今回は「ビジネスで結果をだすための哲学」について考えていきましょう。参考文献は『結果を出したい人は哲学を学びなさい』(編者:小川仁志さん)です。
近年のビジネス界では「哲学」を重視するムーブメントが起こっています。欧米では哲学者が大手企業のコンサルをすることもあり、Googleやアップルでは専属の哲学者をフルタイムで雇用しているそうです。
そもそも哲学とは何でしょうか?英語ではphilosophyのことですがこれは古代ギリシアの「知を愛する」という意味です。そのため哲学とは「ものごとの本質を考えること」と説明されることが多いのです。そこから、本書では「哲学とは考え抜いて言葉で表現すること」であるとしています。
自分の言葉で表現できると世界を新しい言葉で捉え直すことができるようになります。まさに「世界の有意味化」をすることができるようになるのです。あなたは哲学をすることによって自分がもっているフレームをこえて、新しくものごとを考えることができるようになるのです。
古代ギリシアのソクラテスは「哲学の目的はよりよく生きることである」と言いました。ものごとの本質がわかるようになればきっと正しい判断ができるようになります。本書の目的はそのような哲学的思考を身につけてもらうところにあります。ぜひ哲学的思考を活用して新しい価値を生み出すヒントを見つけてください。
1 なぜ哲学が必要なのか?
近年ここまで哲学が注目されているのには理由があります。1つ目は「グローバルの時代」ということです。欧米のエリートは誰でも当たり前のように哲学の教養を身につけています。フランスの高校生がバカロレアの哲学を学んでいることは有名ですよね。
グローバル時代ではそのような相手と競争していかなければいけません。2022年度からは日本の高校でも新しく「公共」という科目が新設されました。詳しくはこちらの動画をごらんください。
2つ目は「VUCAの時代」ということです。日本では失われた30年といわれるようにかつての成功モデルはもはや通用しません。何が正解かわからない時代ではゼロから正解を導く力が求められているのです。
3つ目は「AIの時代」ということです。AIが発達したことによって多くの作業はAIが担ってくれるようになるでしょう。そのためAIにできないこと―つまり創造的な思考がなければいけなくなるのです。
4つ目は「パンデミックの時代」ということです。新型コロナウイルスの流行は私たちの日常や常識を再定義する必要性を迫りました。このような問題点を解決するためにも哲学は必須の教養となることでしょう。
本書ではそのためにも「ピカソシュタイン」になることを提案されています。哲学をするためにはピカソのように感性や直感を大切にする芸術思考と、アインシュタインのように理性や論理を大切にする論理的思考の2つが必要なのです。ものごとを考える入り口の段階ではピカソのような芸術的思考が意味をもちます。しかし実際にそれを意味のあるものにする出口の段階では論理的思考が必要なのです。こうすることで「理に適った創造性」が生まれるということです。
そのためにもまずは哲学的センスを磨くトレーニングをしてみましょう。まずは「問うこと」―すなわちクリエイティブ・クエスチョンをするのです。たとえば「1+1」という現象の本質を考えてみましょう。この時に「1+1は?」と質問したのでは意味がありません。そうではなく「1+1は幸せか?」「1+1は地球を救うか?」のように問うのです。仮に地球上で反目している2つの勢力が手を取り合ったとすれば(1+1が起これば)、もしかしたら地球を救うことにつながるかもしれないな…のように考えてみるのです。
次に「答え方」―すなわちクリエイティブ・ソリューションを考えるのです。ポイントはじっくり考えるのではなくあえて即座に本質を答えるようにするのです。たとえば「山とは?」と問われたら「命の隆起」、「スマホとは?」と問われたら「脳みそ泥棒」、「友情とは?」と問われたら「寂しさの解消契約」などです。
また哲学が言葉による営みである以上「言葉のセンス」を磨くことも大切になります。言語とはコミュニケーションのツールではなく言語こそが思考そのものなのです。私たちは言葉がなければ考えることができないのです。つまり創造的な言葉がなければ創造的なモノやサービスもまた生まれることはないのです。言葉のセンスを磨くためには言葉にこだわる習慣をもって、常に思考を言語化したりオリジナルの言葉で表現したりすることが大切です。このようにして哲学的思考を身につけることができれば、あなたはきっと世界の意味を自分で捉え直すことができるようになるでしょう。
哲学の最大の醍醐味はまさにこの「世界の有意味化」という点にあるといえるでしょう。哲学こそが常に世界をアップデートし続けてきたのです。フランスのルソーは社会契約説を唱えて絶対王政という当時の常識を破壊しました。デカルトは全てを疑い思考を再構築することでキリスト教の呪縛を解き放ちました。まさに哲学には世界をひっくり返すだけのポテンシャルが秘められているのです。
2 ビジネス哲学研修
