【哲学者の名言集】32人の哲学者による人間関係の悩みを解消する名言の数々を完全解説

哲学×悩み

今回は「人間関係の悩みを解消する哲学者の名言」を紹介していきます。参考文献は『人間関係×哲学思考-頭のモヤモヤを32人の哲学者が答えていく-』(著者:ひぐちまりさん)です。

【哲学者の名言集】32人の哲学者による人間関係の悩みを解消する名言の数々を完全解説(永久保存版)

前回の動画では「人間関係の悩みを解消する哲学思考」のポイントを紹介しました。

今回は哲学の歴史に名を刻む偉大な哲人32人の名言を紹介していきます。それぞれの哲学者についての簡単な解説もしてありますので、哲学の歴史と哲学者の百科辞典のように永久保存版としてもぜひご活用ください。気になる哲学者を見つけてぜひ気に入ったものを座右の銘にしてみてください。

  1. 「生きることは他者との対話によって学ぶことである」
  2. 「人の器は、力をもった時にその力で何をするかで測られる」
  3. 「愛というものは愛されることよりも、むしろ愛することに存する」
  4. 「人が不安になるのは出来事そのものではなく、それに対する解釈である」
  5. 「賢者はチャンスを見出すのではなく作りだす」
  6. 「観察とは考えるためのあらゆる材料を知性に提供することである」
  7. 「人間は考える葦である」
  8. 「真の愛は自己の幸福を追求するものではなく、他者の幸福を追求するものである」
  9. 「新しい進歩には怖さあり」
  10. 「幸福は自分の状況をどのようにとらえ、解釈するかによって決まる」
  11. 「快楽は苦痛の半分の印象もわれわれに与えない」
  12. 「人間関係は私たちの社会的存在の基盤である」
  13. 「この世界に真実はない、あるのは解釈だけだ」
  14. 「私たちは日々の生活において驚きの感覚を失ってしまう」
  15. 「人間は自らの行動の中で自らを定義する」
  16. 「人間は理性の生き物でもなければ本能の生き物でもない。人間は習慣の生き物である」。
  17. 「人は当たり前と考えるものの中に多くの驚きと未知を見落としている」
  18. 「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」
  19. 「最も強い希望は絶望から生まれる」
  20. 「解釈のちがいは人生経験から生まれる」
  21. 「自分自身で自分の人生に意味を与えなくてはならない」
  22. 「私たちは言葉によって世界を振り分けている」
  23. 「社会はそれが自覚する以上に構造に依存している」
  24. 「自分が自分を自由にさせない」
  25. 「正義は悪の犠牲の上に成り立つ」
  26. 「哲学とは概念を創造することである」
  27. 「唯一の絶対的な真実は真実などないということだ」
  28. 「大きな物語の時代は終わった」
  29. 「他者とは私という存在を自己完結の独りぼっちから救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性である」
  30. 「常識に従うことは個人の独立した思考を放棄することである」
  31. 「自らの将来を意図的につくれ」
  32. 「あなたのために、あなた自身を偉大にすることは、他人に対する最大の奉仕である」
  33. まとめ

「生きることは他者との対話によって学ぶことである」

ソクラテス(前470年頃~399年頃)は古代ギリシアの哲学者です。デルフォイのアポロン神殿にて「ソクラテスより賢いものはいない」という神託を受けて、ソフィストたちを相手に問答法による対話を行い「無知の知」の真理に到達しました。この言葉はまさにソクラテス哲学の真理をついたものだといえるでしょう。ソクラテスは、釈迦、キリスト、孔子と並ぶ四聖人に数えられる哲学史上に残る偉人です。

余談ですがソクラテスの妻は世界三大悪妻の1人クサンティッペです。「良い妻をもてば幸せになれる、悪い妻をもてば哲学者になれる」も隠れた名言?です。

「人の器は、力をもった時にその力で何をするかで測られる」

プラトン(前427年~347年)は古代ギリシアの哲学者です。ソクラテスの弟子で数々の著書を残しました。主な著書には『ソクラテスの弁明』『国家』などがあります。ものの本質はイデアにあるというイデア論と哲人政治や理想の国家のあり方を示しました。この言葉はあなたが自分の能力をどのように発揮したいと考えるのかが問われています。

