【真・日本の歴史】宗教の視点がなければ日本人の行動原理はわからない!〇〇を忌避するのが日本人の信仰?

哲学×宗教

今回は「宗教の補助線をもとに見る日本人の歴史と信仰」について解説したいと思います。参考文献は『真・日本の歴史』(著者:井沢元彦さん)です。

【真・日本の歴史】宗教の視点がなければ日本人の行動原理はわからない!〇〇を忌避するのが日本人の信仰?

「結婚式は教会であげて葬式はお寺であげる!?」「クリスマスを祝った1週間後に神社で初詣をする!?」このような謎ムーブを平気でする日本人はそもそも宗教とは縁のない民族なのだ…このように考えている方が多いのではないでしょうか? 実は日本には地理的に特殊な条件に恵まれた国であることから、世界史の常識には当てはまらない日本だけの特別な宗教・信仰が存在するのです。しかし、私たちは日本人がもっている宗教観をほとんど理解しないまま大人になります。その理由は、日本の歴史教育(と歴史学会の権威者たち)に原因があったのです。 なぜ、奈良時代より前は都が天皇の代替わりごとに遷都されていたのに、「飛鳥時代」とひとくくりにされているのか?(平城京は奈良時代、平安京は平安時代、鎌倉幕府は鎌倉時代となっているのに…) なぜ、その時代区分の呼称で「安土・“桃山”時代」とされているのか?(信長の安土に対するなら秀吉は大坂か伏見のはずなのに…) なぜ、後鳥羽上皇を流罪にしたのに北条義時は自分が天皇にならなかったのか?(世界中のどこの国でも国王を倒したら自分が次の国王になっているのに…) 小学生や中学生のころに誰もがこんなことを疑問に思ったのではないでしょうか? 日本の歴史教育が正しさを教えずただ暗記するだけのつまらないものになっている理由は「宗教」という視点の欠如(と歴史学会の傲慢さ)に原因があったと著者は述べています。前回「宗教」がわかれば世界が見えるという動画を出しましたが、日本人の行動原理や歴史の特殊性もまた「宗教」という視点がなければ見えないのです。まさに、「哲学の補助線」「宗教の補助線」を引くことが大切なのです。 私たちが無意識にとっている行動原理がどのような信仰によるものなのか?学校や教科書では学べない日本の歴史と日本人の真実の姿が見えてくるはずです。 『逆説の日本史』の著者が描き出す傲慢な歴史学会の闇と正しい日本の歴史観。ぜひ、動画を最後まで見て頂き「宗教の補助線」をひいて歴史を眺めてみてください。内容がわかりやすかったと感じた時にはぜひ高評価&チャンネル登録をお願いします。

1 なぜ、歴史に「宗教」の視点が必要なのか?

実は、日本の常識というのは世界の常識と大きくかけ離れています。世界の国々で常識とされる行動原理が日本では非常識・不合理な行動となっているのです。なぜこんなことが起こるのかといえば、日本には日本人だけの行動原理があるからです。人間の行動のちがいは思想のちがいからうまれ、思想のちがいは価値観のちがいからうまれるものです。つまり、日本には日本だけの宗教(価値観)があったと考えるべきなのです。

たとえば、イスラム教徒は豚を、ヒンドゥー教徒は牛を食べることを禁止していますが、「科学的にとても栄養素があって加熱調理をすれば病原菌もない」と説明しても不浄・神聖な生き物だと信じている人にとっては合理的な結論など意味をもちません。なぜ、そんな不合理なことをするのかといえば、宗教的にそう信仰されているからです。ということは、宗教の知見なくして歴史を正しく理解することなどできないのです。

歴史を知るということは、過去に学び未来をよりよくしていくために他なりません。複雑化するグローバル社会の中で多様な価値観をもつ人と関係を築いていくためには「宗教」に対する理解が必要不可欠だといえます。にもかかわらず、多くの日本人は日本の歴史を正しく理解していない―それどころか、正しく理解していないことにすら気づいていないのが現状なのです。これは、日本人が自分の価値観や行動の原理を理解できていないということでもあります。

