世界のエリートが学んでいる教養としての哲学

哲学×ビジネス

今回は「エリートが学ぶ教養としての哲学」について考えていきましょう。参考文献は『世界のエリートが学んでいる教養としての哲学』(著者:小川仁志さん)です。

【世界のエリートが学んでいる教養としての哲学】

突然ですが「あなたは教養のある人だ」と言われることはありますか?教養と聞くと知識の多寡を想像しがちですが本来は精神の成長を意味する言葉なのです。なぜなら英語では教養のことをcultureといいこれには「耕す」という意味があるのです。このことからも教養の真の意味とは精神の陶冶であり、そのためには自分の頭でものごとを考える力が必要になることがわかります。

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者である山口周さんはVUCAすなわちV=Volatility(不安定)、U=Uncertainty(不確実)、C=Complexity(複雑)、A=Ambiguity(曖昧)

の時代において世界のエリートたちが真っ先に身につけようとしている教養こそが「哲学」をはじめとする「美意識」であると述べています。

またフランスでは高校3年生が哲学を必修科目として学んでいて哲学がそれまで学んできた知識の内容をより深く理解するための教養とされているのです。

なぜ欧米ではこんなにも哲学を重要視しているのでしょうか?それは哲学とは本来ものごとの本質を批判的・根源的に探究する営みだからです。当たり前を疑い本質を追求する姿勢がこれからのビジネスで必須の知的態度となるのです。しかし日本では中学や高校はおろか大学でも選択科目の1つにすぎないことがあります。失われた30年といわれるように日本社会を長らく覆う閉塞感を打破するためには、ものごとの当たり前を疑い新しい価値観を創造するための深い教養が必要になるでしょう。哲学はそのために現在もっとも必要とされている教養であり、哲学を制する者がこれからの時代を制するといっても過言ではありません。

今回の動画では教養としての哲学をビジネスツールに位置付けて紹介します。この記事を見れば「哲学史」「思考法」「哲学者」「名言」などをおおよそマスターできます。まさに哲学のはじめの一歩ともいえる内容になっているのでぜひ最後までご覧ください。

1 哲学の歴史

まずはおおまかな西洋哲学の歴史をおさえるところから始めていきましょう。これは哲学の全体像を把握するための「知のマップ」といえるものであり、大きく「古代」・「中世」・「近代」・「現代」の4つに区分して考えていきます。

1-1 古代の哲学

哲学の歴史は古代ギリシアから始まります。最初の哲学者といわれるのは万物の根源は水であると考えたタレスです。(事実わたしたちの体の半分以上は水で構成されています)。また「万物は流転する」と言ったヘラクレイトスは万物の根源が火であると考えました。(事実わたしたちの世界は常に変化し続けています)。その他にデモクリトスは原子という概念を考えてこれが万物の根源であると考えました。(事実わたしたちの世界は原子によって構成されています)。顕微鏡もない時代に思考だけでこれらの存在を考えた哲学者たちのすごさを感じますよね。彼らはみな自然の本質を明らかにしようとしていたことから「自然哲学者」といわれます。

その後に登場したのが哲学の父と称されるかの有名なソクラテスです。ソクラテスこそが知(ソフィア)を愛する(フィロス)という意味のフィロソフィー、つまり「哲学」の命名者であり哲学の手法を確立した人物なのです。ソクラテスは対象を批判的に検討することでものごとの本質を明らかにしようとしました。具体的には知らないことを知っているという意味の「無知の知」にもとづいて、問答法を通して相手と対話することでものごとの真理を明らかにしようとしました。しかしソクラテスのことを危険視する人々によってさいごは裁判で死刑となるのです。

ソクラテスの哲学は弟子のプラトンやそのまた弟子のアリストテレスが引き継ぎます。プラトンはものごとの本質である「イデア」は現実ではなく理想の世界にあると考えました。だから目の前の現実に惑わされず理想の世界にある真理を追究するべきだと考えました。

