【体験の哲学】今世紀最大の哲学書『刃牙』に学ぶ地上最強の哲学活用法!漫然と生きるなッッ、思考を覚醒させろッ!

哲学×ビジネス

こんにちは「あてのない学堂」へようこそ。「Re:ゼロから始める哲学生活」今回は「地上最強の人生に役立つ哲学活用法」について考えていきましょう。参考文献は『体験の哲学』(著者:飲茶さん)です。

【体験の哲学】今世紀最大の哲学書『刃牙』に学ぶ地上最強の哲学活用法!漫然と生きるなッッ、思考を覚醒させろッ!

「哲学をどのように人生に役立てればいいのか?」という動画をいくつも出してきました。しかし実はそもそも哲学というのは「役に立つ/立たない」で考えることではないのです(汗)それよりも「役に立つとは何か?」というようなことを考えることが哲学なのです。そうはいっても実際に哲学を学んだことが人生の役に立ったということもあるはずです。そこで本書では「体験の哲学」つまり実践(体験)してわかることが紹介されています。

人生とは選択の連続であり成功するかどうかは運次第という側面もあります。だからこそ今回は哲学者のむずかしい格言やありがたい書籍ではなく、「何をどう選ぼうが幸福になれる哲学」が紹介されています。まさにどのような選択をしても幸福になれるという意味で最強の哲学といえます。本書の最大のポイントは巻末に記されているチェックリストをコンプリートすることです。

たとえば「ジョギングをする」「イチゴを食べる」というようなものなどです。なぜこんなことを奨めるのか―その答えは今世紀最大の哲学書「刃牙」に登場します。それは父親と息子が食事をしている時のあるシーンです。刃牙が「いただきます」と会釈した時に父親が「何に頭を下げたのだ?」と問うのです。そして「なっちゃいない。漫然と口にモノを運ぶな。何を前にし―何を食べているのかを意識しろ。それが命喰う者に課せられた責任―義務としれ」と諭すのです。これが刃牙の中でも屈指の名シーンとされるところです(そのため本書の帯には父親の範馬勇次郎が使用されているのです)

今回の動画を最後まで見て頂ければ必ず誰でも幸福になることができます。なぜなら「体験の哲学」こそが地上最強の哲学活用法だからです。まずはこの言葉を胸に刻んで動画を視聴してみてください。「なっちゃいない。漫然と日常を生きるな。何を前にし、何をしているかを意識しろ!」

1 体験の哲学とは?

みなさんは日常の動作を漫然と繰り返していることはないでしょうか?イギリス経験論のヒュームは「人間は知覚の束である」と言いましたが。これにならって言えば「人生とは体験の束である」と言い換えることができます。ということは体験の質を向上させることができれば人生の質も向上させることができ、体験が豊かになれば人生も豊かになると考えることができるのではないでしょうか?同時に「体験を意識していなければ人生もまたぼんやりしたものになってしまう」のです。本書ではこの問題を解決するためにいくつものチェックリストが用意されているのです。本書の解決するべき課題はここにあり、その結論を先に述べてしまえば、「普段見過ごしている日常的な体験に目を向け、その体験を意識して味わって生きる」です。

「生きている」とはどういうことなのか考えてみてください。デカルトのようにあらゆる条件に先立って絶対に必要な、生きていることの条件を問えば、「生きているとは、何らかの体験をしてそれを感じている状態のこと」だと言えます。体験とは主観的に見出される生き生きとした意識過程のことです。リンゴを見た時にイメージできるあの赤い感じや食べた時にシャキッという音など、あなたの意識に何かが起こった時はすべて体験したと考えることができるのです。

また思考も意識に映し出される感覚の1つであり体験と考えることができます。だからこそ意識に何もあらわれなくなったらそれは暗闇の中にいるのと同じであり、思考もなくなってしまえば暗闇にいることすら気づくことができなくなります。このような完全なる無の状態が永遠に続くことが死だと考えることができます。当然この時わたしたちは時間を認識することもできません。これはまさに熟睡している時と同じ状態だといえます(夢を見ている時は浅い眠り)。だからこそ熟睡して目が覚めると時間が消し飛んでしまったように感じるのです。では熟睡している時にわたしたちは医学的な観点でみればたしかに生きています。しかし哲学的な観点で考えてみるとこのような状態は生きているとは言えません。だからこそ意識に体験が浮かび上がる状態こそが「生きている」ということなのです。

ここまで考えてみると体験がないことがいかに恐ろしいことかわかったと思います。にもかかわらず私たちは体験のすばらしさになかなか気づいていません。人生を豊かにするはずの素晴らしい体験の数々をどうでもいいことと思っていませんか?子どもの頃は自分に起こるどんなことにも感動していたはずです。しかし大人になるにつれて1つ1つの体験に感動することをわすれてしまうのです。このような状態はいわば「哲学的ゾンビ」と表現されるような状態です。熟睡して気がついたら寿命を迎えていたというような考えたくもない状況のことですが、多くの人は哲学的ゾンビになっていることにすら気づいていないのです。