イギリスの哲学者アルフレッド・ノースホワイトヘッドが「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への注釈である」という言葉を残すほどの偉人です。

「愛というものは愛されることよりも、むしろ愛することに存する」

「相手の地位によって扱いを変える人は道徳的な人間ではない」

アリストテレス(前384年~322年)は古代ギリシアの哲学者です。主な著書には『ニコマコス倫理学』『形而上学』などがあります。プラトンの弟子でありながらアレキサンダー大王の家庭教師を務め、あらゆる学問に通じていたことから「万学の祖」と称されています。「人間はポリス的動物である」というその言葉通り人間のあり方にも言及していました。この言葉はそんなアリストテレスの人間観がよくあらわれているものといえそうです。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は世界の三大哲学者とされています。この3人によって西洋哲学の基礎が築かれたと言っても過言ではありません。

「人が不安になるのは出来事そのものではなく、それに対する解釈である」

エピクテトス(50年~135年頃)はローマ帝政時代のストア派の哲学者です。『語録』と『提要』はすべてのストア哲学のテキストの中で、おそらくもっとも広く読まれ影響力の大きなものといわれています。

奴隷出身の哲学者としても有名で文章家としてローマ皇帝ネロにも仕えていました。その思想は五賢帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝にも影響を与えました。ストア派の哲学はゼノンによって創始され、理性によって感情を制すことで不動心(アパテイア)に達することを理想とする哲学です。禁欲主義ともよばれストイック(禁欲的)の語源にもなっています。

「賢者はチャンスを見出すのではなく作りだす」

フランシス・ベーコン(1561年~1626年)は英国経験論の始祖とされる哲学者です。「これまでの哲学は議論や論争には優れているけどそれが何かの役に立つのだろうか?」という疑問のもとそれまでの演繹法による哲学のあり方を批判しました。

そして「知識は力なり」と考えて実験や観察を通して知識を増やすべきであるとしたのです。これが経験を通した実験と観察から一般的な法則を導く思考―すなわち「帰納法」です。しかし人間の経験は主観的なものであり間違えることがあるので、真理を追究することには適さないと考えられていました。

そこでベーコンは著書『ノヴム・オルガヌム』(新機関)の中で人間には「イドラ」という先入観や偏見、判断や認識を妨げるものが4つあると説きました。

「観察とは考えるためのあらゆる材料を知性に提供することである」

ジョン・ロック(1632年~1704年)は英国経験論と社会契約論の代表的な哲学者です。主な著書には『統治二論』『人間悟性論』などがあります。ロックは人間が生まれた時は生得観念をもっていないタブラ・ラサ(真っ白な状態)であり、経験を重ねることによって「認識」する力を獲得していくと考えました。この言葉はベーコンの後をついで経験論を発展させたロックらしい名句だといえます。

また、ロックは市民が国家に対して抵抗権をもつという社会契約説を提唱しました。これは名誉革命の正当性を理論化したものとなって、後の独立戦争やフランス革命にも大きな影響を与えることになるのです。

「人間は考える葦である」

ブレーズ・パスカル(1623年~1662年)はフランスの哲学者です。神童として数多くのエピソードを残した早熟の天才でしたが若くして逝去しています。主な著書には「人間は考える葦である」が有名な『パンセ』があります。数学者としても有名で「パスカルの三角形」や「パスカルの定理」などを発見しました。

ちなみに「考える足」ではなく「考える葦」ですので誤解しないでください。これは「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎないが、それは考える葦である」という一節の一部で、人間の自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したものだということも覚えておいてください。

「真の愛は自己の幸福を追求するものではなく、他者の幸福を追求するものである」

イマヌエル・カント(1724年~1804年)はドイツ観念論の哲学者です。主な著書には批判三書といわれる『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』や国際連合のひな型となる国際機関創設を提案した『永遠平和のために』などがあります。カントは人間の理性で認識できない真理については考えることはできないとして、「もの自体」ではなく「もの自体を認識する方法」について考えることにしたのです。

