【世界をアップデートする方法】哲学者とは常識の破壊者!「常識外れ」こそがいつの時代でも世界をアップデートしてきた!

哲学×ビジネス

こんにちは「あてのない学堂」へようこそ。「Re:ゼロから始める哲学生活」、今回は「固定観念を打ち破る哲学と思想」について考えていきましょう。参考文献は『世界をアップデートする方法』(著者:篠原まことさん)です。

【世界をアップデートする方法】哲学者とは常識の破壊者!「常識外れ」こそがいつの時代でも世界をアップデートしてきた!

なぜ哲学や思想を学ぶ必要があるのでしょうか?それは固定観念を破るための方法を知ることができるからです。固定観念とはその時代の人にとってあまりに常識的なものとなっているので、それを信じている人には何が固定観念なのかも自覚できません。だからこそ哲学や思想を学ぶことで何が固定観念なのか?を見つけることができます。そして固定観念を見破る方法とそれを解決するための新しい方法を提示できるのです。

ソクラテスは「産婆術」という対話法によって誰もが思考を深める手法を確立しました

プラトンは理想の国家を提示することで国家がデザインできることを示しました

アリストテレスは観察によって新発見を重ねることで知識を増やす方法を明確にしました

デカルトは全てを疑い思考を再構築することでキリスト教の呪縛を解き放ちました

ルソーは権力者に支配されない民主主義というアイデアによって世界を一変させました

まずはそれぞれの時代における思想的な背景を知ることから始まります。そして各時代の哲学者たちの思想がどれほど「常識はずれ」だったのかを理解することで、どのようにして常識を打ち破るに至ったのかを見つけることができるはずです。現代におけるさまざまな常識―経済成長、エネルギー、多様性は本当に正しいのか?VUCA―すなわちV=Volatility(不安定)、U=Uncertainty(不確実)、C=Complexity(複雑)、A=Ambiguity(曖昧)の時代においてはこれまでのような論理だけにもとづいた思考ではなく、直感的に「真・善・美」を判断することができる哲学の素養が求められるのです。今回の動画を最後までご覧いただければ固定観念を破る思考を手に入れることができます。

1 古代の哲学

1-1 ソクラテス

古代ギリシアの哲学者といえばまずはソクラテスを思いうかべる人が多いことでしょう。ソクラテスが破壊した当時の常識は「天才だけが知識を独占する」ということでした。そして誰であっても知識を生み出せることを産婆術という対話法によって示したのです。ソクラテスは豊富な知識をもちながらも対話する時に相手の話を聞くことに注力しました。

「それはどういうことかな?」「これとこれを結びつけるとどうなるだろうか?」

このように問いかけることで相手は新しいアイデアを次々と口にするようになったのです。美青年で知力や武力に優れた当時の人気アイドルでもあったアルキビアデスはソクラテスと対話することで知識が湧き出る快感から常に行動を共にしていたそうです。当時はプロタゴラスのようなソフィストから知識をさずけてもらうことが常識でした。しかしソクラテスは対話によって誰もが知識を生み出すことができることを示したのです。

それだけでなくソクラテスの方法はソフィストの無知を暴き出す弁証法にもなったのです。ソクラテスはプロタゴラスにも同様に質問してみることにしました。プロタゴラスは得意の弁舌を披露するのですがソクラテスは質問を続けていきます。するとプロタゴラスは次第に矛盾する話をすることになって自らの無知を白日のもとにせざるをえなくなったとされているのです。ソクラテスのこのような経験をもとに「私が優れているところがあるとすれば、それは自分の無知を自覚している点である」という無知の知の逸話が生まれたのです。

ソクラテスの産婆術は現代におけるコーチングにもつながっているのです。5W1Hを本人に考えさせることによって解決法に至ることをアシストするコーチングは、まさにソクラテスの産婆術でありソクラテスの弟子は現代まで連綿と繋がっているのです。

