世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

哲学×ビジネス

今回は「ビジネスエリート×美意識」について考えていきましょう。参考文献は『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(著者:山口周)です。

【世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?】論理から直感へのパラダイムシフトと「真・善・美」を判断するための哲学の教養

英国のロイヤルカレッジオブアート(RCA)は修士号・博士号を授与できる世界で唯一の美術系大学院大学ですがここ数年は企業に向けてあるビジネスを展開しています。それが「グローバル企業の幹部トレーニング」なのです。またニューヨークやロンドンの美術館で開催されている早朝のギャラリートークではこれまでよりも圧倒的に多くのビジネスエリートが参加するようになっているのです。

なぜ世界のビジネスエリートたちは「美意識」を鍛えようとしているのでしょうか?それは新しい時代における「真・善・美」を判断する内部のモノサシをもつためなのです。アーティストのヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」というコンセプトを提唱することで、全ての人はアーティストとしての美意識をもって社会に関わるべきであると主張しました。ボイスは世界という作品の制作にかかわるアーティストの1人であるからこそこの世界をどのようにしたいかというビジョンをもつべきであると考えたのです。ビジネスにおいてもプロジェクトや会社そのものを世界をよりよいものにしていくアーティストとしての自分の作品であるとするのです。

AIの発達により世の中の変化はこれまで以上のスピードをもって進むことでしょう。またイスラエルとパレスチナなどの国際問題は私たちの生活と無関係ではありません。このような時代においてエリートたちが真っ先に身につけようとしている教養こそが、「哲学」をはじめとする「美意識」にかかわるものだったのです。この動画では「美意識」と「哲学」の部分を中心に解説していますが

詳しく知りたい方はぜひ本書を手に取って読んでみてください。

1 なぜ美意識が必要なのか?

みなさんは「現代はVUCAの時代である」という話を聞いたことがありますか?VUCAすなわちV=Volatility(不安定)、U=Uncertainty(不確実)、C=Complexity(複雑)、A=Ambiguity(曖昧)という社会を特徴付ける4つの形容詞の頭文字を合わせた言葉で、もともとはアメリカ陸軍が現在の世界情勢を説明するために用いだした用語です。VUCAの時代においてはこれまでのような論理だけにもとづいた経営ではなく、直感的に「真・善・美」を判断することができる哲学の素養が求められるのです

なぜなら「分析」「論理」「理性」だけに軸足を置いたサイエンスを重視した意思決定の経営手法が通用しなくなってきているからです。

その理由は以下の3つにまとめられます。1つ目は「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」が露呈してきたという点です。世界中で論理的に情報処理をすることができるようになった結果、誰もが「同じ正解」にたどりつくことができるようになりました。しかしそれは「差別化の消失」を生むことにもなるのです。そのためアートとサイエンスのバランスを捉えなおしたうえで全体を「直感的」に捉える感性と「真・善・美」を創出する創造力が求められるのです。

2つ目は世界中の市場が「自己実現的消費」に向かっているという点です。世界規模での経済成長が進展したことによって私たちの誰もが「自己実現の追及」をすることが可能になってきました。このような市場においてはこれまでのような大量生産・大量消費を是とする経営よりも承認欲求や自己実現欲求を刺激する感性や美意識が求められるのです。

3つ目は「システムの変化にルールが追いつかない」状況が発生しているという点です。AIの発達によって世の中の変化のスピードはますます加速していくことでしょう。このような世界ではルールの整備がシステムの変化を後追いするようにならざるをえません。そのため明文化されたルールや法律だけをよりどころにするのではなく、内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められるようになるのです。

ここでいう「経営における美意識」とはどのようなものなのでしょうか?それはワクワクするような「ビジョン」や自分たちの行動を律しようとする「行動規範」、また顧客を魅了する「表現」などの美意識を意味しています。これまで企業の良さは「測定可能な側面」が重視されてきました。エドワーズ・デミング博士は日本的経営にサイエンスの視点をもちこんだ人物ですが、それでも「測定できるものだけで経営を管理してはいけない」と言っています。

では「測定できないもの」についてはどのように判断すればよいのでしょうか?そこで問われるものこそが「リーダーの美意識」(真・善・美の判断)なのです。ドイツ観念論のイマヌエル・カントは理性と感性の問題について、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という著書をのこしましたが、これら3つの著書こそがそのまま「真・善・美」について考察したものとなっているのです。たとえば『判断力批判』の中では「美しいということには何らかの普遍的妥当性がある」というようなことを言っています。