これまでは対象を認識する時には対象が先に存在していて、それを見ることによって認識していると考えられてきました(認識は対象に従う)。しかしカントは見る(感性)ことによって理性(悟性)が受け取った結果として、対象が認識されると考えたのです(対象は認識に従う)。このような考え方を「認識のコペルニクス的転回」といいます。

「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込み、カント以後の哲学はカントから流れ出る」様々な問題を普遍的な原理から考え直す取り組みをしたことからこういわれています。

「新しい進歩には怖さあり」

ゲオルグ・ヘーゲル(1770年~1831年)はドイツ観念論を完成させた哲学者です。主な著書には『精神現象学』『法の哲学』などがあります。ヘーゲルは「歴史」とは絶対精神が自由に到達するための過程であり、いずれはカントの唱える「もの自体」にあたる真理にも到達できると考えました。そのプロセスにあたる法則こそが「弁証法」です。

たとえばAさんがある図形を見た時には「これは円です」(テーゼ)と言い、Bさんがある図形を見た時には「これは四角形です」(アンチテーゼ)と言ったとします。このような対立を経て第三の新しい考え―「実はこの図形は円柱だった」(ジンテーゼ)に至るプロセスこそが弁証法なのです。ヘーゲルのこの言葉は対立意見を受け入れる怖さと新しい可能性を示しているのです。

「幸福は自分の状況をどのようにとらえ、解釈するかによって決まる」

「欲望は海水に似ている、飲めば飲むほど喉が渇く」アルトゥール・ショーペンハウアー(1788年~1860年)はドイツの哲学者です。主な著書には『意志と表象としての世界』があります。ショーペンハウアーはヘーゲルと同時期にベルリン大学の哲学教授でしたが、ヘーゲルの講義が人気だったのに対してその講義は閑散としていたといわれています。そのためベルリン大学を辞職して生涯在野の哲学者として過ごすことになるのですが、ヘーゲルのことを「酒場のおやじのような顔」と負け惜しみのような悪口でよんでいます。

ショーペンハウアーは人間が「生への盲目的な意志」によって支配されているので「生きることは苦痛である」という結論を導き出すのです。だからこそ、高級なものでしか満足をえられない状態よりも、どんなもの(こと)でも内面的に満足できる状態の方がはるかに幸福であると考えました。外的な満足は一瞬でもその呪いは永続的なものであるため、幸福を追い求める限りあなたは永遠に不幸な状態から抜け出せなくなるのです。それが「海水を飲む」という表現にあらわているのですね。

ショーペンハウアーの哲学は「厭世主義(ペシミズム)」とよばれ、のちのニーチェなどの哲学者に大きな影響を与えることになります。

「快楽は苦痛の半分の印象もわれわれに与えない」

ジェレミー・ベンサム(1748年~1832年)はイギリスの功利主義の哲学者です。法律家でもあったベンサムはイギリスにおける法のいい加減さに憤りを感じていました。世間の慣習や常識に流されることのない法の正しさを見出そうとしていたある日「いかなる国家であれその構成員の多数者の利益と幸福が国家にかかわるすべての事柄が決定される際の基準となるべきである」という一節を見つけたのです。これを見たベンサムは感動のあまり「エウレカ(我発見せり)!」と叫んだそうです。

功利主義のポイントは「物事の正しさを功利(幸福の量)によって決める」ことです。たとえばトリアージという考え方においては助かる見込みのないけがをした人よりも、助かる見込みのある人から助けていくことで(命を選別することになるとしても)幸福度の総量が多くなると考えることができます。このように考えることであらゆる法律に正当性をもたせることができます。たとえば犯罪者を拘束する理由は罪を犯したからと考えられますが、功利主義では犯罪者を拘束する方が社会全体の幸福の量があがると判断されるのです。この言葉は快楽と苦痛の量を計算することに執念を燃やしたベンサムらしい言葉ですね。

「人間関係は私たちの社会的存在の基盤である」

カール・マルクス(1818年~1883年)は社会主義を提唱したドイツの哲学者です。主な著書には『資本論』『共産党宣言』などがあります。マルクスは哲学者としてまずは「唯物史観」の思想をもっていました。これは「物質的な生産関係の変化が歴史を動かす原動力になる」という考え方です。つまり下部構造(生産様式など)が上部構造(法や文化など)を規定するということです。

