力尽きたという伝説が由来となっているのです。
アテネでのオリンピックが成功したことでギリシア国王は国内での継続開催を望みます。しかしクーベルタンが反対したことでパリ万博に合わせてオリンピック開催を計画します。ところが万博側では独自のスポーツ大会を開催することになっていたため、IOCは万博のおまけの大会のような形でしか開催できなくなってしまいました。クーベルタンは古代オリンピックと同じように女人禁制で開催するつもりでしたが、万博の方針で女性も参加することができる第2回大会となりました。その後クーベルタンはオリンピックを世界展開することを望むようになります。
そして1904年の第3回大会はアメリカのセントルイスで開催されました。この大会から順位ごとのメダルも今と同じ金メダル・銀メダル・銅メダルとなるのです。またメインの競技とは別に世界中の少数民族を集めて競技させることもありましたが、これは白人選手より能力が劣っていることを証明するためだったともいわれています。
1912年の第5回ストックホルム大会では全大陸から28か国が参加することになり、日本もアジアからはじめての参加国として参加したのです。有名なのはマラソンに出場した金栗四三で彼はレース中にまさかの行方不明となるのです。しかし1967年オリンピック委員会は金栗がまだレースを棄権していないと判断して、記念式典に招待して54年ぶりのゴールを達成させることとなったのです。公式記録は54年8か月6日5時間32分20秒3でした。大河ドラマ「いだてん」の最終回ではナレーションとして、「マラソン中に子どもを6人つくって孫が10人できました」と紹介されていました。
1920年の第7回アントワープ大会ではクーベルタンがデザインした。五輪マークが誕生してその旗が開会式でも掲揚されることになりました。その後冬季オリンピックが開催されたり女性が陸上競技へ参加できるようになったりします。
1936年の第11回ベルリン大会の前にはドイツ首相にアドルフ・ヒトラーが就任します。ヒトラーはこれをドイツの国威掲揚とゲルマン人の優越性を宣伝することに利用します。聖火リレーが始まったのもこのベルリン大会からでした。1940年の第12回大会の候補地は日本でしたが戦争の影響で中止となります。第二次世界大戦をはさんでアメリカとソ連による冷戦の時代に突入してからは、オリンピックにも各国の政治事情が大きく影響するようになっていきます。
1960年の第17回ローマ大会ではエチオピアのアベベ選手が試合前に靴が壊れますが、そのまま裸足でマラソンを走って世界記録で優勝するという快挙を成し遂げました。またボクシングではカシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)が18歳で優勝します。この時ローマで同じく体に不自由がある選手のスポーツ大会が開かれたことで、これが後のパラリンピックへとつながっていくことになるのです。
1964年の第18回大会では日本が悲願の開催を果たします。アジアで初の開催となった今大会では独立を果たしたアフリカの国々も参加しました。ただしアパルトヘイトを実施していた南アフリカの参加は認められなかったのです。
1968年の第19回メキシコシティ大会では200m走に出場した黒人選手2人が表彰台で黒い手袋をはめてこぶしをつきあげるパフォーマンスを行います。これは黒人差別に反対するための講義だったのですが、オリンピックでの政治的パフォーマンスは認められず2人は永久追放となるのです。
1980年の第22回モスクワ大会ではソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するために51か国がボイコットすることになりました。日本もボイコットをして選手が涙の会見をしたことも話題になりました。
1984年の第23回ロサンゼルス大会ではソ連とその同盟国がボイコットで報復しました。スポーツが商業化されるさきがけとなったのもこのロサンゼルス大会でした。組織委員会は放映権とスポンサーの独占権という手法をもって市場価値を向上させます。そしてグッズ販売や入場料などをとることで多大な収益化に成功したのです。冷戦の終結にともないオリンピックに対する政治の影響も少なくなっていきます。ほぼ全ての国が参加することで世界中の人が観戦する世界最大のイベントとなるのです。東西ドイツは1つに統一され南アフリカもアパルトヘイト撤廃により参加できました。プロ選手の参加も拡大していき米国NBAのドリームチームがバスケットで圧倒しました。
アテネでは近代オリンピック100周年となる1996年の開催を望んでいましたが、最大スポンサーであるコカ・コーラ本社のあるアトランタに決定することになりました。
2000年の第27回シドニー大会ではアボリジニーとヨーロッパ人の和解がテーマでした。400m走ではアボリジニーの選手が優勝するなど話題になりましたが、ライバル選手が脅迫や中傷をうけたことで直前になって棄権する事態にもなっていました。
2008年の第29回北京大会では経済発展のめざましい中国への注目が集まりました。水泳のマイケル・フェルプスや陸上のウサイン・ボルトなどが世界記録を打ち立てます。
そして2016年の第31回リオデジャネイロ大会では、マイケル・フェルプスが先に紹介したレオニダスの記録を更新することになるのです。金メダル23個を含む合計メダル獲得数28個はぶっちぎりの歴代1位であり、「もっとも偉大なオリンピック選手」といわれるようになるのです。
2020年の第32回の開催地は再び東京に決まりましたが、新型コロナウイルスの影響で1940年に続き中止の危機にさらされることになりました。結局1年の延期と無観客での開催を条件に2021年に開催されることになりました。この大会ではオリンピック招致の汚職やロゴデザイン盗作の問題など、オリンピックを開催することの是非が議論されるようになりました。大きな国際イベント開催の是非に関わる議論は2025年の大阪万博にも影響しています。
そして2024年の第33回パリオリンピックがいよいよ7月26日に開幕しました。しかしセーヌ川の水質汚染やソーシャル・クレンジングが問題となって残っています。はたしてオリンピックには一体どんな意味があるのでしょうか?
