【名画で学ぶ新約聖書】眠れなくなるほど面白い聖書の物語を名画で完全解説!後編「新約聖書」編

哲学×宗教

今回は「名画で学ぶ新約聖書」について解説したいと思います。参考文献は『一冊でわかる名画と聖書』(監修:船本弘毅さん)です。

【名画で学ぶ新約聖書】眠れなくなるほど面白い聖書の物語を名画で完全解説!後編「新約聖書」編

世界で一番のベストセラーになっている本を知っていますか?実はユダヤ教やキリスト教の聖典となっている「聖書」が最も売れた本なのです。なぜ、哲学のチャンネルで「宗教」なのかと疑問に思われた方もいるかもしれません。今日の世界の共通ルールの多くは西洋中心に決められたものが多く、そこにはユダヤ教やキリスト教が大きな影響を及ぼしているのです。

キリスト教は西洋文化の根底にあり2000年の歴史と20億人の信徒をもっています。だからこそ、キリスト教をはじめとする宗教への理解も必須の教養となるのです。しかし、「宗教」は明治維新の後に翻訳された概念であることから、「芸術」「哲学」のように日本人にはどうにも馴染みのないものだと思ってしまうものです。

そこで、今回の動画では「聖書」について名画を通して解説したいと思います。名画で視覚的なイメージをもつことで聖書の内容もイメージがしやすくなると思います。今回は後半として「新約聖書」の内容を解説します。宗教に対する正しい教養があれば世界を少し高い視座から見ることができるはずです。ぜひ、動画を最後まで見て頂き宗教に対する正しい教養を身につけてください。

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1 聖書とは何か?

日本人にとって聖書は何の関係もないものと思われる方も多いかもしれません。しかし、身近な日常生活の中にも聖書の影響はたくさんあらわれているのです。世界中の国々の国旗にも聖書にその起源を見つけることができます。

たとえば、デンマークやギリシアなどの国旗には十字架が描かれています。これはイエスが十字架刑に処された時の十字架をあらわしているのですが、イエスが人類の原罪を贖うために十字架を背負ってくれたという愛の印でもあるのです。そのため、十字架の国旗を掲げる国はキリスト教の国家であることを宣言しているのです。

ほかにも、アメリカの大統領が就任する際には左手を聖書に置くという慣例があります。また、欧米の人たちはジョン、マイケル、ダニエルなどの名前が多いのですが、ジョンは聖書に出てくるイエスの弟子ヨハネの英語読み、マイケルは聖書に出てくる天使ミカエルの英語読み、そして、ダニエルは旧約聖書に出てくる預言者ダニエルからとられているのです。

日本の命名辞典には縁起のいい名前や画数で決められた名前などが掲載されていますが、欧米では聖書に所縁のある人物の名前ばかりが掲載されているのです。(そのため、ここに掲載されている名前以外を使用することは基本的にできないのです)

ポールであればイエスの使途パウロのような人物にという願いがこめられていて、ピーターであれば同じ使徒ペテロのような人物にという願いがこめられているのです。ディズニーランドにいるあのネズミも天使ミカエルがもとになっていて、ミカエルがイタリア語になるとルネサンスの巨匠ミケランジェロになるのです。

ディズニー映画『ピノキオ』は旧約聖書のヨナ書に出てくる物語がモチーフになっています。地名にも聖書に関わるものが多くロサンジェルスは天使を意味する地名であり、サン、セイント、サンタなどが頭につく地名も聖書にもとづいた地名なのです。ブラジルのサンパウロ、アメリカのセントルイスやサンタクララなどが思い当たります。また、ロシアのサンクトペテルブルグは「聖ペテロの街」という意味であり、フランスのモンサンミッシェルは「聖ミカエルの山」という意味があるのです。

このように、私たちの生活に聖書の影響がものすごく及んでいることがわかると思います。聖書を知ることで新しい世界のものの見方や考え方を知ることができるはずです。それでは、『新約聖書』の解説を始めたいと思います。

2 新約聖書

『新約聖書』はこのような27の文書で構成されています。「福音書」はイエスの言行が記された4つの書物のことです。「使徒言行録」はペテロやパウロの人生と弟子たちの伝道の様が描かれた書物のことです。「公同書簡」は十二使徒が記したとされる書簡など(一部偽造?)のことです。「黙示録」は人類の滅亡と最後の審判の様子が描かれた唯一の預言書のことです。