マルクスは資本を社会の共有財産に変えることで階級のない協同社会を目指しました。そのために労働者を解放して社会主義を実現するための階級闘争を主張したのです。「万国の労働者よ、団結せよ」と言ったマルクスは世界で最も影響力のある人物の1人です。

「この世界に真実はない、あるのは解釈だけだ」

「世界には君以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある」

「あなたが出会う最大の敵はいつもあなた自身であるだろう」

「現実と本質の両方を見る」

フリードリヒ・ニーチェ(1844年~1900年)はドイツの哲学者です。主な著書には『ツァラトゥストラはこう言った』『善悪の彼岸』などがあります。孤独・不安・絶望・苦悩の中に生きる現実の存在である私にとっての真理を探究する思想、今ここにいる私が幸せに生きるためにはどうすればよいのかを考える哲学が現れました。これを「実存主義」といいその代表的な哲学者がフリードリヒ・ニーチェです。

ニーチェはこの世界に意味や目的などなく虚無なる生が永遠に繰り返されると考えました。これを「永劫回帰」といいます。しかし永遠に繰り返されるならもう一度歩みたいと思えるような人生を送ること―意味や目的がなくてもそれを受け入れ力強く生きることこそが大切であると言ったのです。

否定的な現実をありのままに引き受けて(これを運命愛と言います)、「これでよい!」と自己肯定することで主体的になることができるのです。ニーチェの名言についてさらに知りたい方はぜひこちらの動画をご覧ください。

「私たちは日々の生活において驚きの感覚を失ってしまう」

マルティン・ハイデガー(1889年~1976年)はフッサールの後継者としてフライブルグ大学の教授に就任したドイツの哲学者です。主な著書には『存在と時間』があります。ナチスに入党して大学総長就任時にナチス支持と受け取られるような講演をしましたが、戦後はナチスへ協力した過去を批判されて教職を追放されました。

ハイデガーは人間が自己の存在の意味を問うことができる「現存在」であると考えました。また死の可能性と向き合うことで真の自己に目覚める「死への存在」であると考えました。このようにハイデガーは自己の有限性を自覚して死と向き合うことで、人間ははじめて主体的に生き実存が確立できると考えたのです。

しかし現実には多忙な日常の中で真の自己を見失っており、享楽を追求することで世間に埋没してしまっている(頽落)と言いました。そんな現実のことを「自己の固有の存在を忘れている存在忘却の時代」と喝破しました。ハイデガーの言葉はそのような価値観のもとで発せられたものなのです。難解なハイデガー哲学をわかりやすく学びたい方はぜひこちらの動画をご覧ください。

「人間は自らの行動の中で自らを定義する」

「言葉とは弾丸が装填されたピストルである」

ジャン=ポール・サルトル(1905年~1967年)はフランスの哲学者です。主な著書には『嘔吐』『存在と無』などがあります。サルトルは「神は存在しない」のだからどのように生きるのかは自由であり、人間は自己の主体的な選択と決断によって生きるべきであると考えました。

そしてサルトルは「実存は本質に先立つ」と主張したのです。人間はまず存在していてそこから何者かになっていくのであり、自分の本質(役割)は自分で自由に決めることができるのです(対自存在)。ただしサルトルは人間が自由であると考えた一方、自由であるがゆえに孤独であり、自由であるがゆえに責任をもたなくてはいけないとも考えました。そのためサルトルは「人間は自由の刑に処されている」とも言ったのです。

サルトルは「ぼくたちの恋は必然だけど偶然の恋も経験したいな」と言って浮気相手との関係について内縁の妻に逐一手紙で報告していたとされています。

「人間は理性の生き物でもなければ本能の生き物でもない。人間は習慣の生き物である」。

ウィリアム・ジェームズ(1842年~1910年)はアメリカの哲学者です。主な著書には『純粋経験の哲学』があります。デューイと並ぶ「プラグマティズム(道具主義)」の哲学者です。プラグマティズムとは物事の真理を理論や信念からはなく、行動の結果によって判断しようという思想のことです。チャールズ・サンダース・パースが提唱したものをジェームズが発展させ、ジョン・デューイが大成させたとされているアメリカを代表する思想です。

