今回は2022年の発売と同時に大きな話題となった小説『パンとサーカス』をもとに、「現代日本の置かれている状況」について考えていきましょう。参考文献は『パンとサーカス』(著者:島田雅彦さん)です。
先日、文庫版も発売されましたのでぜひ手に取ってお読みください。タイトルにもある「パンとサーカス」とは、古代ローマの独裁者がローマ市民にパン(食料)とサーカス(見世物)を提供することで、ローマ市民を満足させて政治的無関心にしたという逸話がもとになっています。このような市民の批判精神を曇らせて問題を市民の意識から隠蔽する独裁者の政治手法を「パンとサーカス」と表現して現在では愚民政策の比喩として用いられることもあります。
なぜこれが本書のタイトルに選ばれたのか?それはまさに現在の日本がこのような状況に置かれているからにほかなりません。作中で中国諜報機関のスパイであるミュートという人物が次のように言います。「日本が集団的自衛権を行使できるようになったからといって米国は何もする気はなく、リゾート気分で日本に駐留して費用を日本に負担させてさらに増額を要求するだけです」「有事の際は日本を守ると曖昧にリップサービスをするだけで、アメリカは何1つ具体的な戦略を示してこなかった」日米関係におけるこの見立てはただの小説の妄想だとあなたは断言できますか?
登場人物はのべ50人以上で500ページにも及ぶ長編にもかかわらず、読み始めたら手を止めることなく最後まで一気に読まずにはいられない本作。
・日米同盟という名の永続占領から自由日本を開放する革命戦士たちの叙事詩(前川喜平)
・スケールの大きな謀略小説であり、極辛の政治風刺劇であり、極太のエンターテインメントである(鴻巣友季子)
・パンとサーカスさえ与えておけば国民はおとなしくしているなんて思っているヤツらに一泡吹かせたい(永江朗)
・私たちが夢想する革命に立ち上がる主人公に快哉を叫んだ!(立川談四楼)
このように幾多の著名人が絶賛する本書を読み終えた時あなたは何を思うでしょうか?私の暴走にどうかお付き合いください(島田雅彦)著者はこのように言いますがこれをただの妄想だと一蹴するのか、これこそが真実であると感じるのかはあなた次第です。
作中には哲学のエッセンスがふんだんに盛り込まれています。哲学の素養があって本書を読むのと読まないのできっとその印象も大きく変わるはずです。2022年の刊行から半年後に元首相が暗殺されたことで大きな話題にもなったこの1冊、きっと明日からの人生に役立つヒントがつまっているのでぜひ最後までご視聴ください。
1 本書の概要
高校時代2人で秘密サークル「コントラ・ムンディ」を作った御影寵児と火箱空也。寵児は米国留学を経て中央情報局(CIA)エージェントとなって帰国、空也は父の知人の人材派遣会社で働く中で大物フィクサーから「世直し」を提案されます。政府要人の暗殺をきっかけに事件の解明を求められる寵児、その矢先ドローンによる国会議事堂や横田基地への自爆攻撃が行われてしまいます。テロリストの首謀者として追われる身となった空也、大物フィクサーと自分の上司が裏で通じていたことに気づく寵児、ありえないと思われていた政権交代が起こるものの命を狙われることになった空也と寵児。物語はどのような結末を迎えることになるのでしょうか?
おおまかなストーリーは以上です。第一部では主要人物たちの背景が詳細に描かれていきます。空也の腹違いの妹「桜田マリア」、元警察のホームレス詩人「たそがれ太郎」、ワルキューレカルテットといわれる美女四人組でジャーナリストをめざす「砂漠谷絵里」、警察庁に入庁した「田島波瑠」、司法試験合格を目指して法律事務所に務める「萩谷ソフィア」、国会議員秘書の「矢野真美」(物語とは無関係ですがこの4人の名前を聞いて何かピンとくることはないですか?)