しかしアリストテレスは反対に現実の世界にある真理を探究することにこだわりました。実はラファエロの名作「アテナイの学堂」の中心に描かれている2人の人物こそが、プラトンとアリストテレスなのです。プラトンは天を指し「天上界のイデアを見るべきである」と説いているのに対して、アリストテレスは地を指し「現実を見るべきです」と訴えているようにも思えますね。

この時期ギリシアの覇権をにぎったのがマケドニアのアレクサンドロス大王です。マケドニアのアレクサンドロス大王の家庭教師をしていたのがアリストテレスです。このアレクサンドロス大王の東征によってヘレニズム期の哲学が誕生していきます。ゼノンを創始者とするストイックの語源にもなった「ストア派」(禁欲主義)やエピクロスを創始者とする「エピクロス派」などがその代表的なものです。エピクロス派は「快楽主義」とよばれるので誤解をうけやすいイメージがありますが、どちらも「心の平静」を求めたところは共通するものといえる哲学です。

1-2 中世の哲学

中世では哲学よりもローマ帝国とキリスト教が主役となった時代でした。この時代の哲学はキリスト教の教義をいかに広めるのかという点に哲学が利用されました。代表的なのはアウグスティヌスとトマス・アクィナスで彼らはそれぞれプラトンの二元論的世界観とアリストテレスの目的論的世界観を宗教に援用しました。アウグスティヌスはキリスト教カトリック教会における「最大の教父」とされています。彼は教会を絶対的な存在と定め「神の恩寵による救い」の理論を展開しました。トマス・アクィナスはスコラ哲学の代表的な神学者です。彼はアリストテレスの哲学とキリスト教信仰を調和させて解釈し、信仰と理性の一致をめざしました。「哲学は神学の婢(はしため)」という有名な言葉は神学をすべての学問の上位におくという彼の思想をよく表しているといえます。

暗黒時代といわれる中世はルネサンスを経て宗教改革と科学革命によって終焉を迎えます。ルネサンス期を代表する偉人には万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ、現実的な政治理念を創始して『君主論』を著したニッコロ・マキャヴェリなどがいます。

1-3 近代の哲学

近代哲学の父といわれるのが大陸合理論の哲学者デカルトです。彼は「我思う、ゆえに我あり」という言葉と共に意識中心の哲学を発展させました。その後はスピノザの「汎神論」やライプニッツの「モナド論」に引き継がれていきます。

大陸合理論と対をなすのが知識は経験にもとづくとしたイギリス経験論の哲学です。フランシス・ベーコンは「知識は力なり」という言葉と共に経験論の祖とされています。その後はロック、バークリー、ヒュームと引き継がれていきます。

これらの哲学的な対立を統合しようと試みたのがドイツ観念論の哲学者で「カント以前の哲学はすべてカントに流れこみ、カント以後の哲学はすべてカントから流れ出る」と称されるイマヌエル・カントです。カントは「認識論におけるコペルニクス的転回」を起こした人物であり、人間には認識できる世界と認識できない世界があると主張しました。そしてカントの後を引き継いで近代哲学を完成させたのがヘーゲルです。ヘーゲルは「弁証法」を用いて人間の意識を「絶対知」という最高段階まで高めました。そしていずれ私たちは「絶対精神」にたどりつけると考えたのです。

近代哲学を完成させたヘーゲルを乗り越えようとしたのが社会主義を提唱したカール・マルクス、実存主義のはしりとなったキルケゴール、そしてキリスト教の道徳に依存する社会を批判したニーチェなどです。また精神分析のフロイトは「無意識」の存在を証明することで「私」という意識の絶対性に対する疑問を提示したのです。

1-4 現代の哲学

現代哲学の特徴は「私」という意識を中心とする近代の哲学を乗り越えようとするものです。「構造主義の祖」といわれるクロード・レヴィ=ストロースは未開部族の調査を通して「野生の思考」の中にも真理が存在することを明らかにしました。近代文明からおくれていると思われていた未開部族の風習にも合理的なものを見出し、適当に作った「プリコラージュ」という工作群にも意味があることを指摘しました。