また心理学者としても有名でアメリカにおける「心理学の父」ともよばれています。本書には登場しませんが有名な名言には「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」があります。

「人は当たり前と考えるものの中に多くの驚きと未知を見落としている」

アンリ・ベルクソン(1859年~1941年)はフランス唯心論を大成させる哲学者です。主な著書には『物質と記憶』などがあります。ベルクソンは「空間化された時間は時間ではない」として本質は「持続」であると考えました。私たちがふだん時計の表示板で見ているのは「空間化された時間」であると言いました。なぜなら私たちは眼に目える形で空間化しないと時間の流れをイメージできないからです。しかし愉しい時間があっという間に過ぎたり退屈な時間は長く感じたりするように、本来時間とは空間的には表象することのできない多様性をそなえています。ベルクソンはこのような「量的に一元化」される前の「質的に多様性」をもった本来の時間を「持続」と呼んだのです。

また、ベルクソンは生命の進化の根源として「エラン・ヴィタール」を想定しました。これは「生命の躍動」といわれる「生命の創造的な進化を推進する力」のことです。ベルクソンは人類の進化を単なる物質的なプロセスではなく、独自の力によって動かされる創造的なプロセスであると主張したのです。ベルクソンは科学的な理論を人間に適用することを否定して、人間の無限の可能性を主張した哲学者であるといえます。

「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」

アラン(1868年~1951年)は三大幸福論の1つを著したフランスの哲学者です。アランと言うのはペンネームで本名はエミール=オーギュスト・シャルティエといいます。主な著書には『幸福論』があります。アランの幸福論は新聞社に寄稿していた「プロポ(哲学断章)」の中から「幸福」に関して言及されているものを再編したものです。そのため詩的なものとなっておりフランス散文の最高傑作と評されています。

アランの幸福論は悲観主義、つまり「人生は辛いものである」ことが前提となっています。だからこそ「人生は苦痛だからポジティブに捉えることが大切である」と考えたのです。つまり「苦痛な人生をどのように自分が捉えるか」という心のもちよう次第だとしたのです。アランの最も有名な名言「人は幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」と合わせて覚えておきたい言葉ではないでしょうか?

「最も強い希望は絶望から生まれる」

「愛を恐れるとは人生を恐れることだ。人生を恐れるものは既にほとんど死んだも同じだ」

「人は生まれつき無知だが愚かではない。彼らは教育によって愚かにされるのだ」

バートランド・ラッセル(1875年~1970年)はイギリスの哲学者です。主な著書には『幸福論』『西洋哲学史の研究』などがあります。ラッセルは幸福には2つの側面があると考えました。1つは単純で動物的で感情的な幸福(読み書きができないものが手にする幸福)であり、もう1つは複雑で精神的で知的な幸福です(知ってしまったものが手にすべき幸福)です。これら2つの幸福に優劣があるわけではないものの、「知ってしまった」のであれば前者の幸福をえることはもはやできません。大量の情報を否応なくえることのできる現代の私たちにとっては、後者の幸福(内的で精神的な充実感)こそが大切となるのです。

ちなみにラッセルは80歳の時に4度目の結婚をしています。何度も結婚をしたラッセルだからこそ滲み出る言葉の重みを感じずにはいられません。

「解釈のちがいは人生経験から生まれる」

「自分を新しくすれば取り巻く世界も変わる」

「自分が正しいと思いこんでいる人はなまけものだ」「君の人生に制限はない」

「他人と自分を分ける心から憎しみが生まれる」「知っていると思えば進歩は止まる」

ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(1889年~1951年)はラッセルに学び、言語哲学や論理学に影響を与えた分析哲学を代表するオーストリアの哲学者です。主な著書には『論理哲学論考』『哲学探究』などがあります。本書には登場しませんが、ウィトゲンシュタインの名言の中でも最も有名な命題が「語りえぬものについては沈黙せねばならない」です。