1-2 アリストテレス

ソクラテス以前はどこかの天才が知識を創造するということが常識とされていました。ソフィスト以外では数学の天才ピタゴラスや医学の父ヒポクラテスなどがまさにそうです。しかしアリストテレスもまたソクラテスとは別の形で知識の発見方法を提示しました。それが「観察」という方法です。観察とはただ見るのではなく、意識的に新しい発見を探求しようとする行為のことです。

看護師として有名なフローレンス・ナイチンゲールは、「経験をもたらすのは観察だけである」という言葉で気づくことの大切さを指摘しました。アリストテレスはあらゆるものを観察することを通して博物学、倫理学、政治学、論理学、心理学などあらゆる学問を体系化しました。アリストテレスが「万学の祖」といわれる所以がここにあります。

アリストテレスの観察はあまりに強力であったことから中世では避けられてしまうのです。現実をよく観察することでキリスト教の教えと矛盾する事実が見つかってしまうからです(そのためアリストテレスの著作は禁書にも指定されてしまいました)。アリストテレスの哲学はヨーロッパではなく中東の地で受け継がれていきます。そして約1000年後の十字軍によってヨーロッパに逆輸入されることになるのです。アリストテレスの観察は長く続いたキリスト教の支配を打ち砕く一筋の光となります。そしてルネサンスをへた後にガリレオやケプラーが天体を観測したことによって教会が正しいとしてきた天動説から地動説へのパラダイムシフトが起こるのです。

2 中世の哲学

ギリシア文明のあとにヨーロッパを支配したのはローマ帝国でした。そのローマ帝国と結びつくことで勢力を拡大したのがキリスト教です。313年にコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認したことが大きな転換点でした。しばらくして「ゲルマン人の大移動」によって西ローマ帝国は滅びることになります。その結果、農地は荒れ果て経済ネットワークは機能不全に陥ります。さらに寒冷化も重なったことで食糧生産が大幅に減ってしまいました。数百年に渡って技術も文化も停滞することになった中世が「暗黒時代」といわれる所以です。

日々の生活もままならない状態では学問をすることもできなかったことでしょう。そのためこの時代では文字の読み書きができるキリスト教の僧侶が指導者となったのです。時代が動き出したのは1096年に行われた十字軍による中東遠征がきっかけです。十字軍はイスラム教徒に支配されていた聖地エルサレムを奪還することがその目的です。十字軍は異教徒を人間とはみなしておらず現地の人たちを大量虐殺したことからエルサレム宮殿はくるぶしまで血の海に浸かったとさえいわれています。

しかしそこで思わぬもの―古代ギリシアの哲学に出会うことになるのです。もともとは西欧で発展したにもかかわらずその存在を忘れていたことに気づくのです。さらにイスラムの英雄サラディンが十字軍の捕虜を釈放したことも大きな出来事でした。軍事に優れるだけでなく賢くて寛容なサラディンが立派だと認めざるをえませんでした。正義のための軍隊である十字軍は幾度となく派遣されますがいずれも失敗します。(第4回の遠征では同じキリスト教のコンスタンティノープルを陥落させました…)

そのためキリスト教が正しいと信じてきた人たちは大きな疑惑を抱くようになります。これが後のルネサンスと宗教改革を引き起こし啓蒙の時代へとつながる契機となりました。

2-1 アウグスティヌスとトマス・アクイナス

アウグスティヌスはキリスト教カトリック教会における「最大の教父」とされています。彼は教会を絶対的な存在と定め「神の恩寵による救い」の理論を展開しました。またアウグスティヌスの『告白』には現在のビックバン理論に似た記述が残されています。この世界は時間も流れない、物質も空間も何もない状態から生まれてとされているのです。