ポストモダンとよばれるこのような現代思想は「私」の意識を中心とした絶対的に正しいとされる唯一の答えに向かう近代の思想に対するアンチテーゼなのです。ポスト構造主義のフーコーやデリダ、ドゥルーズなどはその代表的な哲学者です。

現代思想のほかの側面には「政治哲学」と「公共哲学」というものが存在します。「政治哲学」とは自由と共同体のあり方をめぐる議論のことであり、自由を重視するのがリバタリアリズムとリベラリズム

共同体を重視するのがコミュニタリアニズムという対立になっています。リバタリアリズムとは個人の自由を最大限に尊重する自由主義のことです。ハーバード大学のロバート・ノージックの「最小国家論」では国家を廃止しないまでも、その役割は国防・裁判・治安維持といった最小限にとどめるべきであると指摘されました。

リベラリズムとは同じ自由主義でもリバタリアリズムとは全くちがうものです。これは生まれながら有している自然権(自由・財産)を守るべきであるという思想です。現代リベラリズムの代表的な哲学者はジョン・ロールズです。彼は著書『正義論』の中で自由だけではなく公正さにも配慮するべきであると指摘しました。

リベラリズムに対する論争を展開しているのがコミュニタリアニズムの思想です。もっとも有名なのはテレビ番組でも注目されたハーバード大学のマイケル・サンデルです。これらの過程を経て現在もっとも注目されているのはコスモポリタン思想です。これは「世界市民主義」と訳されるように世界全体を人類の共通の場所と考える立場です。その結果コミュニタリアニズムのように国をはじめとする共同体単位ではなく、個人単位で正義や幸福を考えることが可能になるとされているのです。つまり世界規模で考えれば国や共同体の正義や幸福が問題なのではなく、ひとりの人間にとって何が正義で何が幸福なのかを問うことが重要であるということです。

コスモポリタン思想は古代ギリシアのヘレニズム時代がその起源とされています。この時期はアレクサンドロス大王の東征によって都市国家が崩壊していった時代です。そのため国家の枠組みを超えたコスモポリタン思想こそが人間の理性にそった生き方であると考えられたのです。中世や近代においてコスモポリタン思想は平和のための思想として位置づけられました。カントの著書『永遠平和のために』はのちの国連の基礎として受け継がれていきます。そして現代ではグローバルな正義を実現するための政治思想として発展しています。

以上ざっとですが西洋哲学の歴史を紹介してきました。哲学がどのような歴史的文脈の中で発展してきて今に至るのかを理解しておくことは次章以降の哲学者の思想を理解するうえでもとても需要な要素となるはずです。

2 哲学者の言葉

ここでは有名な哲学者の著書や名言をもとにその思想を簡単に紹介していきます。「聞いたことはあるけど意味は分からない」ということもあるかと思いますのでぜひこれらを覚えてビジネスのさまざまな場面で活用してみてください。

2-1 ヘラクレイトス「万物は流転する」

古代ギリシアの自然哲学者ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言いました。これはあらゆるものが生成消滅を繰り返すという意味です。同じ意味の言葉として「同じ川に入ることはできない」というものもあります。川は同じように見えますが流れているのでその瞬間の水自体はすでにないということです。このように「万物流転」とは世の中は常に変化しているという真理を示していると同時に変わらない原理がそこにはあるということも示唆しているのです。ビジネスの場面で大切なことは目に見えない変化を知ると同時に、変わらない本質を見極める目をもつことなのかもしれません。

2-2 ソクラテス「無知の知」

古代ギリシアのソクラテスはある日「お前以上に賢い者はいない」という信託を受けます。そこでそれを確かめるために賢いといわれている人たちと対話することにしたのです。しかし賢いといわれていた人たちは賢いふりをしているだけでソクラテスが問い詰めていくとさいごは誰も答えられなかったのです。そこでソクラテスは「私は自分が知らないということを知っている」ことを悟ったのです。知ったかぶりをすることのリスクはそれがバレた時のことはもちろんですが知っていると思い込んでそれ以上に努力をしなくなってしまうところにあるのです。自分が無知であることを自覚して新しい一歩を踏み出すきっかけとしてみてください。