バビロンから解放されたユダヤの民はエルサレムで過ごしていましたが、アレクサンダー大王の統治下に入ったりセレウコス朝シリアに支配されたりしていました。ヘレニズム時代の到来によって異国の文化が流入したり弾圧を受けたりするのですが、ユダヤの民はかたくなに民族の伝統を守り続けていたのです。

やがて、ハスモン家がセレウコス朝の内紛に乗じてハスモン朝を樹立します。ハスモン家は政治・宗教的な指導者の立場となってユダヤ民族を独立に導きました。しかし、ハスモン家による政権末期には王位継承の混乱に乗じて、ローマ帝国がエルサレムに侵攻してユダヤ人の領土を大幅に割譲させてしまったのです。

この時、ヘロデという人物がローマと結託してユダヤ人の王となることに成功しました。ヘロデは政治家としてはとても優秀でユダヤ人の領土を回復したり、ローマの建築技術を学んでエルサレムの第三神殿を再建したりしたのです。しかし、ヘロデは猜疑心が強かったので罪のない多くの人たちを粛正していきました。異民族出身のヘロデによる横暴な政治に対してユダヤ人たちは憎みを募らせていきます。

さらに、ユダヤ教の内部でも律法遵守に固執する傾向が強まっていき、パリサイ派やサドカイ派のように分裂していくなど混乱を極めていきました。このような時代背景のもと、ユダヤ人たちは次第に救世主の誕生を望むようになるのです。そして、エルサレムの祭司ザカリアとナザレのマリアのもとに天使ガブリエルがあらわれ、それぞれに「受胎告知」を行うところから『新約聖書』の物語は始まるのです。

「受胎告知」-洗礼者ヨハネ編- ロヒール(1459年/国立絵画館)

ナザレのマリアに対する「受胎告知」はとても有名ですが、実はそれより前にもう1つの「受胎告知」があったことをご存じでしょうか?エルサレムの祭司ザカリアの妻エリサベトはナザレのマリアの親類でした。

ある日ザカリアのもとに天使ガブリエルがあらわれ、やがて生まれてくる男の子にヨハネと名付けるように命じたといわれています。この時に生まれたヨハネこそ、後にイエスに洗礼を授ける洗礼者ヨハネだったのです。ちなみに、天使ガブリエルはナザレのマリアに対して受胎告知をするだけでなく、イスラム教のムハンマドにも神の啓示を与えるために登場します(呼称はジブリール)

「受胎告知」レオナルド・ダ・ヴィンチ(1472年/ウフィツィ美術館)

ザカリアへの受胎告知から半年後にナザレのマリアのもとにも天使があらわれました。そして「おそれることはない、その子をイエスと名付けよ」と告げたといわれています。

実はマリアにはヨセフという婚約者がいたのですが、まだ夫婦の関係ではなかったことから「処女懐胎」であったといわれているのです。そのため、ヨセフは悩んだ末に婚約を解消しようとしたのですが、夢の中にも天使があらわれて「その子は精霊によって宿ったのである」と言ったのです。こうして、ヨセフとマリアは愛しることなくつつがなく誕生を待つことにしたのです。

この絵はダ・ヴィンチの事実上のデビュー作であると言われています。絵の中のマリアは『旧約聖書』の「イザヤ書」の一節―「乙女が身籠って男の子を生み、その名をイマヌエルと呼ぶ」を読んでいたとされています。天使ガブリエルは右手の2本の指を立てていますがこれは祝福を意味するポーズです。また、左手に持った白い百合は清らかで秀でた者のたとえとされていることから、白百合はほかの受胎告知の絵画のみならずキリスト教の聖人画にも数多く登場しています。

「イエスの誕生」ジョット・ディ・ボンドーネ(1304年/スクロヴェーニ礼拝堂)

ローマ帝国の支配下にあったユダヤでは住民登録をするために先祖の地へ赴くように全土へ勅令が出されました。そのため、出産間近であったヨセフはマリアと共にベツレヘムへと向かったのです。しかし、ベツレヘムには宿屋がなかったので馬小屋の飼い葉桶に寝かされたそうです。わざわざベツレヘムに向かった理由はヨセフがダビデの子孫であったことに由来します(ベツレヘムはダビデの生まれた場所)。

実際にはローマの勅令において先祖の地に戻る必要はなかったといわれていますが、聖書ではベツレヘムへ赴きその地でイエスが誕生したことになっているのです。なぜなら、ユダヤ教において救世主はダビデの家系に生まれるといわれていたからです。つまり、イエスはダビデの家系であるとするためベツレヘムに行く物語となったようです。