トマス・アクイナスはスコラ哲学の代表的な神学者です。キリスト教の教えでは聖書にこの世の全てが記されているとしていました。しかしアリストテレスの観察はその矛盾を発見してしまうことになりかねません。そこでアリストテレスの哲学とキリスト教の信仰を調和させて、そこから再解釈することで信仰と理性の一致をめざしました。神の存在証明においては「地球のまわりを動いている太陽などは誰かが動かしたから動いているのであり、それができるのは神に他ならない(なぜならアリストテレス哲学では「動かし手」がいるはずだから)」として神の存在を証明しました。『神学大全』ではアリストテレス哲学はキリスト教を補完するものと位置づけられました。そして「哲学は神学の婢」という有名な言葉を残したのです。

2-2 ジョバンニ・ボッカッチョ

カボチャのメロンでおなじみボッカッチョの『デカメロン』は中学の歴史教科書にも掲載されているのですがその内容はまさに「エロ本」です。なぜエロ本が中学の教科書に載っているのかといえばこれが世界史を変えたからなのです。当時の支配者であった教会の僧侶たちは圧倒的な権力をもつことで腐敗していました。庶民はそのことに気づいていたもののそれを指摘すれば地獄に落ちるとされていました。そこでボッカッチョは僧侶の堕落ぶりを「エロ本」という形で描き出すことにしたのです。ボッカッチョは悔い改めなければ天罰がくだると僧侶に脅されていましたが、意外にも平穏な日々をおくることができたのです(さすがに死の直前には怖くなって悔い改めたと言われていますが…)。

ボッカッチョによる命がけのエロ本を見た人々は「僧侶の悪口いいんだ」と思いました。なんとキリスト教の常識をエロ本がぶち壊したのです!その結果ルネサンスが花開くことにつながっていくことになったのです。女性の裸などもってのほかとされていた時代にもかかわらず、サンドロ・ボッティチェリは『ヴィーナスの誕生』『プリマヴェーラ』を描きました。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』やミケランジェロの『ダビデ像』、そして本チャンネルのモチーフでもあるラファエロの『アテナイの学堂』なども有名です。ルネサンスの華やかさがアルプス山脈より南のイタリアが中心であったのに対して、北のドイツでは全く正反対の運動―宗教改革が展開されていきます。

2-3 コペルニクス、ガリレオ、ケプラー

ルネサンスは芸術だけでなく天文学にも大きな影響を与えることになりました。しかしそれはキリスト教の教えを根底から揺るがす大事件へとつながっていくのです。当時はプトレマイオスによる地動説が信じられていました。神がつくった地球こそがこの宇宙の中心であるという考え方です。そのためそれ以外の考え方を異端とみなして数々の悲惨な行いが続けられていました。そんな中ニコラス・コペルニクスは「地球が太陽の周りを回る」という地動説を唱えました。ただしその精度はまだプトレマイオス論よりも低かったのであまり浸透しませんでした。

しかしガリレオ・ガリレイやヨハネス・ケプラーが天体を観測したことによって、地動説の方が日食や惑星の動きをより精確に予測することができるようになったのです。これによって「人間は主役ではない」という認識の変化が起こったのです。天動説では地球は宇宙の中心であり人間は神が創造した特別な存在だとされていました。しかし地動説では王様も僧侶も誰もが同じ脇役に過ぎないということになるのです。キリスト教の世界観を破壊した地動説の登場によって、自由な思考によってものごとの真理を解明しようとする啓蒙の時代が幕を開けるのです。

3 近代の哲学

3-1 ルネ・デカルト

デカルトが生きた時代はまさに宗教改革の真っただ中でした。旧教と新教による争いが続きどちらを信じればよいのか―そもそも何を信じればよいのかもわからない時代だったのです。そんな時代にデカルトはものごとを理性によって合理的に考えることを提案したのです。デカルトは混迷する時代の中で真実を見抜くための方法を探求しました。そしてあらゆるものを疑ったとしても疑えないものがあることを見つけたのです。それが疑っている自分の存在があることだけは疑えないということです。これが最も有名な命題「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」です。