たしかにプロダクトの「良さ」は機能などの目的に適しているかによって判断されます。しかし「美しさ」は必ずしも目的に適しているかどうかは関係なく感じることができます。以上の点からこれからのビジネスでは「測定できないもの」、「目的と手段が必ずしも一致しないもの」を究極的に判断しなければならないのです。だからこそ「世界のエリートは美意識を高めている」のです。

2 経営における論理と理性の限界

論理的・理性的な思考スキルは問題の発生とその要因が単純化された静的な因果関係モデルを解決するためには有効なアプローチとなります。しかし問題を構成する因子が増加してそれらが動的に複雑な変化をする場合は、このような思考スキルは必ずしも有効なアプローチとはなりえないのです。「論理的に測定できない」ものを判断するためには「美意識」が必要となるのです。そのためイギリスのオックスフォードやケンブリッジなどのエリート養成校では、古くから哲学に代表される「美意識」を高めることが重視されてきたのです。答えの出ない問題の典型が内政と外交なのですがそれを判断できるエリートを養成する同校の看板学部こそが「哲学・政治・経済学科」なのです。つまり政治と経済を担うエリートこそ「哲学」を教養の基礎として身につけているのです。

またフランスでは高等教育の最終学年における哲学教育とバカロレア哲学試験があります。全ての高校生が哲学を必修科目として学び哲学的思考を習得することになっているのです。たとえば2017年の問題では以下の3つの設問に4時間かけて論述するという形式でした。

①理性はすべてを説明することができるか?

②芸術作品は必然的に美しいのか?

③トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』からの抜粋に関して論述せよ

フランスではこのような「正解のない問題」に対する自分の考えを数時間かけて論述するためのトレーニングをすべての高校生が受けているのです。イギリスでもフランスでも「哲学」の素養がない者に

内政や外交をまかせることはできないという共通認識があるのです。

以上の点から意思決定をする際には「論理」と「理性」に過度な依存をするのではなく、「直感」と「感性」をバランスよく活用することが求められると考えられます。経営学者のヘンリー・ミンツバーグは経営について「アート」と「サイエンス」と「クラフト」が混ざり合ったものであると指摘しています。「アート」はステークホルダーをワクワクさせるようなビジョンを生み出します。「サイエンス」は論理的な分析を通してビジョンに現実的な裏付けを与えます。そして「クラフト」は経験や知識を元にビジョンを実現するための実行力を生み出すのです。つまり個別の現象から抽象概念を導き出す「帰納」的な推論は「アート」、抽象概念を個別の現象に適応させる「演繹」的な推論は「サイエンス」であり、両者をつなぎながら現実的な検証をしていくのが「クラフト」であると考えられます。「演繹」と「帰納」についてさらに詳しく知りたい方はぜひこちらの動画をご覧ください。

「アート」だけではただの盲目的な夢物語で終わってしまいます。「クラフト」だけでは経験のみを重視した踏襲主義により新しい挑戦は生まれません。そして「サイエンス」だけでは測定できないものはすべて却下されてしまうのです。そこで経営における意思決定はこれら3つのバランスが大切になるのです。

ではなぜ意思決定の際には「サイエンス」や「クラフト」が重視されるのでしょうか?その原因は「アカウンタビリティ(説明責任)」の格差に問題があります。「サイエンス」や「クラフト」は論理的なアカウンタビリティをもつことができますが。、「アート」は明確なアカウンタビリティをもつことができないのです。しかし画期的なイノベーションが起こる時には「論理と理性」を超越する意思決定、つまり「非論理的」ではなく「超論理的」といえるような意思決定が行われるのです。経営のPDCAサイクルにあてはめて考えてみれば、Planの部分を「アート」型の人材が、Doの部分を「クラフト」型の人材が、そしてCheckの部分を「サイエンス」型の人材が担うようにするのです。このようなガバナンス構造をもつことで、革新的なアイデアを提供してきた企業を私たちはよく知っているはずです。たとえばウォルト・ディズニー社のウォルト・ディズニーとロイ・ディズニー兄弟、ホンダの創業期を支えた本田宗一郎と藤沢武夫のコンビ、そしてアップルの急成長を支えたスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーなどがそうです。

もちろん経営のトップが必ずしも「アート」型の人材である必要はありません。たとえばユニクロを展開するファーストリテイリングでは柳井社長を経営トップとして「アート」の側面をジョン・ジェイ氏や佐藤可士和氏が担っています。これらの事例からわかる通り「アート」の側面における競争力というのはデザイナー個人の力量はもちろんのことながら、「アート」「サイエンス」「クラフト」のバランスを保つ経営ガバナンスの仕組みにあるといえるのです。

3 どのように美意識を高めればよいのか?