本書では人生を豊かなものにするための「体験」について紹介されています。しかしそれは決して非日常的でプレミアムな特別なものを指しているわけではありません。そうではなく「体験そのもの」の重要性に気づいてこの瞬間の体験を意識できること、つまり日常生活をしっかりと味わう生き方を身につけることが大切なのです。これはまさに「禅」の生き方そのものだといえます。東洋哲学における「今この瞬間を味わう生き方」こそが本書のチェックリストなのです。たったこれだけであなたの人生は劇的に豊かなものになるのです。疑っている人は次のパートを見ながら実際に試してみてください

2 体験の効能

2-1 未体験に気づくことができる

体験のチェックリストの効能の1つ目は「未体験に気づくことができる」ということです。なぜ私たちがぼんやりと―哲学的ゾンビのように生きてしまうのかといえば、それは知っていることが繰り返されるからです。どんなに感動する映画を見たとしても何度も見ていればさすがに興味をなくしますよね。いっぽう「知らないこと」「未体験のこと」であればその体験に目を向けることができます。行ったことがない場所であれば道をどちらに曲がるかを考えるだけでもドキドキします。

これはまさにソクラテスの「無知の知」の神髄ともいえるものです。無知の知のことを「知ったかぶりはよくない」程度に思っている人がいますが、実は多くの人が「自分は世界を知っている」と思い込んでいることに気づいていません。たとえばフルーツについてあなたはどれくらい知っていますか?世の中には多くのフルーツがあるにもかかわらず食べ飽きたと思っている人はいませんか。自分の知っているものだけで構成された世界で生きていれば、意識はそのうちぼんやりモードになっていずれ哲学的ゾンビになってしまうのです。

だからこそ本書のチェックリストを活用するのです。チェックリストは一覧になっているので未体験のものが一目でわかります。まさに無理矢理にでも無知の知を自覚することができるようになっているのです。最終的には同じものにでも意識をはっきりさせて体験することが望ましいのですが、まずは子ども時代のように未体験のものにドキドキする感覚を思い出してみてください。

2-2 体験を思い出す

チェックリストを見ることで知らないことを自覚することができたとします。では知っていることについては不要な情報だったということになるでしょうか?実はすでに知っている体験についてもこのように考えることで価値に気づけます。「いつ食べたかな?」「どんな体験だったかな?」

イギリス経験論のベーコンは「人間には4つのイドラ(偏見)がある」と言いました。その中の「市場のイドラ」で「噂話を真実だと思ってしまう」というものがあります。実は未体験であるにもかかわらず知っていると思い込んでいることはありませんか?たとえば「猫にまたたび」という言葉を知っていると思いますが、またたびがどのようなものかあなたは知っていますか?本当に猫にまたたびを与えると酔っぱらってふにゃんとなってしまうのでしょうか?人間には体験していないにもかかわらず言葉の上でのみ知っていることがかなりあります。その前提であらためて体験のチェックリストを見てみましょう。この時「知っている」という先入観を捨ててそれを本当に体験したのかを考えてみましょう。もし思い出せないのであれば、それはぜひ体験してみる価値があるものだといえます。

ベーコンは言いました「(体験にもとづく)知は力なり!」と

2-3 体験に行く

哲学的な考えでは「存在する」とはそこに関心を向けるから存在するということができます。この写真を見て都会の風景だとわかるのはあなたが都会という存在に関心があるからです。もし別の星の生命体が見たらただのモヤモヤした模様にしか見えないかもしれないのです。では、仮にあなたが「キャンプ」に興味がない人であったとしましょう。あなたは「キャンプ用品店」の前を通り過ぎたとしてもきっと何も思わないことでしょう。「関心のないもの」しかない世界ではどこへ行ってもワクワクすることはないのです。

そこで体験のチェックリストには「行く」という項目もついています。まずはこのチェックリストにある場所へ行ってみてほしいのです。そしてできるかぎり隅から隅までよく見て回るようにしてください。そうすることで、はじめは興味がない場所でも意外と新しい発見が見つかるものです。

「キャンプ用品にはこんなにもいろいろな種類があるのか」「テントはこんなふうに組み立てるのか」「思ったよりもデザインがかっこいいな」

このように、無関心な場所というのは未知の体験をさせてくれる場所でもあるのです。またファッションについても考えてみてください。ファッションに興味がない人もふだん自分が身に着けないものを選んでみてほしいのです。なぜなら「何を美しいと感じるのか」を考えることもまた哲学だといえるからです。