寵児が勤務するアジア政策研究センターの上司グリーンウォーター、CIAの直属の上司ダン・グレイスカイと大物フィクサー蓮華操の存在など。
第二部ではいよいよサーカスが開幕して登場人物たちの思惑が交錯していきます。日米同盟とは何か?日米地位協定とは何か?日本はアメリカの属州でありATMだと思われているのではないのか?無能政治家による無能政府を生み出したのはそもそも国民ではないのか?思想家の内田樹さんは本作の解説の中で「起きたことはなぜ起きたのか」を考えるのは歴史家の仕事であり、「起きてもよかったのに起きなかったこと」を想像するのが文学であるとのべています。『パンとサーカス』には今はまだ現実になっていない想像上の日本が描かれています。このようなディストピアを語るのはディストピアの到来を阻止する可能性があるからです。核戦争によって世界が滅びるという物語をいくつも読んできたことで私たちは「このボタンを押したら世界が終わる」という想像を共有できたのです。起きてほしくない未来を想像することができればそのような未来は防ぐことができます。(同じようにそのような未来を想像できなければ防ぐこともできないのです)。以上ここまで簡単に本書の概要をまとめてみました。次章では『パンとサーカス』を読むうえでためになる哲学の知識を紹介したいと思います。
2 ディオゲネス -コスモポリタン思想-
たそがれ太郎というホームレスが災害で避難施設を訪れた時に役所の人から「住所はどちらですか?」と聞かれて「わたしは世界市民です」という場面があります。この場面でピンとくるのはやはりキュニコス派の哲学者ディオゲネスです。哲学者には変わった人が多いのですがその中でも圧倒的におもしろい1人です。
ディオゲネスが活躍したのはアレクサンダー大王の東征が行われたヘレニズム時代です。キュニコス派とはソクラテスの対話法や反体制的な態度に影響を受けて誕生した社会からの解放や物質的な贅沢からの解放を強調する哲学の一派です。キュニコスというのはギリシア語で「犬のような」という意味であり、シニカル(皮肉的な)の語源となったといわれています。キュニコス派では物質的な豊かさや社会的な地位に執着することを否定して、自然な状態に回帰することで真の幸福が得られると考えられています。そんな究極のミニマリストを体現していた哲学者こそディオゲネスなのです。
ディオゲネスは真の幸福は自由で自律的な生活にあると説いていました。そのため物質的快楽を求めず、粗末な上着のみを着た乞食のような生活をしていました。彼は神殿やアゴラでも気にすることなく食事をしては寝ていたので「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言ったそうです。また道ばたで公然と自慰行為に及び「擦るだけで満足できて、しかも金もかからない。食欲もこんなふうに簡単に満たされたらよいのに」と言ったとされています。
ディオゲネスは酒樽に住んだことから「樽のディオゲネス」と言われるようになりました。酒樽でコップ1つの生活していたある日、手で水をすくって飲む子どもの様子を目にして、「まだ不要なものがあったのか」とコップすらも投げ捨ててしまったそうです。「アテナイの学堂」の中央部で階段に寝そべっているディオゲネスの横に、小さな皿が描かれている理由はこのような逸話がもとになっていると考えられます。
そんなディオゲネスの中でも最も有名なエピソードはアレクサンダー大王との対話です。ある日アレクサンダー大王がディオゲネスのもとを訪れて、「私はアレクサンダー大王である」と言うとディオゲネスは「私は犬のディオゲネスです」と答えたと言われています。さらに大王が「私のことがこわくないのか?」と問えば、「あなたは何者ですか?善人ですか?悪人ですか?」と聞き返し、大王が「もちろん、善人である」と言ったところ「善人であるなら何をおそれることがあるでしょうか?」と答えたとされています。これに感銘を受けた大王が「何か望みはあるか?」と問えば、ディオゲネスは「太陽の日がさえぎられるからそこをどいてください」と答えたのです。アレクサンダー大王は「大王でなかったならディオゲネスになりたい」と言ったそうです。
ディオゲネスにとって質素な生活とは贅沢をしないことだけでなく、慣習的な共同体のルールに縛られない「自然な状態で生きる」ことも意味していました。たしかにディオゲネスは浮浪者のような生活しましたが、みんなが同じように生きるべきと言いたいのではありません。たとえ最悪な状況でも幸福と自立が可能であることを示したかったのだと考えられます。最後に本作でも登場する「世界市民」についての逸話を紹介します。ある日ディオゲネスは海賊に襲われ奴隷として売り出された時に出自を問われました。そこで「私は世界市民(コスモポリタン)である」と答えたと言われています。これが国家や民族に囚われないという意味の「世界市民主義」、「コスモポリタニズム」を世界で初めて提唱した瞬間だとされています。紀元前323年ディオゲネスはコリントスで亡くなったと伝えられています。それはディオゲネスを敬愛したアレクサンダー大王がバビロンで没したのと同じ頃でした。
3 キリスト教
『パンとサーカス』にはキリスト教に関連するものがいくつも登場します。哲学と宗教には密接なつながりがあるのでぜひ宗教に関する知識も深めてみてください。空也の妹の名前は「桜田マリア」であり多くの登場人物がマリアと会った時に、「聖母」というイメージをもつ場面が出てきます。これは聖母マリアがイエス・キリストの母親であることが由来だと考えられます。マリアは天使ガブリエルから処女懐胎によってイエスをみごもったと伝えられます。(これを「受胎告知」といいます)。そしてイエスの教えを信仰する弟子たちによって確立されたのがキリスト教です。
もともとイエスはユダヤ教を信仰する人物でしたがその教えを批判するようになります。イエスが宗教活動をする中で人々は次第に「救世主(キリスト)」だと思うようになります。しかしユダヤ教の司祭から危険人物とみなされゴルゴダの丘で十字架刑に処されたのです。イエスはその3日後に復活して多くの弟子の前に現れ40日後に昇天したとされています。イエスが最後に残した言葉の1つが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」とされています。ワルキューレカルテットの名前もおそらくここからきていると考えられますよね?
