バカロレアの哲学

哲学×ビジネス

今回は「バカロレアの哲学」について考えていきましょう。参考文献は『バカロレアの哲学』(著者:坂本たかしさん)です。

【バカロレアの哲学】思考の型をマスターするためにも教養としての哲学を始めてみよう!(Reゼロから始める哲学生活)

さっそくですが以下の問題について考えてみてください。

①労働はわれわれをより人間的にするか?

②技術はわれわれの自由を増大させるか?

③権力の行使は正義の尊重と両立可能なのか?

これらはフランスの高校生が卒業時に受けるバカロレア試験の哲学科目で実際に出題された問題です。フランスでは高校3年生が哲学を必修科目として学んでいて、哲学がそれまで学んできた知識の内容をより深く理解するための教養とされているのです。そして民主主義の社会において理性によってものごとを考えて、自分の考えを発表したり行動したりすることのできる「市民」を育てようとしているのです。

哲学と聞くと「なんだか難しそう」「なんの役に立つのかわからない」と思いますよね?しかし哲学教育はものごとを批判的に見る目を養うことにつながります。当たり前であると思っていることを疑うことはイノベーションの出発点となるのです。

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者である山口周さんはこれまでのような論理だけにもとづいた経営ではVUCAの時代に通用しなくなるので、直感的に真・善・美を判断することができる哲学の素養が求められると言っています。今回の動画ではバカロレアの哲学における「思考の型」とは何か?「思考の型」をどのように応用すればよいのかについて考えていきます。最後までご覧くだされば「バカロレアの哲学っておもしろい」「バカロレアの哲学は役に立つ」ときっと感じて頂けることでしょう。

1 フランスの哲学教育はどのようなものか?

フランスの哲学教育では「概念」「哲学者」「対立・類似概念」を学ぶ内容としています。「概念」は「正義」「自然」「自由」「宗教」などの17項目が設定されています。「哲学者」は「プラトン」「デカルト」「ニーチェ」などが著書とともに設定されています。「対立・類似概念」では「絶対/相対」「主観/客観」などが設定されています。これらを学ぶことを通してディセルタシオンの書き方などを理解していくのです。そのためフランスの哲学教育は「哲学者」を育てることが目的ではありません。フランスの哲学教育の目的は「疑問を持ち、真理を探究することへの配慮、分析する能力、思考の自律性」を育てることにあり、具体的には①生徒が自分の考えや知識を検討してその正しさを検証すること、②よく考えなければ答えられない複数の問題を立てること、③一つの問題について複数の視点を比較して適切な解決を提示すること、④根拠のある主張や知識に基づいた論拠を述べて自分の主張を正当化する、⑤哲学的作品の読書や抜粋の学習によってえた知識を適切に使用することになります。

なぜこのような能力を伸ばす必要があるのでしょうか?それは哲学という道具を通して生徒たちが「考える自由」を獲得して「市民」を育てることが哲学教育の目的だからです。つまり哲学は「市民」にとって必要な思考・表現する能力を育てるためのものであり、社会で生きるための「武器」としての論理的思考力・表現力を与えるものなのです。

これらは「思考の型」を身につけることによって大きく成長していきます。そのためバカロレア試験では「自由な思考」を評価することはありません。そうではなくて「思考の型」をマスターできているかどうかを評価するのです。「導入・展開・結論」という構成に従って自分の考えを論述するための技術こそが、バカロレア試験で求められる「思考の型」なのです。「思考の型」を身につけた「市民」は民主主義を成立させる大前提であり、フランスでは共通理解としての「思考の型」を身につけた上で多様な意見を理解してそれに同意したり反論したりすることのできる人間を増やすことを目的にしているのです。

2 思考の型とは何か?

バカロレア試験では問題に対して賛成・反対のどちらの立場で論述してもかまいません。ただし「思考の型」を習得した上で自分の考えを表現しなければならないのです。つまり「思考の型」を守って論理的に提示された意見であればその内容は問われないのです。では「思考の型」とはどのようなものなのでしょうか?

それは「導入」「展開」「結論」という3つの部分で構成されています。「導入」では与えられた問題を分析していくつかの問いに置き換えることで、何をどのように論述していくのかという道筋を明らかにします。「展開」では導入で示された問いに対する肯定意見と否定意見の論拠を明らかにします

それぞれの立場の正当性や問題点を弁証法的に示していくのです。「結論」では展開の議論を要約して問いに対する答えを出します。肯定なのか否定なのか?あるいはどちらでもない第三の答えを導き出すのか?バカロレア試験ではどんな問題であろうとこの「型」の中で解答しなければいけません。