歴史を学ぶ大きな意義の1つに自らのルーツを知るということがあげられます。自分を知り、自分の地域を知り、自分の国を知ることで世界を知ることもできるのです。だからこそ、日本人の行動原理にはほかの国々には見られない日本固有の宗教が無意識に影響しているということを理解する必要があるのです。それが「穢れ忌避」「怨霊」「和」「言霊」という4つの信仰です。この4つの補助線を引くことで日本の歴史を正しく捉え直すことができるはずです。

2 日本の宗教は「穢れ忌避」信仰

先にお話しをした通り、実は奈良時代より前は天皇ごとに都を遷都していました。そのため、本来であれば奈良時代より前の時代は「首都移転」時代と呼ぶべきなのです。にもかかわらず、今も昔もこの時代を「飛鳥時代」と一括りにして学んでいるのです。なぜ、このようなことが起きているのでしょうか?

著者は傲慢な歴史学者が宗教の視点をもっていないからであると述べています。世界の常識では首都を移転するのは異民族への対応や領土が拡大した時のように固定したままでは不都合が大きい場合がほとんどなのです。同じ都にいる方が継続して富を蓄積していくこともできるのですからむしろ、むやみに移転する方が国力の低下を招くことになってしまうのです。

にもかかわらず、古代の日本では奈良時代を迎えるまで首都を次々に移転していたのです。これは、世界中のどこの国にも見ることのできない日本固有の特徴だといえるはずです。なぜ、こんな不合理なことをしていたのでしょうか?明らかに理解できない不合理な行動をするのは宗教が関係しているからにほかなりません。つまり、ここに日本だけの独自の宗教の存在があると考えられるのです。

まず、ほとんどの日本人が最も尊い存在であると信仰しているのは天皇家でしょう。その天皇家の起源について記された古事記を読むところから始めていきましょう。ちなみに、日本書紀は漢文で書かれている外国に向けた翻訳版であることから、日本固有の万葉仮名で記された古事記の方が日本教のバイブルであるといえるのです。

古事記において天皇とは天照大神(アマテラス)という最高神の子孫だと記されています。天皇家は神の子孫であるからこそ尊いのであって歴史上だれも自分が天皇になろうとしなかったのは神の子孫でなければ天皇になることはできないと信じられてきたからなのです。もちろん、神の子孫であればどんな神でもよいわけではなく、アマテラスこそが神々の中でも最も尊いと信じられていたのです。なぜなら、アマテラスが父イザナギの禊によってうまれたと記されているからです。

古事記にはイザナギとイザナミという2人の神がいて黄泉の国へ行ってしまったイザナミのことをイザナギが追いかけていくものの、黄泉の世界で腐敗したイザナミを見て黄泉の世界からイザナギは逃亡してしまうのです。そして、地上にもどったイザナギが言った言葉が「私は穢れてしまった」なのです。

イザナギはこの穢れを祓うために禊を行いました。禊とは清らかな流水につかることであり、これによって穢れは水に流されるのです。イザナギが禊によって清らかになったその瞬間にアマテラスは誕生したのです。ちなみに、左目をこすった時にうまれたのがアマテラスであり、右目をこすった時にはツクヨミ、はなをこすった時にはスサノオがうまれています。

もちろん、これは神話の世界のお話なので本当にそんなことがあったのかはわかりません。しかし、古代の日本ではこのように清らかな存在があるということを信仰していたのです。では、なぜ清らかであることが尊いと考えられてきたのでしょうか?それは、全ての不幸は穢れから発生すると考えられてきたからです。古代において、穢れとは災禍であり罪そのものとしてそこに存在するものだったのです。そして、穢れは触れることはおろか見聞するだけでも伝染してしまうので、絶対に排除して避けるべきものであったのです。

ちなみに、物理的な汚れは「汚染」であり誰でも客観的にとらえることができるものです。いっぽう、信じている人にしか存在しない主観的な穢れのことを「穢染」といいます。そのため、客観的な汚れは掃除などによってきれいにすることができますが、主観的な穢れはそれを信じる人たちが信じる行為によってしか排除することができません。