演繹法においては前提が真でルール(論理式)を守れば結論も真となります。だからウィトゲンシュタインは前提についても明晰にしなければならないと考えたのです。そこで「言語」について考えるのですが、言語とは世界を写し出す像であるという「写像理論」を提唱しました。しかし前提が事実でない(真ではない)ならば結論が必ず真になるとはいえません。例えば現実に確認することのできない神などは真を導き出す哲学(論理学)において扱うべきではないと指摘したのです。「語りえぬもの」とは論理で真を導くことができないものという意味であり、こうしてウィトゲンシュタインはカントが人間の認識できる限界を示したように言語(哲学)の限界を明らかにした(沈黙しなければならない)のです。

数年後ケンブリッジ大学にもどって哲学を再構築する時に、ラッセルの勧めで『論理哲学論考』を博士論文として提出することになりました。ここで、恩師であるラッセルに対して「心配する必要はない」と言い「あなた方が理解できないことはわかっている」と言い放ったという逸話があるのです。

「自分自身で自分の人生に意味を与えなくてはならない」

カール・ポパー(1902年~1994年)はイギリスの哲学者です。主な著書には『開かれた社会とその敵』などがあります。前節のウィトゲンシュタインの哲学はその後「分析哲学」として継承され、イギリスやアメリカで発展をとげて現在の哲学の主流となっているのです。

ポパーは科学的な命題かどうかを区別する基準は「反証可能性」にあると主張しました。反証されたらその主張を撤回する態度こそが科学的な態度であり、人間の知識はまちがえることが前提になっているという考え方です。これを「批判的合理主義」といいます。NHKで放映中の『チ。-地球の運動について-』の中でも同じような表現がありました。

「私たちは言葉によって世界を振り分けている」

フェルディナン・ド・ソシュール(1857年~1913年)はスイスの言語学者です。「近代言語学の父」といわれその哲学は構造主義にも大きな影響を与えました。主な著書には『一般言語学講義』があります。

ソシュール以前の言語学では「言語名称目録観」が支持されていました。これはあるものに1つ1つラベルがはられているように名前があるという考え方です。しかしこれでは言語によってものの捉え方が異なる点を説明することができません。たとえば、日本語では兄と弟を区別しますが英語ではどちらもブラザーです。「個々の存在に意味は存在しない、それらは隣との対立関係によってはじめて成り立つ」ソシュールはこのように考えたのです。つまり兄がいるから弟が存在するのであり逆もまた然りと言うことでなのです。このことからソシュールは「言語とは差異のシステムである」といいました。このような考え方を「言語論的転回」とよび、後の「構造主義」の哲学に大きな影響を与えることになるのです。

「社会はそれが自覚する以上に構造に依存している」

クロード・レヴィ=ストロース(1908年~2009年)はベルギーの文化人類学者です。主な著書には『悲しき熱帯』『野生の思考』などがあります。南米サンパウロ大学在任中にアマゾン川流域の未開人の調査を通して、構造主義の思想を体系化したことから「構造主義の祖」とよばれています。

レヴィ=ストロースはサルトルの考える歴史とは西洋文明を中心とした歴史のことであり、それは他の文明のことを無視する偏見と傲慢な価値観の押しつけであると断じました。西洋的な歴史の進展は合理的・論理的に進んでいくことを是とするものであるけれど、その結果があの最悪の戦争や取り返しのつかない環境破壊でもあるとしたのです。

そして「人間の思考や行動は社会や文化的な構造に支配されているのでは?」「そもそも本当に人間は自由なのか?」と問いかけたのです。ソシュールは「言語が集まって世界が構成されているわけではなく、全体という構造がありその中で対立が起こることで言語が生まれる」と考えました。レヴィ=ストロースはここで同じようにソシュールの言語論的転回をもとに、「個人があつまって社会が形成されているのではなく、社会や文化という構造がありその中で対立が起こることで個人が成立する」としたのです。つまりわたしが(あなたが)今どのように考えるのかも構造に支配されているのです。

「自分が自分を自由にさせない」

ミッシェル・フーコー(1926年~1984年)はフランスの哲学者です。主な著書には『監獄の誕生』『性の歴史』『知の考古学』などがあります。

フーコーは「権力によってつくられた構造に人間社会は支配されている」と考えました。フーコーは現代における私たちをしばる構造をパノプティコンにたとえています。功利主義者のベンサムによって考案されたパノプティコンは囚人が「監視されているかもしれない」と考えて自ら規範を守るようにするシステムです。

