今回は、哲学初心者のわたしと一緒に社会契約説の思想を探求する旅に出かけましょう。哲学って、少し難しそうに感じるかもしれませんが、実は日常生活の中にも深く関わっているのですよ。一緒に考え、問いに答え、新しい視点を見つけることで、哲学は驚くほど身近に感じられるようになるのです。この旅が終わる頃には、現代社会にはびこる生き辛さの正体を知るためのヒントをきっと見つけることができるでしょう。
1 時代背景
17世紀から18世紀にかけてヨーロッパでは科学革命がおきたことで伝統や習慣によるのではなく理性によってものごとを合理的にとらえようとする風潮が大きくなっていきました。このような中であらわれたのが啓蒙思想です。啓蒙思想とは「人間の理性という光で世界を明るく照らし出そうとした思想」のことです。そして新しい国家についての思想が誕生するのです。
それまでは王様の権力は神によって保障されているとする「王権神授説」が信奉されていました。それに対して国家は個人と個人の契約によってつくられた人工のものであるとする考え方のことを「社会契約説」というのです。王権神授説において主権は神(によって権力を与えられた王様)がもっているのに対して、社会契約説において主権は国民がもっているとされたところが大きな転換点といえます。社会契約説では自然状態(国家がないときの状態)と自然権(生まれながらに持っている権利)について考えたうえでそれを保障するための政治体制を社会契約によって運営していくことが重視されるのです。
2 トマス・ホッブズ
ホッブズ(1588年~1679年)は著書『リヴァイアサン』において社会契約説を提唱したイギリスの哲学者・政治学者です。スペインの無敵艦隊襲来というニュースにショックを受けた母親は産気づき予定より早く出産したため「恐怖と共に生まれた」といわれました。
ホッブズは自然状態において「人間は万人の万人による闘争状態」であったと考えました。そこで人間が生まれながらにしてもっているはずの大切な権利(自然権)は「生命保存の権利」であると言いました。そのため自然権を保障するためには「絶対王政」でなければならないとしたのです。ホッブズは主権を国家に全面的に委譲することによって君主が生命の安全を保障する政治体制を築く必要があると考えたのです。しかしホッブズの思想は結果として王権の正当性を認めることになり絶対王政を支える新たな理念となってしまいました。そのため清教徒革命後の王政復古に大きな影響を与えることになってしまうのです。
著書名でもあるリヴァイアサンとは『旧約聖書』に出てくる海に住む巨大な怪獣の名でありファイナルファンタジーに出てくる召喚獣の元ネタです。ホッブズはこれを人民の自然権を委譲された国家権力に喩えました。その著書の表紙には国民の集合体としての王様のようなものが描かれていますがこれには主権者とは多くの人民によって成り立っているという意味がこめられていると考えられます。
3 ジョン・ロック
ロック(1632年~1704年)はイギリス経験論の祖といわれるイギリスの哲学者・政治学者です。イギリス経験論についてはぜひこちらの記事もチェックしてみてください。
ロックは著書『市民政府二論』の中で自然状態において「人間は自由で平和な状態」であったと言いました。そこで人間が生まれながらにしてもっているはずの大切な権利(自然権)は「所有権」であると言いました。国家権力であっても所有物(生命・財産・自由)をうばうことは許されないと考えたのです。そのため自然権を保障するためには「間接民主制」でなければならないとしました。間接民主制とは国民の選んだ代表者が議会の中で間接的に政治を行う政治体制のことです。ロックは議会の政治が退廃するようなことがあれば国民たちは抵抗することができる抵抗権(革命権)も認めました。そのため名誉革命やアメリカ独立宣言に大きな影響を与えました。
4 ジャン=ジャック・ルソー
ルソー(1712年~1778年)はフランスの哲学者・政治学者です。10歳の時に父が告訴されたことでジュネーブを逃亡することになり奉公先で度重なる虐待を受けるようになったことがきっかけで嘘をついたり盗みをしたりする非行少年になっていきました。ルソーといえば若い女性の前で全裸になっておしりを出せば興味をもってたたいてもらえると思ったのになぜか逮捕されてしまったという言い訳があまりに有名ですが、その他にも愛人との間にもうけた5人の子どもを全員孤児院に送るという最強のクズ男です。