「東方三博士の礼拝」アルブレヒト・デューラー(1504年/ウフィツィ美術館)

「マタイ福音書」には次のようなエピソードが記されています。ユダヤの支配者ヘロデ大王のもとに東方から3人の占星術学者が謁見しにきました。彼らはユダヤ人の王としてイエスが誕生したことを知って場所を聞きにきたのです。猜疑心の強いヘロデは自分の地位を脅かすのではないかと心配になって、「もし子どもが見つかったらぼくも礼拝に行くから知らせてね」とだけ言うのでした。

学者たちは星に導かれてイエスのもとを訪れ黄金や乳香、没薬を捧げたといわれています。そして、礼拝を終えて帰ろうとした時に夢で「ヘロデのもとへ帰るな」というお告げを聞いたことから別の道を通ったとされています。

また、「ルカ福音書」では野宿をしていた羊飼いのもとに天使があらわれて、救世主の誕生を告げたことからあわててベツレヘムへ向かいイエスを探したようです。キリスト教ではイエスのことを良き羊飼いにたとえ、信徒たちはイエスに導かれる羊の群れであるといわれていることにも関係しています。

その後、ヘロデはベツレヘムの嬰児を皆殺しにしたといわれていますが、ヨセフとマリアは間一髪でこの難をのがれヘロデがなくなるまでエジプトで過ごしました。そして、ヘロデの死後にナザレにもどって神の子としての片鱗を見せ始めるのでした。

「洗礼者ヨハネ」

ザカリアとエリサベトの息子ヨハネは荒野で修業をした後にヨルダン川にあらわれました。そして「悔い改めよ、神の国は近づいた」と最後の審判が迫っていることを告げるのです。当時のユダヤ教は派閥ごとに互いの批判をするだけの形骸化した存在となっていました。そのため、ヨハネの教えが瞬く間に広がり全土から洗礼を受けに来るようになったのです。

人々はヨハネのことを救世主ではないかとうわさするようになるのですが、自分の後にあらわれる者こそが救世主であると告げその偉大さを説いたのです。ヨハネはラクダの毛の衣をまとってイナゴと蜂蜜を食料にしていたとされています。細長い葦の茎でできた十字架を手にしていたことからトレードマークにもなっています。

1947年に死海のほとりで「死海文書」が発見されました。これはユダヤ教エッセネ派のクムラン宗団が残したものと考えられています。ヨハネもこの一員だったのですがある時から単独で活動していたと考えられています。

「イエスの洗礼」ティントレット(1580年/サン・シルヴェスロ聖堂)

ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネの前にいよいよイエスが姿をあらわす時がきました。ヨハネは群衆の中にイエスを発見すると「私こそ洗礼を受けます」と恐縮したのです。イエスは「これは神の御心にかなう正しい道です」とヨハネに告げて洗礼を受けました。

この時、天が開けて精霊が鳩のように舞い降りてきて、「あなたは私の愛する息子、私の心に適うもの」という神の声を聞いたとされています。「マタイ福音書」や「ルカ福音書」ではイエスがヨハネのことを「救世主を紹介するために遣わされた預言者エリヤであり、最高の預言者」と語っています。もしかしたら、イエスはヨハネの弟子として教団を引き継いでいったのかもしれません。

「3つの誘惑」

ヨルダン川で洗礼を受けたイエスは荒野の中で40日間の断食生活を行いました。そして、飢えと渇きに耐えながら心を研ぎ澄ませて最終日をむかえたイエスのもとに、サタンがあらわれて欲望をあばきだそうと誘惑を始めるのでした。

まず「神の子なら石をパンに変えてみせよ」と唆すのですが、「人はパンのみに生きるのではない」と旧約聖書の言葉を引用して退けるのです。

つぎに、神殿の上に立たせて「神の子ならここから飛び降りてみせよ」と唆すのですが、「主を試してはならない」と旧約聖書の言葉でこれもはねのけるのです。

さいごに、高い山の上からあらゆる栄華を見せつけた後に、「ひれ伏して私を拝むのであればすべてを与える」と唆すのです。しかし、イエスは旧約聖書の言葉を引用して「退けサタン、あなたの神である主を拝みただ主に仕えよ」とサタンを撃退したのです。

「十二使徒」カラヴァッジョ(1600年/サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂)

サタンの誘惑を撃退したイエスはいよいよガラリアで伝道活動を開始しました。最初の弟子になったのは豊漁の奇跡に感激した漁師のペトロでした。また、同じく漁師のヤコブとヨハネの兄弟やペトロの弟アンデレも弟子入りしました。その後、ペトロをはじめとする12人を選抜して各地への伝道を命じたのです。後に十二使徒とよばれるイエスの直弟子たちはさまざまな立場の者たちで構成されました。