フーコーも自身がゲイであることに悩み苦しむことの多い人生を送っていました。当時の社会にとってフーコーは「正常」な人間はなかったとされていたのです。そんな社会から押し付けられる常識や他者の視線などに苦しめられたフーコーだからこそ無意識のうちに私たちを縛る構造を明らかにすることを人生の目的としたのです。いま「狂気」とされていることもいつかはそれが当たり前になる日がくるかもしれません。現代のパノプティコンから脱出するためのヒントはまちがいなく哲学の中にあるのです。

「正義は悪の犠牲の上に成り立つ」

ジャック・デリダ(1930年~2004年)はフランス現代思想の哲学者です。主な著書には『エクリチュールと差異』があります。

デリダの哲学のキーワードといえば「脱構築」(≒解釈しなおすこと)です。それまでの哲学は二項対立によってものごとを考えていました。しかし「善と悪」「真と偽」などの二項対立には必ず優劣や勝ち負けが決められており、ものごとが階層やヒエラルキーの中に位置づけられてしまうことが問題だったのです。

そこでデリダは「脱構築」という考え方を提案するのです。これは二項対立の全てを否定するのではなく白か黒かに分類されないあいまいな部分―「パルマコン」についてもっとしっかり考えなければいけないという意味なのです。「パルマコン」とは薬にも毒にもなりうる両義的な意味をもつ曖昧なものということです。つまり考え方次第でよいものにもわるいものにもなるという曖昧な部分に注目して価値判断を保留することを重視したのです。デリダの言葉は「その正義はいかにして正義たるのか?」という問いに気づかせてくれます。

「哲学とは概念を創造することである」

「人間は心も身体も自らの快楽の充足を目指す欲望機関にすぎない」

「人は過去を思い出すように生きていたわけではない」

ジル・ドゥルーズ(1925年~1995年)はフランス現代思想の哲学者です。主な著書には『』などがあります。ドゥルーズは「ものごとの関係には体系的な仕組みが存在する」という西洋的な思考では、その体系から外れるものが排除される危険があると指摘しました。そしてドゥルーズはものごとには明確な秩序など存在していないと考えたのです。このような思考方法を「リゾーム」といいます。

そのうえで「世界は欲望によって形成されている」と考えました。もともと私たちは欲望のままに生きていく存在であるはずなのですが、構造に抑圧されることによって型におしこめられていると指摘したのです。ドゥルーズはリゾーム的な思考のもとで自分の欲望のまま生きるだけではなく、他者の価値観をも受け入れながら生きることが大切であると考えました。

このような生き方の理想形が「ノマド(遊牧民)」であり、定住地がないためあらゆる場所で偏見なく価値観を受け入れることができるのです。

「唯一の絶対的な真実は真実などないということだ」

「理性よ、さらば」

ポール・ファイヤーベント(1924年~1994年)はアメリカの科学哲学者です。主な著書には『理性よ、さらば』『方法への挑戦』などがあります。「知のアナキスト」という過激な呼ばれ方をしたことから科学誌ネイチャーに「科学の敵No1」というありがたくない異名を頂戴されてしまいました。ファイヤーベントは「科学の革新に法則やパターンなんかない!」と言い放ちました。つまり、科学の常識を覆す発見なんてどこから現れるかわからないし、科学の進歩に貢献するものややり方ならなんだって構わないということです。ファイヤーベントのこの言葉は著書のタイトルにもなっているほどらしさ満点の名言です。

「大きな物語の時代は終わった」

ジャン・フランソワ・リオタール(1924年~1998年)はフランスの哲学者です。主な著書は『ポストモダンの条件』などがあります。リオタールは「大きな物語は終わった」と言いポストモダンという言葉を流行させました。かつては科学の正当性を担保するために「大きな物語」としての哲学が必要とされました。マルクスの「歴史は資本主義から社会主義へと発展していく」やヘーゲルの「歴史は理性的に進んでいく」といった進歩的な歴史観のことです。リオタールはこのような「大きな物語」に準拠していた時代を「モダン」、そして、それに対する不信感が蔓延した時代を「ポストモダン」と呼んだのです。つまり、ポストモダンとは、基礎づけとしての「哲学」が有効性を失った―言い換えれば「大きな物語」が終焉した時代だと主張したのです。ポストモダニズムとはそのような状況の中で人がどう生きていくのかということや、どのように「新しい物語」や「新しい道」を見出していくのか?を示唆する思想なのです。