実際に著者の小川仁志さんが実践されているビジネス哲学研修を体験してみましょう。まずはウォーミングアップとして「ソクラテスの産婆術」を使った手法を実践します。これは相手の言うことを否定するのではなく考え方を揺るがす問いを投げかけるものです。
たとえば「鉄は硬い」と思っている人がいたら、「でも高熱なら溶けるのではないですか?」のように問いをなげかけてみましょう。また常識を疑うためにはその命題の一言一句にまでいちゃもんをつけてみるのです。
たとえば「食事は1日に3食を規則正しく食べなければならない」という命題であれば、食事…間食はいいのか?飲み物はいれるのか?1日3食…まとめてはいいのか?1回で3食分でもいいのか?規則正しく…時間のことなのか?栄養素のことなのか?食べなければ…食べるとは何か?点滴はいいのか?ならない…誰が決めたのか?守らないとどうなるのか?のように考えてみるのです。
つぎに「視点を変える手法」を実践します。これにはフランスの思想家レヴィ=ストロースの構造主義を活用しています。構造主義とはものごとを全体構造として捉えるということです。ものごとを俯瞰してみることで今まで見えなかった部分を見つけることができるのです。レヴィ=ストロースはアマゾンの未開部族を研究することで、文明社会とはちがったシステムとして交叉婚の仕組みが成立していることを発見しました。
全体構造をとらえることで西欧諸国だけが正しいわけではないことを指摘したのです。たとえばある会社では「離職率が高い」ことが問題としてあげられていました。しかし同心円的にそれを取り巻く環境を描いていくことで、離職率の問題はその会社だけではなく世界的な潮流であったことがわかったのです。そこで「会社の魅力を高めて離職率を下げる」ことよりも、「離職された時のダメージを減らす」ことが大切であることに気がついたのです。まさに視点を変えてものごとを捉えることができたからこそ導き出せた結論なのです。
他にもマルクス・ガブリエルの新実在論を活用して視点を変える方法も紹介されています。新実在論とは「ものごとは認識のままに存在する」ということです。たとえば富士さんは見る人によって意味が変わるはずです。新幹線の車窓から見える富士山と登山をしている人にとっての富士山はまったく違います。ガブリエルは見え方が異なるだけではなく見え方がそのままそのものの存在だと言います。つまり富士山は見る人の数だけ富士山があるということなのです。
これを応用するためには異なる複数の次元を想定することが大切になります。たとえば「旅行」をテーマに複数の次元を考えてみましょう。研修では「内臓」「メイウェザー」「虫」「平等」などがあげられたそうです。内臓から見た旅行とはどのようなものだと考えられるでしょうか?研修では「迷惑なもの」という考えに至ったそうです。時差の問題や長時間の移動など内臓にとっては旅行なんて迷惑なものでしかないのです。ここから後に「内臓にやさしい旅行」というアイデアが出されたそうです。
さいごに「ものごとを再構成」する実践をします。これにはドイツの哲学者ヘーゲルの弁証法を活用していきます。ヘーゲルの弁証法とは簡単にいえばマイナスをプラスに発展させる論理のことです。ヘーゲルはどんなことでも問題が生じると考えました。しかし問題を切り捨ててしまえばそこからものごとが発展することもありません。だからこそ問題を取り込んでそこから発展した状態を目指すべきであると考えたのです。
たとえば自動車は便利だけど環境に与える影響も大きいという問題があった時に、「環境にやさしい自動車」という発展した状態を目指そうとするということです。これによって誕生したのがあのプリウスなのです。
またフランスの哲学者ジャック・デリダの脱構築という方法も紹介されています。脱構築とは簡単にいえばいったん壊してそこから作り直すということです。デリダ自身も脱構築という考えのもと新しい哲学教育を考案しました。既存の枠組みを壊して全く新しい枠組みで考えられたのが国際哲学コレージュなのです。ここでは誰もが一流の先生のもとで自由に哲学を学べるのですが、なんと学費もなければ単位制度もないという全く新しい枠組みが示されたのです。壊して作り直すためにはどの要素を選んで再構成するのかを考えることが重要です。
まずはできる限り多くの要素をあげてみましょう。そこから好きなものだけを選んで新たに命名してみるのです。たとえば「働く」ということを考えてみると、お金、つらい、通勤、残業、誇り、スキルアップ、自己実現、上司などがあげられます。この中から好きなものだけを選んでみると、私と他者が共に楽になるもの、私他者が共に楽しめるものがいい働き方だとわかりました。ここから「自他楽」という言葉が新たに命名されたのです。カタカナでは「ハタラク」から「ジタラク」となって語呂もよいものだと思いませんか?どこか「自堕落」にも通じている語感もあえて狙っているとのことです
3 「生きづらさ」は最高の教科書
ここでは誰もが直面する日常や仕事での悩みを哲学の叡智で解決していきます。どの悩みも複雑な現代社会を反映したものとなっていますので参考になるでしょう。
3-1 生きることは苦痛なのか?