シモンはユダヤ独立運動を過激に展開する熱心党の一員であり、マタイはユダヤ人に憎まれていた徴税人だったといわれています。イエスの伝道活動で有名な逸話はやはり「山上の垂訓」です。イエスはガリラヤの丘の上で群衆を前にして神の国に入るための教えを説きました。これが8つの資質「八福」―心の貧しい者、悲しむ者、柔和なもの、正義に飢え乾く者、憐みの深い者、心の清い者、平和を実現する者、正義のために迫害される者です。

先述した通りこの時期のユダヤ教は律法を遵守することに囚われて形骸化していたので、イエスは律法を完成させるためであるとして新しい生き方を提示していったのです。たとえば、「目には目を…」の復讐法に対しては、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」のように答えたのです。

「イエスの奇跡」

イエスは伝道活動の中でさまざまな奇跡を起こしたといわれています。まず、ヤイロの娘ややもめの息子、そしてラザロなどの死者を蘇生させたとされています。つぎに、病を治癒したり悪霊を追い払ったりする奇跡を起こしたとされています。

これに対して、ユダヤ教の指導者たちは激怒したのです。なぜなら、病気になるのは律法を守らないからであるとして人心掌握をしていたのです。また、罪を赦すという行為は指導者だけの特権だったので、その立場を脅かす可能性のあるイエスの活動をだんだん糾弾するようになっていくのです。

ほかにも、当時のユダヤ社会において女性は低い地位に見られる傾向が強かったのですが、イエスは女性や異教徒たちにも分け隔てなく救いの手を差しのべたのです。有名なマグダラのマリアはイエスに7つの悪霊を追い払ってもらったことから、イエスにつき従って復活したイエスの最初の目撃者になったといわれています。

また、イスラエル人の血を穢したと蔑まれていたサマリア人にも同様に接したのです。サマリア人はイスラエル王国が滅亡した時に異教徒との混血として生まれた民族なのです。サマリア人といえば有名なたとえ話に「善きサマリア人のたとえ」というものがあります。ユダヤ人の旅人が強盗におそわれ倒れていたところ、ユダヤ人の司祭と神に仕えるレビ人はそこを通りかかっても助けようとせず避けたのだがサマリア人は敵対する関係であるにもかかわらず旅人を介抱して宿まで運んだ―さて、真に隣人であるといえるのはどちらであろうか…このようにイエスは問うたのです。

ほかにも、神の言葉をどのように受け止めるのかを説明するのが「種まく人」のたとえです。種は道端や石だらけの土地やいばらの間に落ちるのですがいずれも実ることはありません。しかし、良質な土地におちた種はもちろん何倍もの実を結んだというお話です。種とはイエスの言葉で土地はそれを聞く人たちのことをあらわしています。いくら神の言葉を伝えても信仰心がなければ実を結ばないということを説いているのです。ミレーの『種まく人』は岩波書店のロゴマークになっている有名な絵画でもあります。

このように、イエスは伝道活動の中で様々な奇跡や常識に捉われない教えを説きました。そのため、イエスのことを救世主であると信じる人々が増える一方で、ユダヤ教の指導者たちからは訝しがられるようになっていくのです。

「ペトロの信仰告白」ベルジーノ(1482年/システィーナ礼拝堂)

イエスはガラリアの北にあるフィリポ・カイサリアに赴いて際に、弟子たちに「あなた方は私を何者であるというのか?」と聞きました。そこで、ペトロは「あなたはメシア(救世主)で生ける神の子です」と答えたのです。これが、イエスを救世主と信じるという史上はじめての信仰告白であるとされています。

イエスはペトロのことを褒めて天国の鍵を授けたと言われています。そして、「私はエルサレムに行き長老や祭司長などから、多くの苦しみを受けて殺されるが3日後に復活する」と予言したのです。

そして、エルサレムへ向かったイエスはべタニアで弟子たちにロバを借りに行かせます。旧約聖書ではロバに乗ってエルサレムに入城する者はメシアであると記されていたのです。ロバに乗って入城するイエスを見てエルサレムの民衆は歓喜の声をあげて歓迎しました。イエスは預言を踏襲することによって、自分がメシアであることを主張したのです。