「他者とは私という存在を自己完結の独りぼっちから救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性である」

エマニュエル・レヴィナス(1906年~1995年)は主な著書には『全体性と無現』などがあります。レヴィナスは「イリヤ」こそが人間の恐怖を生み出すものであると考えました。これは主体がなく暗闇の中にただ「ある」だけのものが永遠に広がっている状態のことです。

第二次世界大戦をおえて故郷に戻ったレヴィナスは、近親者などあらゆるものを失いまさにイリヤの中にいたといえます。そんなレヴィナスをイリヤから救い出してくれたのは「他者」でした。レヴィナスはイリヤから脱出するためには「他者」の存在が必要であると考えたのです。

レヴィナスは「私とは他者に対して無限の責任を負うものである」と言いました。そして世界は自分中心で回っているのではなく他者によって生かされているのであり、他者の存在こそが私を倫理的にしてくれると考えたのです。

「常識に従うことは個人の独立した思考を放棄することである」

ラルフ・ワルド・エマーソン(1803年~1882年)はアメリカのトランセンデンタリズム(超絶主義)を代表する思想家です。主な著書は『自然』があります。

これは客観的な経験論よりも主観的な直観を強調する考え方のことであり、その中核には人間に内在する善と自然への信頼があります。そして、エマーソンは社会とその制度が個人の純粋さを破壊していると考え、人間とは自立して独立独歩の時にこそ最高の状態であると主張しました。

エマーソンはその中心教義を一言で「個人の無限性」であると表したのです。エマーソンは名言の宝庫なのでぜひほかにもいろいろ探してみてください。

「自らの将来を意図的につくれ」

「成功は幸せの鍵ではありません。幸せが成功の鍵です」

「幸せな人は他人の幸せを求める。不幸せな人は他人の不幸せを欲する」

「成功の最大の秘訣は他人や状況に振り回されない人間になることだ」

「楽観主義はどこにでも青信号が見えるが、悲観主義は赤信号しか見えません。賢者には色が見えません」

アルベルト・シュバイツァー(1875年~1965年)はアルザス人の哲学者です。また医師、神学者、音楽学者でもあり有名なオルガニストでもあるのです。30歳の時に医療と伝道に生きることを志して、アフリカのガボンにて当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされています。

哲学においては「生命への畏敬」の概念を提唱して世界平和にも貢献しました。これは、人間をはじめとする生命をもつあらゆる存在を敬い大切にすることを意味します。そして、全ての人が自己の生きようとする意志を大切にすると同時に、自分と生きようとしている他の生命をも尊重しなければならないと考えたのです。1952年にノーベル平和賞を受賞して「密林の聖者」といわれています。

「あなたのために、あなた自身を偉大にすることは、他人に対する最大の奉仕である」

アイン・ランド(1905年~1982年)はロシア系アメリカ人の作家です。主な著書には『水源』『肩をすくめるアトラス』などがあります。

自ら名付けた「客観主義」(オブジェクティビズム)という思想体系の創出者です。これは、人が生きる適切かつ道徳的な目的は自分自身の幸福の追求であり、これに適う社会体制は個人の権利を最大限に尊重する自由放任資本主義であるとしました。

アカデミズムの世界ではランドの思想はほぼ無視されていますが、リバタリアニズムやアメリカ保守主義には大きな影響力を保ち続けているとされています。

まとめ

今回は「人間関係の悩みを解消する哲学思考」について紹介しました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだありますので、ぜひ本書を手に取って成功と幸福の両方を手に入れてください。「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。

本書のあとがきに記されている著者の言葉には「知が深まれば愛が深まる」とあります。哲学という知を手に入れることであなたの人生はきっとよりよいものになることでしょう。これからも「哲学」のおもしろさを発信していきますので、ぜひゼロから一緒に学んでいきましょう。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。

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