2-3 ニッコロ・マキャヴェリ『君主論』

「自分の身を守ろうとする君主はよくない人間にもなれることを習い覚える必要がある」超訳としては「リーダーたる者は時には冷徹になる必要がある」でしょうか?みなさんはどのような人がリーダーとしてふさわしいと思いますか?人望や知識はもちろんですが何より大切なのは「決断力」であるともいえます。つまり躊躇することなく冷静かつ冷徹に判断できる人こそが優秀なリーダーなのです。このようなリーダーとしてのあるべき姿について述べられているのが『君主論』です。「マキャベリズム」とは彼の名に由来するものであり、目的のためには手段をえらばない強権的な政治家を揶揄する言葉とされています。

2-4 パスカル「人間は考える葦である」

誰もが聞いたことがあるにも関わらずその意味を理解している人はあまりいない言葉、それがパスカルの著書『パンセ』に登場するこの一節です。超訳としては「人間は葦のように弱いが考えることができるという点で強い」です。これこそ人間の弱さと考えること崇高さを一言で表した名言中の名言といえる言葉です。ただしパスカルは「想像力は敵である」とも指摘しています。ものごとを過少に評価したり過大に評価したりするのは想像力のデメリットです。パスカルが考える力を尊重しながらもその限界を示していることも覚えておいてください。さっきまで「考える“足”」と思っていた人はぜひチャンネル登録をよろしくお願いします。

2-5 ルネ・デカルト「我思う、故に我あり」

デカルトはすべてを疑いに疑った末にそれでも疑うことのできないものを発見します。それが「どんなに疑ったとしてもその疑っているわたしがいること」です。デカルトの哲学はこれを第一原理とすることで理性によって演繹的に展開されていきます。哲学とはまずはあらゆるものを疑うことから始まります。ビジネスに限らずものごとの本質を批判的に探究しようとする知的態度は何より大切です。何を信じればいいかわからない時代だからこそデカルトの思考方法が役に立つはずです。ちなみにデカルトを理解することができればあのエヴァンゲリオンも理解できますよ。疑いに疑っている人はぜひこちらの動画をごらんください。

2-6フランシス・ベーコン「知識は力なり」

デカルトが理性によって演繹法にものごとを考えたのに対してベーコンは実験と観察を積み重ねることで知識をふやしていく帰納法を重視しました。しかし帰納法には人間が陥りがちな4つのイドラ(偏見など)があると指摘したのです。1つ目は「種族のイドラ」といいこれは人間がもともと持っている偏見や錯覚のことです。たとえば目の錯覚のように誰もがまちがえてしまうもののことです。2つ目は「洞窟のイドラ」といいこれは各個人の経験による先入観のことです。たとえば「井の中の蛙」のように自分の経験したことのみによる思いこみなどのことです。3つ目は「市場のイドラ」といいこれは人間同士の会話による勘違いのことです。たとえば都市伝説やうわさなどを信じることがこれにあたります。4つ目は「劇場のイドラ」といい権威や伝統に基づく誤りのことです。たとえば「ハロー効果」のように偉い人が言うのだからまちがいないなどの偏見です。現代でも通用するこれらの過ちを理解することで確かな知識をえることができるのです。

2-7 カント「汝の意志の格率が常に立法の普遍的な原則に合致するように行為せよ」

カントは『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という批判三書を著しました。その中の『純粋理性批判』の中の一節がこの言葉であり超訳としては「常にだれもが納得するような基準で行動しなさい」となるでしょうか?カントは正しい行動をすることは人間の義務であり、そこには何一つとして条件をつけるべきではないとしました(定言命法)。そして定言命法に従って正しい行動をすることが「自由」であると考えたのです。欲望や誘惑に負けず自分の意志で正しい行動をすることこそが人間のすばらしさなのです。ちなみにカントは自身の哲学をそのまま体現していたかのように決まった時間に起きて決まった時間に散歩をして決まった時間に就寝していたといいます。ビジネスエリートであることを目指すのであればぜひカントライフを送ってみてください。