そのまま、エルサレム神殿へと向かったイエスはそこで目にした光景に愕然とするのです。なんと礼拝するための神殿で商売する店や両替商がずらりと並んでいたのです。イエスは商人たちを厳しく叱責してそのまま神殿から追い出してしまいました。両替商の台をひっくりかえしたり鞭を打ち下ろしたりするなど相当な怒りようでした。この絵画は、いわゆる「宮清め」といわれるイエスの有名な行動を描いたものなのです。

その後、ユダヤの指導者たち(特にパリサイ派)はたびたびイエスに難題をふっかけました。しかし、イエスは臨機応変な律法解釈により難をのがれていきます。そのため、ユダヤの指導者たちはいよいよイエスのことを亡き者にしようと企むのです。

「最後の晩餐」ダ・ヴィンチ(1472年/サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会)

イエスが処刑される前日―過越祭を祝う食事の時を描いたのが有名な「最後の晩餐」です。晩餐が始まる時、イエスは「この中のひとりが私を裏切ろうとしている」と発言しました。そして、「私といっしょに鉢に食べ物を浸した者である」と述べるのでした。

弟子たちは自分のことではないかと騒然としますがイエスは誰とは言わなかったのです。つぎに、イエスはパンを手に取って賛美の祈りを捧げてから、「これは私の体である」と告げながらちぎって弟子たちに渡していきました。さらに、ぶどう酒を注いだ杯をもち感謝の祈りを唱えて「これは多くの人のために流される私の血、契約の血である」と述べたのです。

イエスは儀式の最中、弟子のユダにパンを手渡した時に、「しようとしていることを、今すぐしなさい」と告げるのです。ほかの弟子たちは何を言っているのか意味がわからなかったのですが、その言葉を聞いたユダはあわてて外へと出ていったのです。

最も有名な宗教画といわれているのがレオナルド・ダ・ヴィンチの制作したこの絵画です。映画『ダヴィンチ・コード』ではさまざまな疑惑が物語のテーマになっていました。晩餐を終えるとイエスはゲッセマネの園(オリーブ林)で神に祈りを捧げていました。(この時ペトロとヨハネとヤコブもついて行くのですが待っている間に眠って怒られます)。

そこに、祭司長や群衆を引き連れてユダがやってきて、「先生、こんばんは」と言ってイエスに接吻をしたのです。なぜなら、ユダはあらかじめ自分が接吻をする相手がイエスであると伝えてあったのです。

イエスが捕縛されると弟子たちは全員が見捨てて逃げ出してしまったとされています。これが有名な「ユダの裏切り」なのですが福音書によって理由は異なっています。「マルコ福音書」では以前イエスに叱られたことを根に持っていたとされますが、「マタイ福音書」ではお金に執着していたことから銀貨30枚で裏切ったとあります。「ルカ福音書」や「ヨハネ福音書」では悪霊やサタンに憑りつかれたせいだとあります。

いっぽう、2006年にナショナルジオグラフィック協会が「ユダの福音書」を解読して、ユダは裏切ったように見えるがイエスの言いつけに従ったのであると記されていたのです。つまり、ユダはイエスの預言を成就させるため裏切り者の汚名を被ったことになるのです。その後、ユダは裏切ったことを後悔して銀貨を返してイエスの助命を懇願するのですが、願いが聞き入れられることはなかったので首を吊ってしまいました…。

「イエスの磔刑」

イエスは裁判の中で自らメシアであることを認めたことから、大祭司カイアファは神への冒涜であるとして死刑を宣言したのです。そして、ユダヤ総督ピラトのもとへ連れていきローマへの反逆人であると伝えたのです。

ピラトはイエスが無罪であると見抜いて過越祭に赦免できる権限をつかおうとしました。しかし、民衆はほかの罪人を釈放してイエスを十字架にかけるように要求したのです。ユダヤの民にとってメシアとはダビデのような強い英雄的指導者を想像していたのです。そのため、ユダヤを解放しようとしないイエスに愛想を尽かしてしまったのです。

ピラトはこの結果を受けてイエスを十字架刑にすると決めたとされるのです。この時に言った「この人を見よ」という意味のラテン語が有名な「エッケ・ホモ」です。

イエスは自ら十字架を背負って刑場のあるゴルゴダの丘へ向かって歩かされました。これが有名な「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」です。ちなみに、この時に最後の晩餐の場にいた十二使徒は誰ひとりいなかったとされています。