作中で空也と寵児が「イエスかピラトか」という話をする場面がありますが、これはローマ帝国のユダヤ属州の総督でイエスに処刑を命じた人物のことです。また桜田マリアが大学の教官から聞く「よきソマリア人」の話もイエスの逸話の1つです。キリスト教はその後カトリック、正教会、プロテスタントなどに派閥がわかれていきます。これはローマ帝国が東西分裂したことがきっかけでキリスト教も東西に分裂したためです。東の「東方教会」が現在の「正教会」のもとになっています。ギリシア正教会やロシア正教会とよばれる一派のことです。ビザンツ帝国時代のコンスタンティノープルに建築されたハギア=ソフィア大聖堂もワルキューレカルテットの名前の由来になっていると考えられます。西の「西方教会」が現在の「カトリック」のもとになっていますが、宗教改革によってさらに「プロテスタント」という派閥にわかれていきます。教義のちがいを説明すると大変なのですが「神父(司祭)か牧師か」、「ミサか礼拝か」、または「教会にマリア像があるかないか」で判断することができます。
プロテスタントの一派はイングランド王の弾圧をおそれてアメリカ大陸に渡りました。この時メイフラワー号に乗った102人の清教徒が有名なピルグリムファーザーズです。マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』では、プロテスタントの経済倫理が近代資本主義に大きく影響したことが指摘されています。世界中に約23億(世界人口の3割)の信徒をもつキリスト教への理解はこれからのグローバルな世界で活躍するための必須の教養となります。いずれ「哲学と宗教」の動画も制作する予定ですのでチャンネル登録をしておまちください。
4 イソノミア
空也が世直しのためにはじめた内部告発者を守るための「笛吹プロテクション」、そこでインターネット上の仮想都市をつくるのですがその名前が「イソノミア」でした。イソノミアとは「無支配」(支配することもされることにも重きを置かない政治体制)です。イソノミアの特徴は公共のものごとに対等に参加できる自由にあり、それを通して自分の存在を現しあうことの喜びがあるということです。イソノミアについては柄谷行人さんの『哲学の起源』が参考になります。
現代ではほとんどの国がデモクラシー(民主主義)を採用しています。しかしデモクラシーは良いとされながらも多くの問題を抱えていることもまた事実です。元イギリスの首相チャーチルは「民主主義は最悪の政治体制である。ただし、ほかのあらゆる政治体制をのぞけばだが」と言いました。デモクラシーの発祥の地とされているのは古代アテネですよね。この政治体制はアテネ以前のイオニアで実現していたイソノミアを回復する企てだと『哲学の起源』では指摘されています。
これはデモクラシーこそが最善の選択であると私たちは考えがちですが、デモクラシーをこえる自由で平等な社会を想像することができることを示しています。ちなみにイオニアとはアナトリア半島(現トルコ)の南西部に位置するアテネの植民市です。アルファベット(表音文字)や貨幣鋳造の発祥となったとされている地域です。本来デモクラシーの起源こそがイソノミア(無支配)を実現したイオニアのことであり、それがギリシアのポリスに多数者の支配形態として導入されたのがデモクラシーなのです。
歴史上イオニアのイソノミアに似たケースが実現されたのは2つだけとされています。1つは10世紀から13世紀のアイスランドです。ここには独立自営農民による自治的社会がありました。君主も中央政府も軍隊もなくすべてが農民の集会によって決定されていました。アイスランド・サガ(神話)では男女が平等に描かれているそうです。もう1つは18世紀のアメリカのタウンシップです。アメリカ独特の市民社会のシステムは東部にあるイギリス植民地において形成されました。タウンは評議会(タウン・ミーティング)によって運営され、自治的な裁判権をもち市民には平等に土地が与えられました。
これら3つの社会からイソノミアを実現するヒントが考察されています。まず「移動可能なフロンティア」があるということです。そして周辺にその存在を脅かす「外部の国家」がないということです。イソノミアの実現には内的・外的な要因という条件に大きく依存することになります。わたしたちはデモクラシーでなければ共産主義…という考えに陥りがちですが、デモクラシーではない政治形態の存在をぜひ覚えておいてください。
5 まとめ
今回は「現代日本の置かれている状況」について考えてきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだありますので、ぜひ本書を手に取って国際社会における日本のあり方を考えてみてください。空也は物語の最後に次のように言います。「沈黙の同意によって腐敗政治がいつまでも続いたのです」と。間もなく衆議院の選挙が行われます。沈黙の同意を続ける限り今の日本の腐敗政治はいつまでもかわることはありません。私たちが「パンとサーカス」でだまされている間はいつまでたってもかわりません。ぜひ投票に行く前に自分にできることを考えてみてください。
「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。「人間は思考することをやめてしまえば誰もがナチスのような巨悪になりうる」デモクラシーとイソノミアの違いを正しく理解していたとされる唯一の哲学者ハンナ・アーレントはこのように言いました。これからも「哲学の補助線」を活かしていろいろな本を紹介していきますので、ぜひゼロから一緒に学んでいきましょう。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。
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