この穢れを排除することを「忌む」―穢れの原因を断って清浄にすることといいます。その中でも、ものを祓うことを「祓」、水で清めることを「禊」というのです。だからこそ、日本人は相手に対して「過ち(恨み)は水に流す」と言うのです。また、問題を起こした国会議員が「選挙で禊を済ませた」と言うこともあります。

さらに、日本では葬式の時に清めの塩をもらうのですがこれは仏教とは関係ありません。日本以外の仏教国で葬儀の時に清めの塩が渡されることはなく、日本では死に関わると穢れてしまうので清める必要があると考えているからなのです。つまり、穢れこそが諸悪の根源であり死や血に関わることで発生するということなのです。

当然、穢れの中でも最も大きなものが死による穢れ(死穢)です。また、お産は本来おめでたいことなのですが、同時に穢れたものであるとも考えられていました(だから母屋とは別に産屋がある)。だからこそ、古事記においても、アマテラスやその子孫である天皇が、出産ではない方法で誕生していることも穢れのない存在である象徴なのです。

以上のことから、古代の日本において天皇の代替わり毎に都を移転していた理由が見えてきます。天皇は最も尊く清らかな存在であるからこそ崩御した時に発生する穢れもまたとんでもないものとなるのです。(庶民1人1人が1本のバラであるのに対して天皇が100万本のバラであるとすれば、1本のバラが腐っても問題ないけど100万本のバラが腐ったら大変なのと同じです)。

穢れは禊をすることで清められるのですが、大きすぎる穢れは祓うことができないのです。そのため、古代の日本では古墳という巨大な墓に穢れを封印して遷都していたのです。たしかに、世界の常識では巨大な墓は権力の象徴であるとされていますが、古墳にはそれだけでなく「穢れ忌避」を象徴するものであるといえる独自の特徴があります。それが、古墳のまわりを水で囲っている堀の存在です。古代の日本では、祓うことのできない穢れを発生させる天皇の遺体を石棺に入れ石室におさめて、その上から大量の土で覆っています。これだけでも相当なものなのですが、さらにわざわざ堀に水を流して囲っているのです。つまり、日本では天皇の遺体を穢染物質だと考えていた(信じていた)からこそ、禊のためにわざわざ水で囲うようにしていたと考えらえるのです。

しかし、毎回毎回こんなことをしていたら国力は当然低下してしまいます。そこで、この問題を解決したのが持統天皇による藤原京の首都固定計画なのです。藤原京より前の宮殿は移転することが前提なのでとても簡素なものだったようです。

しかし、持統天皇は藤原京を恒久的な都にするように設計しているのです。つまり、持統天皇は穢染問題を解決したからこそ首都を固定することができたのです。では、持統天皇はどのようにこの問題を解決したのでしょうか?実は、持統天皇は歴史上ではじめて土葬ではなく火葬にされた天皇だったのです。今でこそ火葬にするのは当たり前のように思えますが古代ではとんでもないことでした。火葬してしまったら魂がかえってくる肉体を失うことになるので、エジプトではファラオはミイラにされ、キリスト教でも土葬が当たり前だったのです。(『チ。』の中でも火葬はおそろしいという描写がありましたよね)。

文化大革命にも相当する歴史的転換点にもかかわらず大きく知られていない原因は火葬になったことの本質を歴史学者たちが宗教を…(以下略)と著者は述べています。実は、持統天皇は仏教の考え方をもとに穢れの問題を火葬によって解決したのです。なぜ、持統天皇はこのような考えに至ったのでしょうか?それは、父である天智天皇が白村江の戦で敗れたことをヒントにして唐と日本の国力の差はいちいち遷都をするかどうかだと考えたのではないでしょうか。だから、仏教の教えに従って火葬することで穢染の問題を解決することにしたのです。