そんなルソーですが刊行した書物はどれもベストセラーとなります。『社会契約論』『人間不平等起源論』では社会契約説と一般意志について書かれており後のフランス革命にも多大な影響を与えることになりました。『エミール』では教育論について子どもの自発性を重視して内発性を社会から守ることに主眼を置いた教育論を展開し発育初期の教育について「徳や真理を教えること」ではなく「心を悪徳から精神を誤謬から保護すること」を目的とするべきであると述べました。あまりの面白さに時間を絶対に守るあのカントでさえ『エミール』を読みふけって散歩の時間に遅れてしまうほどでした。カントについてはぜひこちらの記事もご覧ください。
音楽家としても有能でオペラ「村の占い師」の挿入曲が日本の童謡「むすんでひらいて」であり文部省唱歌となっています。
そんなルソーもロックのように「自然状態において人間は自由で平和な状態」であったと言い人間が生まれながらにしてもっているはずの大切な権利(自然権)は自由と平等の権利であると言いました。そもそも人間には「自己保存の欲求」と「他者の不幸を憐れむ同情心」があると考えました。しかし文明の発達によって「憐みの情」が失われることになったのではないかと当時のフランス社会を痛烈に批判するのです。そして善良だった自然状態に戻るべきであるとして「自然へ帰れ」と説いたのです。
ルソーは個人の利益を追求する私的な意志のことを特殊意志といいその総和を「全体意志」とよびました。そしてイギリスの議会は個人の利益を追求する全体意志が多数決によって決まることで少数の意見を排除することになっていると批判するのです。そこで全体意志に対して公共の利益を達成するために
人民が共有するべき意志のことを「一般意志」とよびました。一般意志は全員に共通する意志であり個人の利害を総和したものではありません。そのため特殊意志の総和である間接民主制ではなく一般意志をもった全ての国民が直接政治に参加する「直接民主制」を提唱したのです。
5 シャルル・ド・モンテスキュー
モンテスキュー(1689年~1755年)はロックに影響を受けイギリスの政治体制を模範として自国の絶対王政を批判したフランスの法学者です。三権分立の概念を提唱してアメリカの民主政治にも大きな影響をあたえることになります。
モンテスキューは著書『法の精神』において「専制」「君主制」「共和制」3つの政治体制について言及しています。「専制」とは絶対王政のことであり王や独裁者が絶対的な権力をもっている政治体制のことです。「君主制」とは立憲君主制のことであり憲法によって君主の権力が制限されている政治体制のことです。「共和制」とは国王や工程がいない民主制のことです。
モンテスキューは立憲君主制の必要性を説きました。そこで権力の集中と腐敗を防ぐためには三権分立(立法・行政・司法)によって抑制と均衡のシステムを築くべきであると考えたのです。立法については貴族の議会と平民の議会がそれぞれ担うべきであるとしました。行政については君主が執行権をもつべきであるとしました。司法については常設の機関ではなくその都度選択された人々で行うべきであるとしました。今でいうところの陪審制のような形です。
6 まとめ
ロックやルソーたちが理性によって国家の在り方を考えたことがきっかけで市民革命(名誉革命・フランス革命)を通して絶対王政とはちがう近代市民社会が誕生しました。このような政治体制は現在まで続く民主制の基礎となって受け継がれています。もしホッブズがいなければ今でも私たちは闘争状態にあったかもしれないし、ロックやルソーがいなければ独裁国家の中でくらしていたかもしれないのです。次回もこれまで紹介することのできなかった哲学思想についてまとめる予定です。ぜひご期待ください。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。
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