これは古代ギリシアのプラトン以来ずっと考えられ続けてきたテーマなのです。ドイツ観念論のカントの著した三大批判書はそれぞれ「真善美」を考察した哲学書です。人間とは理性と感性をもった存在であるためその両方を知ることが大切です。カントは「何を正しい(真)」と思うのかを考えることで理性を解明し、「何を美しい(美)」と思うのかを考えることで感性を解明しようとしたのです。美についてもっと知りたい方はぜひこちらの動画もご覧ください。

【世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?】論理から直感へのパラダイムシフトと「真・善・美」を判断するための哲学の教養

2-4 体験の価値>知識の価値

著者はこれからの時代において知識の価値よりも体験の価値が大きくなると述べています。なぜなら知識はネット検索をしればだれでも知ることができてしまうからです。しかし体験にはあなたにしかできないオリジナルの価値が備わっています。どれだけネット知識があったとしてもあなたが体験したオリジナリティにはかないません。ぜひいろいろな人とオリジナルの体験を語り合うようにしてみてください。もしその人の体験に興味がもてなければあなたはその人のことに関心がないといえます。だからこそその人の体験を知りたい(あるいは知りたいと思ってくれる)人こそが、あなたにとって大切にするべき友人であると考えることができるのです。

ぜひこれからは「知識のストック」よりも「体験のストック」を、「知識の交流」よりも「体験の交流」を大切にするようにしてみましょう。そしてお互いの体験に価値を認めあえる人間関係を構築していくことこそが、充実した人生を送るために必要なことだと考えることができるのではないでしょうか。

アリストテレスは言いました。「友人がいなければ誰も生きることは選ばない、他のあらゆるものが手に入ったとしても」

3 西田幾多郎「純粋経験」

日本を代表する哲学者の西田幾多郎は「純粋経験」という言葉をつかいました。これは「まだ判断が加えられていない生の経験」のことです。常識的には、まず私と世界(主観と客観)が存在していてその後に、私が世界を知覚することで経験が発生すると考えますが西田は反対だと考えたのです。つまり、まず経験が存在していてその後に判断によって私と世界が生み出されるという考え方をしたのです。

西田は「個人があって経験があるのではなく、経験があって個人がある」と言いました。この個人と世界が生み出される(判断する)前の「主客未分の生の経験」―これが「純粋経験」であり、これこそが「真の実在(自己)」であると考えたのです。西田は禅をもとにその哲学を体系化していきました。

私たちは経験を通して自分という存在を規定していくと思っているのですが、東洋哲学においてはそもそもそのような自己は存在しないものとしているのです。東洋哲学についてはこちらの動画をぜひご覧ください。

【自分とか、ないから。-教養としての東洋哲学-】東大卒こじらせニートが超訳する生きづらさが楽になる7人の東洋哲学者たちの悟りの境地!

つまり経験をもとに生み出された自己イメージは幻想であり、現実に存在するのは自己イメージを生み出す元になる経験そのものなのです。まさに「自分とか、ないから」ということです。本書で述べられてきた体験とは、まさにこの「純粋経験」のことなのです。なぜなら「何をどう選んでも幸福になれる最強の哲学」とは「あなた自身=真の自己=純粋経験」を見つけることだからなのです。そのためのヒントは芸術鑑賞にあります。西田は偉大な芸術作品に圧倒されている時には主客未分の状態であると考えました。このような瞬間そのものが真の自己だといえるのです。本書の最大の目的は芸術鑑賞にかぎらずあらゆる体験でこの境地に達することです。キュウリを食べている時にも偉大な芸術を鑑賞するような気持ちで食べてみましょう。キュウリとあなたの区別がなくなるような―キュウリを食べた体験そのものこそが真のあなたであると気づくことが大切なのです。

4 まとめ

今回は「地上最強の人生に役立つ哲学活用法」について考えてきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだありますので、ぜひ本書を手に取って体験のすばらしさを忘れないようにしてみてください。

「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。「人間は思考することをやめてしまえば誰もがナチスのような巨悪になりうる」公共哲学の哲学者ハンナ・アーレントはこのように言いました。これからも「哲学」のおもしろさを発信していきますので、ぜひゼロから一緒に学んでいきましょう。

そしてこの動画をみてくれたあなたが「贈与」の差出人になってくれたら―そんな人が1人また1人と増えていくことでこの社会は少しずつよくなっていくはずです。この動画を作成したわたしはある意味では「差出人」の立場になりますので、それが皆さんのもとにきちんと届くかどうかはわかりません。しかしこのチャンネルを通してあなたが贈与を受け取っていたことに気づくことができる、そんな動画をこれからも制作していきたいと思います。本日の旅はここまでです。ありがとうございました。

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