さらに、葬儀という人間の死にふれる(穢れる)問題も仏式にすることで解決しました。このとき、葬儀を担当する僧侶たちは当時の医者と同じ外国人という特別扱いをしました。当時の日本では医療の仕事を百済人や中国人などが担当していたとされています。その理由は外国の医療技術の方が発達していたという側面もあるのですがそれ以上に血や病にふれる(穢れる)ことを避けたかったという理由があるのです。このあと紹介する武士は血や死で穢れているので昇殿が許されていませんでしたが、僧侶は昇殿を許されていることからも特別な扱いを受けていたことがわかると思います。このように、「穢れ忌避」の信仰こそが日本の宗教の根源的な信仰なのです。

3 「穢れ忌避」信仰が武士を誕生させた

なぜ、北条義時が承久の乱の後に後鳥羽上皇を流罪にして自ら天皇にならなかったのか?これは、海外の人たちが日本の歴史を理解できないポイントだといわれるそうです。なぜなら、世界史では必ずといっていいほど自らが次の王者になるのに日本では武士が天皇を倒して自ら天皇になろうとしないことが不思議なのです。

実は、天皇家は清らかな存在だから代わりにはなれないという信仰が既にあったからです。先述した通り天皇家は最も清らかな神であるアマテラスから出産とはちがう特別な方法で誕生したとされていました。生の始まり(血)と終わり(死)は共に穢れが生じるものと考えられていたということです。

たしかに、生死の穢れは避けられなくても、他の穢れはなるべく避けることができます。それが「軍事」と「警察」でした。軍隊は戦いの中で必然的に血や死という穢れにふれることになり、警察は罪人という罪(穢れ)そのものにふれることになります。そのため、天皇は軍事権と警察権を放棄することにしたのです。ところが、最高権力者が軍事権と警察権を放棄するなんて例外中の例外なのです(時の権力者が軍事権をもたなければ必ずその座を狙われてしまうのですから…)。

たしかに、奈良時代の天皇までは自らが戦うこともあったようです。(神武天皇やヤマトタケル、天智天皇などが有名だと思います)。軍事権を放棄したくても天皇家を滅ぼそうとする勢力がいたから無理だったのです。しかし、平安時代になってようやく天皇の血統に対する信仰が確立してきました。こうして、ようやく天皇は軍事権と警察権を放棄することができるようになったのです。

桓武天皇がそのはじめで蝦夷を討伐するため坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命しています。平安な世の中になったことで桓武天皇に続いて公家も刑部省を避けるようになりました。こうして、朝廷から軍隊の存在が徐々になくなっていったのです。

しかし、世界史の常識では権力者が軍隊をもっていなければ必ず反乱が起きます。そのため、朝廷の軍隊が有名無実化したころに東北で大きな反乱が起こりました。これが「前九年の役」と「後三年の役」です。「役」という字には「対外戦争」という意味合いがあります(元寇の「文永の役・弘安の役」や豊臣秀吉の「慶長の役」など)。つまり、この反乱は東北地方にいる征服された異民族との戦いだったということなのです。

異民族とは朝廷をはじめとする文化を形成してきた定住農耕をする弥生人に対して、東北地方の蝦夷たちが狩猟採集を中心とする縄文人の末裔であったからと考えられます。大和朝廷に征服されるまで蝦夷の人たちは稲作などしたこともなかったかもしれません。蝦夷の人たちにとって大和朝廷はちがう文化を強要してくる存在―まるでスペインの征服者(コンキスタドール)のように感じたことでしょう。だからこそ、反乱(独立)の機会を常にうかがっていたと考えられるのです。

軍隊をもたない朝廷がどのようにこの反乱を鎮圧したのか―その答えが武士たちです。もともと、武士(源氏や平氏)は国の正式な軍隊ではなく私的な武装集団でした。なぜ、武装していたのかといえばアメリカ西部開拓時代のカウボーイたちのように国家に軍隊(警察)がおらず誰も守ってくれないから自ら武装する必要があったのです。当時、朝廷中央では藤原氏が栄華を極めて官職を独占するいっぽう、対抗勢力であったはずの源氏や平氏は都落ちせざるをえなくなってしまうのです。これが東国という未開の土地の開拓者という武士の起源につながっていくのです。