十字架にかけられたイエスは頭上に「ユダヤ人の王イエス」という罪状を掲げられます。そして、いよいよ最後の瞬間を迎えようとする時に異変が起こります。突然あたりが暗闇に覆われてイエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」―(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのですか)と叫んで息絶えるのでした。同時に、地震が起こって神殿の垂れ幕が真ん中から引き裂かれたといわれています。

イエスはアリマタヤのヨセフらによって清められて新しい墓に埋葬されました。しかし、「マルコ福音書」には3日後の日曜日に墓の入り口が開いていたと記されています。そして、「ヨハネ福音書」にはマグダラのマリアが弟子に伝えに行くも信じてもらえず、墓に戻って途方に暮れていたところ生前の姿のイエスがあらわれたと記されています。

こうして復活をとげたイエスは弟子たちの前にも姿をあらわして、「福音を授ける伝道者となって洗礼を授けよ」と命じて40日後に昇天したのです。イエスの復活後に逃亡していた弟子たちはいよいよ信仰に目覚めるようになるのです。

原始キリスト教の指導者となったペトロはローマで初代教皇となるのですが、暴君ネロ帝の迫害を受けて殉教したといわれています。また、ほかの使徒たちも伝道活動の中で殉教していくことになります。そのため、十二使徒の中で天寿を全うできたのはヨハネただひとりだったのです。

「パウロの回心」

パウロはもともと熱心なユダヤ教のパリサイ派としてキリスト教を迫害する立場でした。しかし、ダマスカスへ向かう途中で天から降り注いだ光によって落馬して失明します。そして、「サウロよ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞くことになるのです。ダマスカスへ辿り着いたパウロは目を癒してもらったことで回心して信仰者となるのです。この時、「目からうろこが落ちた」ように見えるようになったと言ったとされています。

パウロはキプロス、マケドニア、ギリシアなど各地を回って伝道活動を続けました。エルサレムへもどった時にはユダヤ教の司祭に捕らえられますが、パウロはローマ皇帝に直訴してローマへ向かい2年間にわたって伝道活動をしたようです。今日、キリスト教が世界宗教となっているのはパウロの功績が何より大きいといえます。

「ヨハネの黙示録」

『新約聖書』の最後は人類の滅亡と最後の審判について述べた「ヨハネの黙示録」です。パトモス島のヨハネ(福音書のヨハネとは別人?)は精霊によって天に導かれて、そこで7つの角と7つの目をもつ子羊イエスを目撃しました。イエスは封印された7つの巻物を神から受け取り開いていきます。1つ開かれるたびに地上には戦乱や飢餓、天変地異などの禍が降りかかっていきました。そして、最後の巻物が開かれた時に人類は滅亡することになるのです。

地上にメシアが降臨して殉教者は蘇り「神の国」が開かれ「最後の審判」が始まります。死者は誰もが30代の姿で復活して天国と地獄にそれぞれ振り分けられていくのです。天国に行けた者は永遠の命と神と過ごす生活、そして神の国の永住権を受けられるのです。

キリスト教を信仰しない者にとってあまりに苛烈な内容となっている理由としては、キリスト教への凄惨な迫害時代だったことと無関係ではないようです。信仰を守ることが困難な中でも、ヨハネは黙示録という形で各教会に檄文を送ったのです。混迷する現代社会に対する「最後の審判」が間もなく下ろうとしているのかもしれません。

3 まとめ

今回の動画は「名画で学ぶ新約聖書」について解説してきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだたくさんありますので、ぜひ本書や関連書籍を手に取ってさらに詳しく学んでみてください。

人類がほかの動物たちと比べて特に秀でた身体的特徴がないにもかかわらず、この地球の覇者となれたのは「考える力」がほかのどの生物よりも秀でていたからなのです。人間は考えることで自然を征服してさまざまな文明や文化を創造してきました。その結果として幸福や不幸という概念も生み出すことになったのです。

以前の動画でポール・ゴーギャンのこの長いタイトルの絵画―『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を紹介しました。

「世界はどうしてできたのか?」「人間はどこから来てどこへ行くのか?」

この最も根源的な問いについて考えてきたのが哲学と宗教なのです。なぜエルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地とされるのか?それは、ユダヤ教徒には「嘆きの壁」(ヤハウェ神殿を囲む外壁の一部)があり、キリスト教徒には「正墳墓教会」(イエスの墓とされる場所にある教会)があり、イスラム教徒には「岩のドーム」(ムハンマド昇天伝説の地に建つモスク)があるからです。

それぞれの宗教の共通点と相違点や歴史的な背景を知ることでこれまで知らなかった世界の見方が大きく変わることもあったのではないかと思います。

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