「測定できないもの」を判断するために求められる資質や能力とはすなわち、自分の中にある「真・善・美」に関わる基準をもつということです。そのためには論理や理性によって外部のモノサシに頼るのではなく、自分の主観的な内部のモノサシによって意思決定することが必要になるのです。

では「真・善・美」における「客観的な外部のモノサシ」と「主観的な内部のモノサシ」とはどのようなものなのでしょうか?「真」における外部のモノサシとはまさに論理的な思考のことです。これまでビジネスエリートは誰もがMBAを取得することを重視してきました。しかしVUCAの時代のビジネスエリートはRCAに通うようになってきたのです。「論理や理性」による意思決定は対象となる問題が大きくなるほど、それを構成する因子もまた増加していくのでとても困難なものとなります。だからこそ最後に決断することのできる「直感と感性」が求められるのです。

「善」における外部のモノサシとは「法律」のことです。しかしこれもまたVUCAの時代においては

「システムの変化に法律が追いつかない」という状況が生まれています。そのような場合に法律的に正しいかどうかだけを判断の基準にしてよいのでしょうか?客観的に測定できるものだけを妄信して法律のグレーゾーンに踏み込んだ結果として、多くの企業がコンプラ違反という問題を抱えていることは無関係ではないでしょう。そのため「道徳や倫理」という内部のモノサシをもつことが必要なのです。

「美」における外部のモノサシとは「顧客」のことです。これについてはマーケティングという客観的な調査の結果が、デザインという主観的な評価よりも重視されてきたことからもわかるとおりです。しかしグローバル規模での自己実現欲求の市場では、市場を教育する対象として見るという「上から目線」が必要となるのです。そのためにも「美意識」という主観的な内部のモノサシをもたなければならないのです。これはすなわち「真」=論理と理性、「善」=法律、そして「美」=顧客という外部のモノサシで「真・善・美」を判断する経営から、「真」=直感と感性、「善」=倫理と道徳、「美」=美意識という内部のモノサシで「真・善・美」を判断する経営へのパラダイムシフトであるといえます。これによって近年おおきな飛躍を遂げた企業が「マツダ」なのです。これまで日本車のイメージと言えば「品質」や「燃費」などが高い評価を受けてきました。しかし近年のマツダはいくつもの世界的に有名なデザイン賞を受賞しているのです。マツダでは世界のトップブランドとしてデザイン面でも競争力を保つためには、「日本の伝統的な美意識」を生かすことが必須であると考えたのです。そのためにもマツダでは「顧客に好まれるデザイン」よりも、「顧客を魅了するデザイン」をねらった上から目線の内部のモノサシをもっているのです。そして最終的にデザインの良し悪しを判断するのは「直感的にいい」かどうかなのです。これは「一目見たその瞬間に感動できるかどうか」ということです。マツダでは「説明が必要なデザインでは人を感動させられない」と考えられているのです。これまで重視されてきたアカウンタビリティはむしろ弊害ですらあるということです。

ではどうすれば内部のモノサシである美意識を高めることができるのでしょうか?そのヒントが芸術的趣味の有無を調べた調査にあります。実はノーベル賞の授賞者は一般人と比較して2.8倍も芸術的趣味を保有しているのです。しかし一般的なレベルの科学者は一般人と比較してほとんどちがいは見られませんでした。つまり「アート」と「サイエンス」は対照的な営みではなくこれらは個人の中でも、相互に影響し合うことで高い水準の知的パフォーマンスを可能にしているのです。

エール大学の研究グループは2001年に「アートを見ることで観察力が向上する」という研究結果を発表しました。そこで多くの企業が見る力を高めるために取り入れているのがVTSつまりVisual Thinking Strategyのことですです。これによって「ステレオタイプなモノの見方」から自由になることができるのです。VTSを通して1つの作品について対話を続けることによって、ステレオタイプな解釈とはまったくちがった絵をそこに見ることができるようになります。まさに「ソクラテスの無知の知」のように見えなかったものが見えるようになるのです。