武士たちはお互いに所領をめぐって激しい争いをしていたことから武芸の修練をして土地を守るために武装集団化していく中で武士とよばれるようになっていったのです。朝廷は源頼義・義家の親子を中心とする非合法の武装集団に官職をちらつかせて、この前九年の役と後三年の役という反乱を鎮圧させたのです。しかし、武力をもつ者に権力を与えるのはとても危険な賭けでもあることから反乱が鎮圧されるとすぐに役職を罷免して勢力が拡大しないように注意しています。

さて、こうして地方の治安は源氏や平氏が勝手におさめてくれるのでいいのですが、さすがに都の治安の乱れはなんとかしなければいけないと藤原氏は考えていました。しかし、兵部省や刑部省の役職には誰も就きたくなかったので開店休業状態でした。そこで、出世を望む中級貴族たちに治安維持のための穢れ仕事をさせようと考えるのです。それが征夷大将軍と同じ令外官である検非違使という役職です。令外官の存在こそが穢れ忌避の信仰をもつ日本独自の宗教的副産物だったということです。

こうして、藤原氏が朝廷の官職を独占するいっぽうで武士には権力を渡しませんでした。しかし、上皇による院政が武士にとって救いの一手となっていくのです。朝廷の官職(左大臣や右大臣)については天皇といえども、藤原氏の意向を無視して決めることはできませんでした(宇多天皇が菅原道真を右大臣に任命するも藤原氏の陰謀で太宰府に左遷されるなど…)。しかし、院は非公式の立場なので上皇が自由に側近を選ぶことができたのです。そのため、藤原氏ではない優秀な人材が力を発揮する場所を求めて集まってきました。ここで、院と武士が結びついていくようになっていくのです。なぜなら、非公式な立場である院には権威はあっても財力がありませんでした。

いっぽう、武士団には開拓事業によって莫大な財産を築いていたので寄付をしていました。(平清盛の父である平忠盛は三十三間堂と同じような巨大寺院を献上しています)。そして、これまで昇殿を許されなかった武士がいよいよ昇殿を許されるようになるのです。こうして、平家(西日本で貿易商業によって財産を築いた平氏)は院政と結びつくことで、藤原氏を押しのけるほどの権力を獲得して新しい時代を築いていくことになるのです。平清盛が建造した厳島神社と国宝の平家納経がその財力の大きさを示しています。

ところで、武士の代表である平家や源氏は臣籍降下した天皇の子孫だったはずです。ということは、もともと両者も「穢れ忌避」の信仰をもっていたにもかかわらず、穢れを厭わない武士団を形成していったことになるのです。その理由は、先に述べた通り東国いたのは狩猟採取を主とする縄文人だったからです。

たしかに、源氏や清家の棟梁は朝廷と同じ弥生人の末裔だったかもしれませんが、そこで実際に田畑を耕していたのは縄文人の末裔だったのではないでしょうか?そのため、その土地を守るために穢れを厭わず戦う武士団となっていったのです。朝廷を中心とする中央では穢れを忌避する信仰をもつ人々がいたからこそ、権力者が軍事権と治安維持を放棄するという世界の常識ではありえないことが起こり、地方には穢れを厭わない人々がいたからこそ武士団が形成されていくことになったのです。

縄文人と弥生人という全くちがう文化をもった2種類の日本人の存在が見えてはじめて日本の歴史を正しく把握することができるようになるのです。外国の人たちにとって朝廷や貴族の行動原理することが難しくても、武士のことならよく理解できる理由もここにあります。自分で武力をもつことや国家に軍事力が必要であるというのは世界の常識だからです。「あれはサムライだ」と称賛することはあっても「あれは平安貴族だ」とは言いませんよね。

この世界の常識を破壊したのが「神の子孫しか天皇になれない」という信仰なのです。まさに、宗教的な権威が武力を凌駕した世界で唯一の国だと考えることができます。日本は相手が攻撃をしてこないと考えている脳内がお花畑の民族だと言われるいっぽう、合理的な思考では世界平和を実現できないヒントがここにあるのかもしれませんね。