2-8 ヘーゲル「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」

ヘーゲルは祖国プロイセンにおいて自由を理想とする社会を追求した哲学者です。しかし理想と現実の間には溝があるのでなかなか埋まるものではありませんでした。それでもヘーゲルは理想と現実が一致するように努力するべきであると訴えました。それは理想をあきらめて現実を受け入れるのでもなく現実を無視して理想だけを無謀に追及することでもありません。ヘーゲルはその両者をたがいに引き寄せるように努力するべきであると指摘したのです。ビジネスでも目の前の仕事に真摯に向き合いつつも理想を追求する姿勢がまさにそうです。誰もが理想と現実のはざまで悩んでいることと思いますがだからこそヘーゲルのこの言葉を覚えておいてください。

2-9 ジャン=ポール・サルトル「実存は本質に先立つ」

自信がない人や人生もう詰んだと思っている人に紹介したいのが実存主義のサルトルです。サルトルは幼少期から学問は優秀でも背が低くギョロ目でおまけに強度の斜視という外見的コンプレックスを抱えながら生きてきました。にもかかわらず「モテたい」という思いだけは誰よりも強く学内で美少女に告白するも幾度となく拒絶される経験を重ねたと言われています。そんなサルトルの哲学を一言で表現したのがこの「実存は本質に先立つ」です。これは「人間は自分で自分の人生を切り開いていくことができる」という意味です。つまり世の中の常識が自分の生き方を決めるのではなく自分で決めるべきと言ったのです。「これからなろうとするがまだなれていないものになりうるということだけが重要」と言って外見的コンプレックスを抱えるモテない少年ではなく、フランス哲学界をリードする知的エリートとして生まれ変わることができたのです。そして大学内でも美人と評判のポーヴォワールという女性と契約結婚をしたり、晩年には多くの愛人にも恵まれるうらやましい生活を謳歌したりすることができたのです。ポーヴォワールは人間の自由と女性解放フェミニズムの先駆者であり「人は女に生まれるのではない、女につくられるのだ」という言葉をのこしています。そんな彼女にサルトルは「ぼくたちの恋は必然だけど偶然の恋も経験したいな」と言って愛人をつくるのですが浮気相手との関係について逐一手紙で報告していたとされています。サルトルのように手紙で報告するのはお勧めしませんがその生き方は参考になるはずです。

3 哲学の思考法

哲学にはさまざまな思考法が存在しています。そこでこの章ではビジネスにも応用できるすぐに役立つ思考法を紹介していきます。

3-1 相対主義

相対主義とは「価値観は人それぞれ」という考え方のことでありその代表的な哲学者プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と言いました。ここでいう人間とは個人個人の感覚のことであり尺度とは判断基準のことです。いわゆる金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい」ということです。これをビジネスの場面に応用するとどんなことに活かすことができるでしょうか?

相対主義のポイントは視点を変えることで差異を相対化することができるところです。たとえば何が成功で何が失敗であるかは視点をかえることでちがう捉え方ができるのです。失敗だと思っていたことが長期的な視点では成功につながるきっかけになることもあれば、成功だと思っていたことが長期的な視点では失敗の原因になっていることもあるのです。「絶対」だと思っていることを疑うことは哲学の基本中の基本ですのでこの相対主義の思考方法をビジネスの場面にぜひ応用してみてください。