また「哲学に親しむ」ことも美意識を高めることにつながります。イギリスやフランスにおける哲学教育の重要性はすでに紹介したとおりです。そもそも哲学からどのような学びを私たちはえることができるのでしょうか?たしかにデカルトの「我思う、ゆえに我あり」やソクラテスの「無知の知」という言葉だけを知っていても意味はありません。しかし哲学者がどのように思考してその気づきに至ったのかというプロセスや哲学者がどのように世界に対して向き合ったのかという姿勢には大きな意味があります。

たとえば古代ギリシアのアナクシマンドロスという哲学者はある日「大地は水によって支えられている」という定説に疑問を抱くようになります。なぜなら「もし水に支えられているのであれば水も何かに支えられているはず」だからです。そして無限に何かを支え続けているということはありえないので

最終的に彼は「地球は宙に浮いている」という仮説を導き出したのです。現代の私たちからすればそのこと自体には新しい発見はありませんが、はるか昔に思考することのみによって真理を明らかにした知的態度は参考になるはずです。哲学をするとは「ものごとの当たり前をうたがう」ことから始まります。ハンナ・アーレントは「悪とはシステムを無批判に受け入れることだ」と言っています。ナチスドイツのアドルフ・アイヒマンはその典型ですが、同じ環境に身を置けば私たちの誰もがアイヒマンと同じになる可能性があるのです。哲学をすることで「システムを無批判に受け入れる」という悪に対する防御ができるのです。

エリートにはシステムの内部でそこに最適化しながらもシステムに対する懐疑は失わない、そしてシステムの中で影響力を発揮できるようにしたたかに動くことで、理想的な社会の実現に向けてシステムの改変を試みていくことが求められるのです。「絵画」や「哲学」のほかには「文学」や「詩」に親しむことも大切です。「偏差値は高いけど美意識は低い」というエリートに共通していることに「文学に親しむ」経験が乏しいという点があるようです。

たしかに「真・善・美」とはどのようなものなのかを追求してきたのは哲学や宗教です。しかし文学もまた同じように物語の形式で「真・善・美」を追求したものでもあるのです。たとえばドストエフスキーの「罪と罰」にはさまざまな「罪」が出てきますが、読者によってなにが「罪」であるのかという解釈は異なるはずです。文学に親しむことをとおしてさまざまな価値観にふれることできっと「真・善・美」を判断する内部のモノサシを磨くことができることでしょう。

そして詩に親しむことは「レトリック(修辞)」と「メタファー(比喩)」を身につけることにつながります。「レトリック」とは文章やスピーチに豊かな表現を与える技法のことです。「メタファー」とはものの喩えのことであり優れた名言にはいつもこれが使われています。これらはそのまま「リーダーシップ」に大きくかかわるものとなります。優れたリーダーほど優れたレトリックとメタファーを用いて、豊かなコミュニケーションを実現していると感じる方はきっと多いことでしょう。以上の点から「絵画」「哲学」「文学」「詩」を学ぶことがいかに有用かわかったと思います。ぜひこれらの活動に親しむことであなたの「美意識」を高めてください。(おすすめはこのチャンネルの動画を見て「哲学」に親しむことです)

6 まとめ

今回は「ビジネスエリート×美意識」について考えてきました。VUCAの時代における「真・善・美」を判断するための内部のモノサシ「直感と感性」「倫理と道徳」「美意識」の重要性がいかに大切か分かって頂けたでしょうか。そもそも日本人のもつ美的感覚はほかのどの国よりも高い水準にあるのです。「和」をイメージさせるようなモノや体験は欧米の国々に劣るものでは全くありません。

1931年にチャールズ・リンドバーグが飛行機で来日した際に妻のアン・モロー・リンドバーグは旅行記の中で日本の美意識を絶賛しています。また大正から昭和にかけて駐日フランス大使をつとめたポール・クローデルも同じように日本人の高貴さについてパリでスピーチをしたと言われています。「自己実現欲求の市場」が大きくなるグローバル世界の中で日本ほど「美意識」をアドバンテージにできる国はほかにないと思います。これからも「真・善・美」を判断するための「哲学」のおもしろさを発信していきますのでぜひ一緒に学んでいきましょう。

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