デカルトが提示した合理的世界観によって誕生したのが無神論者です。(それまでは神の存在を否定するものは火あぶりの刑になっていたのですから)。デカルトの後をスピノザやライプニッツが引き継いで大陸合理論が発展したのに対して、イギリスではベーコンやヒュームによるイギリス経験論が発展していくようになりました。そのため、デカルトは「近代哲学の父」とよばれることになるのです。

3-2 ジャン=ジャック・ルソー

この時代のヨーロッパでは「絶対王政」が当たり前とされていました。そのような時代にルソーは1人1人の国民の意志が統合されることによって、国家の方針が決まるという民主主義を構想したのです。ルソーの『社会契約論』はのちのフランス革命に大きな影響を与えることになりました。絶対王政という当時の常識を打ち破ったルソーの功績はとても大きいものといえます。

またルソーは教育学という分野も創設したといわれています。『エミール』という著作の中で子どもにどのような教育をするべきかを説いたのです。当時は子どものことをムチなどで厳しく育てることが大切とされていました。しかしルソーは「子どもは大人とはちがうのだから自由な教育をするべきだ」と考えました。これが現代でも注目されているモンテッソーリ教育などに通じるようになるのです。渡辺京二の『逝きし世の面影』では明治の子育ての様子が西洋人の視点で紹介されています。そこでは、日本では子どもをとてもかわいがって育てているのに立派に育つ様子を見て、西洋人たちが驚いているという事例が多数紹介されているのです。(寺子屋の学習システムのすばらしさは現在でもたびたび紹介されています)

もしかしたら日本で当たり前に行われていた教育法が西洋に紹介されたことが、ルソーの教育法をヨーロッパに定着させることにつながっていたのかもしれません。いっぽう、日本は明治維新をへてヨーロッパの方法を取り入れたことで、現在のような教育崩壊という問題を抱えることになってしまったのかもしれません。ただしルソーは5人の子どもを孤児院の前に捨てたり、女子の前で破廉恥な行動をするなど哲学史の中でも指折りのクズ人間でした(笑)ルソーがこのような常識を打ち破る発想をもてた理由はどこにあったのか全くの謎です…。

3-3 アダム・スミス

「経済学の父」とよばれる古典派経済学の創始者こそがアダム・スミスです。スミスは政府があれこれ経済活動に口を出すのではなく市場に任せればいいと言いました。なぜなら「神の見えざる手」という調整機能が自然にはたらくからだと考えたのです。この時代は、国がやたらと商売に口を出してくる重商主義の時代でした。国がルールや規制をつくることでかえっていろいろな混乱も起きていたのです。そこでスミスはあまり口を出すのではなく「見えざる手」に任せるべきだと主張しました。

しかし自由競争がいきすぎると問題になるのが「格差の拡大」です。新自由主義という立場ではこれを拡大解釈して貧富の差を助長することになっています。スミスの「見えざる手」は国があれこれ口を出すことを戒めるためのものでした。もしかしたらスミスは新自由主義による格差の拡大に対しては反対するかもしれません。なぜならスミスは『道徳感情論』という本を書くほどの不条理を許さない人だったからです。

3-4 カール・マルクス

それまでの社会とは全くちがう姿を構想したのがカール・マルクスです。それは資本家や権力者が国を治めるのではなく労働者が国を治めるというアイデアでした。マルクスの著書『資本論』は共産主義をいかに実現するのかを書いたものではありません。むしろ資本の動きや影響力をするどく分析した資本主義の研究所という側面が強いのです。だからこそマルクスは資本主義が究極にまで発達すればいずれは労働者が支配者になり、労働者が国を治める「共産主義」に進化するはずであると考えたのです。