3-2 社会契約説

みなさんは「国家」がなぜ存在しているのかを考えたことがあるでしょうか?わたしたちが自由や平等の権利を主張できているのはまさに哲学者のおかげなのです。絶対王政の時代は王が民を支配する権利を神から授けられていると信じられていました。これを「王権神授説」といいますがこれに疑問をもったのがホッブズやルソーです。ホッブズは自然状態において「人間は万人の万人による闘争状態」であったと考えました。そこで人間が生まれながらにしてもっているはずの大切な権利(自然権)は「生命保存の権利」であると言いました。ホッブズは主権を国家(リヴァイアサン)に全面的に委譲することによって、君主が生命の安全を保障する政治体制を築く必要があると考えたのです。ただしこれは「絶対王政」を理論的に擁護することになってしまいましたがこのような思想が「社会契約説」のはじまりであったと考えられます。

そしてルソーは「自然状態において人間は自由で平和な状態」であったと言いました。そこで人間が生まれながらにしてもっているはずの大切な権利(自然権)は「自由と平等の権利」であると言いました。ルソーは個人の利益を追求する私的な意志のことを特殊意志といい、その総和を「全体意志」とよびました。そしてイギリスの議会は個人の利益を追求する全体意志が多数決によって決まることで少数の意見を排除することになってしまっていると批判したのです。そこで全体意志に対して公共の利益を達成するために人民が共有するべき意志のことを「一般意志」とよびました。一般意志は全員に共通する意志であり個人の利害を総和したものではありません。そのため特殊意志の総和である間接民主制ではなく一般意志をもった全ての国民が直接政治に参加する「直接民主制」を提唱したのです。現代ビジネスは国境を越えたグローバルな展開をすることが当たり前となっています。このような時に「国家」とはいかなるものなのかという教養は不可欠なものでしょう。

3-3 功利主義

「功利主義」の創始者はイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムです。功利主義のポイントは「物事の正しさを功利(幸福の量)によって決める」ことです。たとえば満腹の人と空腹の人でおにぎりをわけるとしたら、均等にわけるよりも空腹な人に多めに分ける方が幸福度の総量は多くなると考えます。このような考え方を「最大多数の最大幸福」といいます。たしかにできるかぎりみんなが平等に幸福になるという考え方は素晴らしいものです。しかし功利主義(平等の正義)には大きな問題点が3つあるのです。

1つ目は「幸福度を客観的に計算できるのか?」という問題です。なぜなら貧乏な人と裕福な人では100円を拾った時の幸福度がちがうからです。状況によって基準が変わるような方法ではとても有効な手段とは言えませんよね。

2つ目は「身体的な快楽が本当に幸福だといえるのか?」という問題です。これについてベンサムの後継者ジョン・スチュアート・ミルはこう言っています。「快楽の量ではなく快楽の質こそが重要なのではないか?」たとえばお酒を飲んで暴れまくる快楽とクラシックを聴きながら美術品を鑑賞する快楽どちらの方が健全で質が高いと考えられるかといえば…なんとなくわかりますよね。ミルはこれについて「低級な人間は低級な快楽しか選ばないが高級な人間は両方の快楽を理解したうえで必ず高級な快楽を選ぶ」と指摘したのです。つまり頭のいい人はバカになろうと思わないし良心的な人は利己的にはならないのです。

3つ目は「強権的になりがちというパターナリズム」の問題があります。パターナリズムとは「相手の意思を考慮しない独善的なおせっかい主義」のようなものです。功利主義を実現するのはそもそも「他人を抑圧する強権」の行使が必要になります。平等の正義を志向する社会主義の国を思い浮かべてみてください。あの国もあの国もだいたい強権的で抑圧的な政治体制になっていますよね?そのような国々がどんな正義を掲げているのかを私たちは知る必要があるのです。

3-4 民主主義と社会主義

民主主義とは「民を主とする政治の仕組み」のことです。つまり何かを決めるときに王や一部の支配者が独断で決めるのではなく、みんなで考えて決めることができる権利がみんなに等しく保障されているのです。その起源は「相対主義」が登場した2500年前の古代ギリシアまでさかのぼります。そもそも古代ギリシアで民主主義が発達したことがきっかけで討論のための技術となる相対主義も発展したという経緯があります。現代ではほとんどの国家が民主主義を採用しているので最善のシステムと思いますよね。しかし民主主義には大きな問題点がふくまれているのです。イギリスの首相をつとめたウインストン・チャーチルは次のように言いました。「民主主義は最悪の政治システムである、ただし他のあらゆる方法を除けばだが」