鳥羽上皇による平忠盛の昇殿をきっかけにして、武士はこれまで避けられていた刑部省に任官されるなど次第に地位を向上させていきます。そして、平清盛は保元・平治の乱で勝利して武士の棟梁となり太政大臣にまで昇りつめます。さらに、娘を天皇に入内させて子どもを天皇にさせることに成功しました(安徳天皇)。しかし、これは藤原氏の摂関政治を模倣したものにすぎず平家は滅んでしまうのです。なぜなら、当時は既に武士が軍事力や経済力をもち政治を動かす世の中になっていました。そのため、藤原氏の摂関政治では武士を完全に味方につけることができなかったのです。

先に述べた通り、平家はほかの武士とちがって西日本で商業をすることで財を成しました。しかし、ほとんどの武士たちは東国で農地開拓をすることで地主になった人々でした。商業を中心とする平家が武士たちの土地に対する願いに気づけなかったいっぽう、関東にいたあの男―源頼朝が武士の悲願に気づいてそれを成就させることに成功します。こうして、日本初の武家政権が鎌倉にできて約600年に及ぶ武士の時代が始まるのです。

しかし、この章のはじめで述べた通り、「天皇は神の子孫」という信仰があるので武士(北条義時)にはチャンスがあったものの自らが天皇になることはできませんでした。また、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏も後醍醐天皇を追放するも天皇にはなりませんでした。では、武士の中には天皇を超える存在になろうとする者はいなかったのでしょうか?実は、織田信長と徳川家康は天皇をこえる存在(自らが神)になることを考えたのです。織田信長は天皇が尊いのは神の子孫だからであると考えて、それならば自らが権威をもつこと―つまり、神になればよいと思ったのでしょう。実際に、日本では菅原道真が天神様という神様に(事後的に)祀り上げられています。そこで、織田信長は自らの意志で神になることを歴史上で初めて目論んだのです。結果的に、この画期的な計画は失敗しますがそれを継承した徳川家康は成功させます。

徳川家康は織田信長に欠けていた「神学」(神である理由)を天海僧正に相談したのです。そして、徳川家康は「東照大権現」という神に祀られるようになりました。権現とは私たちの不幸を救うために人間の姿を借りて地上に降りてきた神様のことです。つまり、徳川家康は乱れた戦国の世を治めるために地上に降りてきた権現様であり、使命を果たしたので神として天上の世界に戻ったという「神学」を考えたのです。こうして、徳川家康は生前に自らの意志で神になる―自己神格化に成功するのです。さらに、朱子学という宗教を利用して260年に及ぶ太平の世を築くことにも成功します。徳川家康は宗教という視点を上手く利用した歴史上で唯一の傑物でした。

4 まとめ

今回の動画は「宗教の補助線をもとに見る日本人の歴史と信仰」について解説してきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだたくさんありますので、ぜひ本書を手に取ってより詳しく学んで頂けたらと思います。

日本の歴史教育には「建国の神話」が全く教えられていないという問題点があります。(そもそも、これが問題点だと思っていない人がほとんどだと思います)。「神話は事実ではない」「創作であり非科学的だ」のような批判もあることでしょう。しかし、日本神話を禁じた張本人であるアメリカは『聖書』をきちんと教えているのです。日本が「聖書を学ばせるのはよくない」と言えば受け入れて中止してくれるでしょうか?

また、近隣のアジア諸国との歴史的事象を扱うときには国際協調などの観点から配慮が必要であるという近隣諸国条項にも大きな問題があります。GHQの占領政策と相まって日本では文句が出ないよう自主規制をしている状況なのです。ちなみに、こうした文句を言ってくるあの国やこの国は堂々と反日教育を行っています。日本が「それはおかしい」と言えば受け入れて配慮してくれるでしょうか?

このように、日本の歴史教育に大きな誤りがあることをわかっていただけたと思います。ぜひ、これからも「宗教の補助線」を引いて歴史の真実を探求してみてください。今回は説明できませんでしたが「怨霊」「和」「言霊」という残りの3つについてもいつか動画にしたいと思いますのでぜひ高評価&チャンネル登録をお願いします。

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