マルクスはみんなが平等で貧富の差がなくなるという理想の社会を構想しましたが、実際には資本主義の発達していないロシアやアジアの国々で共産化の動きが起こりました。その結果、共産主義は一党独裁による自由のない体制というイメージが強く残るのです(あの国やあの国を思い浮かべて頂ければよくわかると思います…)。ただしなぜ共産主義が世界中に広がったのかを検証することにも意味があるはずです。「共産主義は悪」という常識がいつか逆転する日が来るかもしれないのですから。

3-5 フリードリヒ・ニーチェ

デカルトの合理的にものごとを考えるという姿勢を発端にさまざまな思想が誕生しました。ルネサンスや宗教改革をへてキリスト教の影響力は日に日に弱くなっていきました。これら近代の合理性の終着点ともいえるのが「神は死んだ」で有名なニーチェです。ニーチェの哲学はキリスト教道徳の背景にある弱者のルサンチマン(嫉妬)を批判するところから始まります。皆さんも「お金もちは心が汚れているからお金なんかいらない」とか「遊んでばかりいたら後で後悔するから勉強しようかな」とか思ったことありますよね。本当はお金持ちになりたい、本当はみんなと遊びたいという気持ちを押し殺してそうではない自分のことを正当化するあのさみしい感情のことです(泣)

ニーチェはこのような感情のことをルサンチマンだと批判したのです。そしてキリスト教に対してとどめをさしたのが「神は死んだ」の一言だったのです。人々は信じるものを失いこれから何を信じて生きていけばいいのかわからなくなりました。ニーチェはこの世界に意味や目的などなく虚無なる生が永遠に繰り返されると考えました。これを「永劫回帰」といいます。しかし永遠に繰り返されるならもう一度歩みたいと思えるような人生を送ること―意味や目的がなくてもそれを受け入れ力強く生きることこそが大切であると言ったのです。否定的な現実をありのままに引き受けて(これを運命愛と言います)、「これでよい!」と自己肯定することで主体的になることができるのです。

そして「力への意志」でニヒリズムを克服するべきであると考えました。「力への意志」とは自分のことを肯定して成長しようとする力のことです。ラクダのような忍耐力と獅子のような精神自由、そして幼児のような創造力をもつ「超人」となることを求めたのです。このような時代背景のもとで「超人」というよびかけに反応して誕生したのがヒトラーやスターリンのようなカリスマ指導者なのかもしれません。

ドイツの哲学者エーリッヒ・フロムは「自由には不安がつきまとう」と指摘しました。近代になって資本主義が台頭して市民社会が成熟していったことで、人々は封建的な旧来の権威から自由になることができたとフロムは言いました。しかしそれと引きかえに自分をつなぎとめていた絆の安心感を喪失してしまったのです。その結果としてわたしたちは孤独の不安に耐えかねて自分がすがることのできる権威に屈してしまうこともあると指摘しました。全てを自分で決める責任の重さより判断を委ねる安楽さを選びたくなることがあるのです。そして自由からの逃走が招いた最悪の事態こそがナチスのファシズムだったのです。フロムは著書『自由からの逃走』において民衆がナチスに傾倒する心理を分析したのです。

4 まとめ

今回は「固定観念を打ち破る哲学と思想」について考えてきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだありますので、ぜひ本書を手に取って世界をアップデートする方法を身につけてください。

「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。「人間は思考することをやめてしまえば誰もがナチスのような巨悪になりうる」公共哲学の哲学者ハンナ・アーレントはこのように言いました。これからも「哲学」のおもしろさを発信していきますので、ぜひゼロから一緒に学んでいきましょう。

そしてこの動画をみてくれたあなたが「贈与」の差出人になってくれたら―そんな人が1人また1人と増えていくことでこの社会は少しずつよくなっていくはずです。この動画を作成したわたしはある意味では「差出人」の立場になりますので、それが皆さんのもとにきちんと届くかどうかはわかりません。しかしこのチャンネルを通してあなたが贈与を受け取っていたことに気づくことができる、そんな動画をこれからも制作していきたいと思います。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。

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