また万学の祖と言われたアリストテレスも「民主制は国を退廃させる制度である」と言いました。民主主義の問題点は「多数決」という特性から「ポピュリズム」に陥ってしまうことです。そのためアリストテレスは「君主制や貴族政治の方がいい」と露骨に言っていますし、その師匠であるプラトンは「哲人王が政治をすることが理想」とも述べています。

では社会主義のように独裁的な方法で国家を運営する方がよいのでしょうか?そもそも社会主義を提唱したのはドイツの哲学者マルクスです。「万国の労働者よ、団結せよ」と言い社会主義の思想を提唱しました。資本主義は自由競争の結果として貧富の差が拡大して勝ち組と負け組が明確になります。労働者はいつまでも搾取され続ける状態から抜け出すことはできないことからマルクスの社会主義の思想は一気に世界中に広がりました。しかし世の中を見渡してみると今ではほとんど社会主義を信じる国は見当たりません。それは社会主義には大きな問題点があったからです。人間は「やってもやらなくてもかわらない」という状態になると必ず手を抜くようになり、集団の中にいると無意識に力をセーブすることを「社会的手抜き」と言うのです。その理由は①全体の成果に大きく影響するわけではないから②集団として評価されるならば自分だけが努力しても期待される報酬が得られない③他者の存在を意識することで集中力などがにぶくなる④傍観者効果によって一人一人の責任感がうすれていくなどの要因が考えられます。その結果として多くの社会主義を掲げる国は立ちいかなくなってしまったことから現在では多くの国々が民主主義と資本主義をかかげるようになっているのです。

3-5 構造主義

レヴィ=ストロースの少し前にスイスの言語学者ソシュールは「言語が集まって世界が構成されているわけではなく全体という構造がまずあって、その中で対立がおこることによって言語が生まれる」と考えました。レヴィ=ストロースはソシュールの言語論的転回をもとに人類学にもこれを当てはめて「個人があつまって社会が形成されているのではなく社会や文化という構造がまずあって、その中で対立がおこることによって個人が成立する」と考えることにしました。つまりレヴィ=ストロースは社会や文化の対立を分析することによって社会の全体的な構造を把握しようと試みたのです。そしてソシュールのように同じ社会の過去と現在を比較するのではなく、社会ごとの文化の差異や対立を考えることが大切であると考えたうえで「人類共通の構造」があるのではないかと説きました。

たとえば西洋においては科学的思考によって近親婚の禁止が採用されています。一方で未開人においては野生の思考のもと女性を交換することで結果として近親婚を回避するということが起きていたのです。もし西洋の文化しか見ていなかったとすれば近親婚を回避するという人類共通の構造を検証することはできませんでした。これがそれぞれの社会の対立や差異を考えることによってそれまで見えていなかった構造を発見することができるという「構造主義」の始まりです。

これをビジネスの場面に応用するならば「木を見て森を見ず」ということだと思います。一部だけに着目しているだけでは見えない本質が全体を見通すことで発見できるのです。全体を見るとはレヴィ=ストロースのように文化の差異を考えるということです。そうすることで成功につながる共通の構造を見つけることができるようになるでしょう。

4 まとめ

今回は「エリートが学ぶ教養としての哲学」について考えてきました。記事の中では紹介することができなかったこともまだまだありますので、ぜひ本書を手に取って教養としての哲学をふかめていってください。「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。「人間は思考することをやめてしまえば誰もがナチスのような巨悪になりうる」公共哲学の哲学者ハンナ・アーレントはこのように言いました。これからも「哲学」のおもしろさを発信していきますのでぜひゼロから一緒に学んでいきましょう。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。

Audible登録はこちらから(クリック)

コメント

タイトルとURLをコピーしました