世の中には嫌なことがたくさんあります。戦争や貧困の問題、社会の中で強いられる苛烈な競争など、また格差社会において人生に悲観することしかできない人も少なからずいるでしょう。私たちは本当にこの世に生まれてきて幸せだったといえるのでしょうか?もしかしたら私たちは生まれてこない方がよかったのではないでしょうか?
南アフリカの哲学者デイヴィット・ベネターは「反出生主義」を提唱しました。ベネターは「快楽と苦痛の非対称性」を指摘しました。つまり「苦痛がないことはいいことだが、快楽がないことがいいかは人による」のです。快楽と苦痛は反対の概念のように思えますがその価値は等しいわけではないのです。そのため快楽を追求するよりも苦痛を避ける方が重要であると考えることができます。そして苦痛を避けるのであればそもそも生まれてこない方がよかったと考えたのです。
ベネターは私たちがするべきことは、できる限り子どもが生まれてこない世の中をつくることであると言いました。そして積極的に避妊や人工中絶をして段階的に人類を絶滅させるべきだと主張したのです。
イギリスでは一定の説得力があるとして「反出生主義の党」という政党が結成されました。みなさんはどのように考えますか?哲学的思考をつかって考えてみましょう。快楽と苦痛の間に非対称性があったとして生きることは全否定されるものなのか?私たちは過ちを繰り返すかもしれないがそうやって人類は進歩してきたのではないか?現在の世界に存在する苦痛は未来の世界においても存在すると考えられるのか?
またちがう視点でも考えてみてください。今の学校や会社の中では意味を見出せないからと言ってその人生は無意味だといえるか?そもそもあなたにとって苦痛とはどのようなものだといえるのか?このように考えた上であなたの人生を再構成してみてください。その時に出る結論が「生まれてこない方がよい」となるかどうかを考えてみましょう。
3-2 カミングアウトはするべきなのか?
誰にでもほかの人に知られたくない秘密があるのではないでしょうか?性のことや趣味のことなどはそれぞれの個性の問題でもあるといえます。考えなければいけないことはそれらの嗜好や個性をどのように周囲と調和していくのか―つまり周囲に迷惑をかけず、しかし否定されることもないようにできるかどうかなのです。
フランスの思想家ミッシェル・フーコーは「実存の美学」という概念を唱えました。フーコーは性の歴史を研究する中で古代ギリシアで重視された「率直な語り」に注目します。つまりフーコーは自分の嗜好について勇気をもって告白することに価値を見出したのです。世間の価値判断に振り回されることなく、積極的に自分の嗜好を実現していく人生―そのような生き方にこそ美的価値や自分の存在意義を認めることができると考えました。
これは受け身的な生き方から積極的な生き方への転換であることを意味しています。実存の美学においては自分だけではなく他者との関係が問題にされているといえます。なぜなら「私は〇〇です」と告白することでそれを聞いた他者との関係も変化するからです。同時に、「私は〇〇です」と積極的に告白をした自分もまたそれ以前の自分とは変化します。
実存の美学とは自分の生き方を問い直すことを通して、他者との関係を作りかえていく作業であるといえるのです。実はフーコー自身もまた同性愛者であったのです。フーコーが生きた時代はまだそれほど同性愛に対して寛容ではありませんでした。だからこそフーコーは自ら実存の美学を実践することにしたと考えられています。フーコーは同性愛者であることをカミングアウトすることを通して、新しい生き方を認めつつも自分と他者との間に新しい関係性を構築しようとしたのです。もちろんカミングアウトしたことで偏見や批判のようなデメリットもあったことでしょう。しかしカミングアウトしたことでより深く理解してくれる人間関係も生まれたはずです。
フーコーは芸術にも造詣の深い思想家だったといわれています。もしかしたら自分の人生もまた一つの芸術作品をつくりあげるようなものだと考えて、決まった人生を歩む必要などなく固有の生き方をすればよいと思ったのかもしれません。カミングアウトとは自分の人生を受け身的なものから積極的なものへ変える手段なのです。カミングアウト以前と以後であなた自身と周囲との関係性は確実に変わることになります。「カミングアウトとは?」と哲学をすることが己の生き方を見つめ直すきっかけなのです
3-3 なぜ他人を妬んでしまうのか?