3 オリンピックを哲学する
オリンピックはその理念にもあるとおり「平和を希求する」ものであるとされています。しかしこれまで見てきたように女性差別・人種差別などの人権に関わる問題やボイコットやナショナリズムの高揚など政治的な問題にも多く利用されてきました。また現代では勝利のためには手段を選ばない(たとえばドーピング)問題から、様々な利権にまつわる汚職なども問題視されていることから開催に疑問も抱かれています。このような状況においてオリンピックを開催することに本当に意味はあるのでしょうか?
たしかにオリンピックは平和への寄与を示しながらも現実には戦争はなくなっていません。これではオリンピックの存在意義などあってないようなもののようにも感じられます。そもそもオリンピックにおける平和とはどのようなものを意味しているのでしょうか?クーベルタンは『近代オリンピズムスの哲学的原理』でその構成要素を9つあげたうえで、オリンピック中のいかな戦争も停止するという「城内休戦」こそ本質的要素としています。またその最終章において平和の基盤は歴史を考察する行為が重要であるとも述べています。
そこで平和について『永遠平和のために』を著したカントを参考にして考えてみましょう。カントは戦争状態をたしかに「悪」であると捉えていますが、完全な平和状態もまた人間が進歩する力を失わせてしまうと言っています。つまり人間はもともと対立すること(競争精神)を通してよりよい関係性(平和)を築くことができる存在であることを示しているのです。そのような「自然の力」がわたしたちにはたらいているのだというのです。そのためカントはこれまでの歴史を考察することを通して、新しいい未来へ向かって進むことができるはずだという希望をもっていたと考えられます。
オリンピックではスポーツを通してさまざまな競争(対立)が行われます。たしかにその目的が金銭報酬や地位・名誉などに向けられてしまうことがあるだけでなく、ナショナリズムやドーピングを扇動するものにもなっている側面は否めません。しかし競争はスポーツに限らずあらゆる場面で生活や文化を向上させるものでもあります。クーベルタンは「人生において最も重要なことは勝利ではなく努力することである、本質的なことは勝つことではなく良く戦うことである」と述べています。これはクーベルタンが人間の完成に向けての努力を重視していることを示しています。またオリンピックで世界中の人々が一堂に会して行動することこそが、平和を象徴する姿であることを強調してもしすぎることはないのではないでしょうか?オリンピックにおいて私たちはクーベルタンの説くような競争によって相互理解と文化を向上させていくことで平和を実現していくことができるのではないでしょうか?カントの『永遠平和のために』は現在の国際連合の基盤となった考え方が示されています。混迷する現代だからこそ改めてカントの思想に立ち戻る必要性を感じずにはいられません。
別件ですが「オリンピックで重要なことは勝つことではなく参加することである」はクーベルタンの言葉として有名になっていますが彼のものではないようです。英米両チームのあからさまな対立により険悪なムードだったロンドン大会の中で、礼拝のためにセントポール大寺院に集まった選手を前に主教が述べた戒めの言葉なのです。「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」このように考えていたクーベルタンは主教の言葉に感動して「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」というスピーチを行い、オリンピックの理想を表現する名句として知られるようになったのです。
5 まとめ
今回は「オリンピックを哲学する」について考えてきました。たしかにオリンピックにはさまざまな負の側面がふくまれています。その存在意義に疑問を抱かざるをえないような状況であることも理解できます。そこでオリンピックとは何かを歴史と理念にまで立ち戻って考えてみることで、オリンピックに対しる新しい視点をもつことができたのではないでしょうか?
「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、社会に表れるさまざまな現象を本質的に理解することができるようになります。「人間は思考することをやめてしまえば誰もがナチスのような巨悪になりうる」公共哲学の哲学者ハンナ・アーレントはこのように言いました。これからも「哲学の補助線」を活かしていろいろな本を紹介していきますので、ぜひゼロから一緒に学んでいきましょう。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。
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