誰もが劣等感をもってしまうことがあるものです。だからこそ嫉妬心もまた抱いてしまうことになるのです。劣等感とどのように向き合っていけばいいのかを考えるためにも、オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーの思想を参考にしてみましょう。
もともと内科医でもあったアドラーは身体的なハンディキャップがありながらも、弱点をバネに努力するサーカスの団員を見て劣等感こそが人を成長させると考えたのです。大切なことは劣等感を他者との競争に向けるのではなく、自分が理想に近づくために生かすようにするべきだということです。
なぜなら劣等感には「いい劣等感」と「悪い劣等感」があるからです。悪い劣等感とは自分と他者を比較することで生まれるものであり自分を苦しめるものです。いい劣等感とは自分の理想を直視する時に不足分を把握することで生まれるものであり、わたしたちはこのような劣等感をバネにして努力をすることで成長できるものなのです。
わたしたちはつい自分と他人を比べて自分の方が劣っていると考えてしまうものです。しかしそもそも他人は自分のことなどそれほど気にしていないことの方が多いものです。他者がどうであるかよりも自分がどうありたいかを考える方がよほど大切なはずです。アドラーはこれを「課題の分離」とよびました。自分の課題は自分にしか意味のないものであり自分にしか解決できないものなのです。他人がどれほど優れていて他人がどのように思おうが自分には全く関係のないことです。
まずは自分がどうありたいのかを考えてみることから始めてみてください。自分にとっての理想とはどのようなものですか?他人はそもそも自分のことを本当に気にしているのか?他人の視線を気にすることで自分はどのような状態に陥ってしまうのか?他者の目ではなく自分の理想について哲学してみることがはじめの一歩になります。
3-4 永遠の幸福はあるのか?
うまくいかないことが続くと自分の人生は不幸であると思えてしまうことがあります。ハンガリーの哲学者ミハイ・チクセントミハイの「フロー理論」を参考にしてみましょう。
チクセントミハイは戦争で家族を失ったことから幸せな人生について考えた哲学者です。チクセントミハイは幸福な人生を送るためには、「自己肯定感をもち続けられる状態を維持すること」が条件であると考えました。まず自己肯定感をもつためにはチャレンジとスキルのバランスを考えなければいけません。
自分のスキルに対してチャレンジが難しすぎる場合は挫折につながることが多いはずです。かといって簡単すぎる場合もまた満足感をえることにはつながらないことでしょう。つまりできるかできないかわからない境界線を明確に見定める必要があるのです。自分のスキルで達成できるギリギリのチャレンジをしている時、わたしたちは常に達成感や自己肯定感をえることができ幸せでいられるといえるのです。
この「がんばればできる」という課題に没頭している状態―まわりを気にせず努力の過程を楽しむことができる状態こそ「フロー体験」なのです。絶対に乗りこえることのできない課題に直面した時の挫折感と前向きなチャレンジの結果としての失敗は全くちがうものです。うまくいかない原因は自分のスキルとチャレンジの間に問題があるのかもしれません。高い目標を志すことは大切かもしれませんが必ずしもそれがいいとは限らないのです。
4 まとめ
今回は「ビジネスで結果をだすための哲学」について紹介しました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだありますので、ぜひ本書を手に取ってあなただけの名言を見つけてみてください。「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。硬貨を捧げればパンを得られる、税を捧げれば権利を得られる、労働を捧げれば報酬を得られる、なら一体何を捧げればこの世の全てを知れる?『チ。-地球の運動について-』はこの言葉で始まりこの言葉で終わりを迎えます。ぜひその答えをこれからも一緒に探していきましょう。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。
コメント