そのうえで評価のポイントは大きく3つあります。

1つ目は問題文の用語や概念の定義・分析ができているか?問題に対する答えがあげられているか?問題を複数の問いに変換できているか?などです。

2つ目は「思考の型」が守られてそれぞれの部分に必要な内容が述べられているかです。

3つ目が哲学的根拠を引用しているかという点です。

これは「アリストテレスは『ニコマコス倫理学』において~と述べている」のように正確な引用ができていることが高得点を狙うために必要なことなのです。

では具体的に「思考の型」とはどのようなものなのでしょうか?まずは「問題の選択」をする必要があります。たとえば「理性はすべてを説明することができるか?」という問題を選択したとします。つぎに「問題の分析」をする必要がありますがこれにはいくつかのステップがあります。

ステップ①では問題のテーマを見分けることが大切です。前章で紹介した17の概念の中の「理性」「言語」などに関わる問題だと識別します。

ステップ②では問題の形を見分けることが大切です。今回の例では「~できるか?」という形に対して「はい・いいえ」で解答する形式です。

ステップ③では問題の言葉を定義することが大切です。たとえば「理性」とは「論理的に思考する能力」のことであり、「説明」とは「ものごとの特徴や法則・因果関係などを明らかにすること」とするのです。

ステップ④では問題に対して「はい」「いいえ」で答えてみることです。今回の例では「理性はすべてを説明することができる」(はい)と「理性はすべてを説明できるわけではない」(いいえ)を考えるようにするのです。大切なことは正反対の2つの立場を想定してそれぞれの論拠を提示することなのです。これは議論を進めるうえで絶対にかかすことのできない手続きとなります。なぜなら自分の主張が反対意見もふまえたうえでの意見であることを示しているからです。これこそが民主主義社会において必要不可欠な知的態度となるのです。

ステップ⑤では問題を複数の問い分解することが大切です。たとえば「理性とは何か?」「説明するとは何か?」のような単純なものから「なぜ理性はすべてを説明できるのか?」「どのような時に説明できないのか?」「説明できるものと説明できないものにはどのようなちがいがあるのか?」「仮に説明できるのであればそれはどのような時か?」のような複雑なものまであります。このように問いを作ることによって何について論述するのかを明確にすることができます。ここまでが「問題を分析する」段階です。

さいごに「問題の構成」をすることが必要になります。ここでは「導入」「展開」「結論」において何をどんな順番で論述するのかを考えます。

1つ目の「導入」では「言葉の定義」をしたうえで選択肢を示すことが大切です。たとえば「理性は世界を理解することを可能にする能力であるが、理性によって説明できないものも存在すると考えられる」のようなものです。注意することは自分が支持する結論は後半で述べるようにするということです。反対意見を検討することでその限界を明らかにして自分の主張の正当性を示すのです。

2つ目の「展開」では導入で示された「はい・いいえ」の選択肢の論拠を示していきます。それぞれの部分はいくつかの段落で構成されており、段落と段落のつながりを明確にするためにも接続詞や問いを活用することが求められます。

3つ目「結論」ではこれまでの議論を要約したうえで問題に対する答えを提示します。小論文を書くときには必ずこの構成を守ることが求められるのです。

では「理性はすべてを説明することができるか?」という問題の構成案を見てみましょう

【導入】

・理性とは論理的な仕方で世界を理解することを可能にする能力である

・わたしたちは理性によってものごとを説明することができる

・しかし理性によって説明できないものも存在している

・理性はすべてを説明できるといえるのだろうか?

【展開1】…理性はすべてを説明できる

・わたしたちは理性によって外的・内的なものを認識することができる

・理性は現実には存在しないものについても考えることができる

・理性はあらゆるものを説明することができるといえるのではないだろうか?

【展開2】…理性はすべてを説明できるわけではない

・わたしたちは未来を完全に予測することは不可能である

・わたしたちはいつも合理的にふるまうわけではないことを理性で説明することは難しい

・パスカルは神の存在を理性によって証明することはできないと述べている

・フロイトは無意識の存在を指摘している

・理性には限界があるのでそれを超えることはできない

・しかし理性の限界を認識することもまた理性のはたらきではないだろうか?

【展開3】理性は理性の限界を説明しようとする

・カントは理性で認識できないものの存在について言及している

・無意識のような存在についても言語化することでその構造を明らかにしようとできる

・理性には限界があるがその限界を認識するのは理性のはたらきである

【結論】

・理性は世界を理解するための能力であるが限界も存在する

・しかし限界は理性によってのみ明らかにすることができる

・理性はすべてを説明することはできないが理性の力を否定しているわけではない

・わたしたちは理性をこえる手段を手に入れることができるのだろうか?

いかがでしょうか?たった1つの問題文が「思考の型」を身につけることによって、このように論述することができるようになるのです。みなさんもぜひ冒頭で紹介した3つの問題文にも同じようにチャレンジしてみてください。

3 「思考の型」を応用する

民主主義の社会を支えているのは「思考の型」を活用することのできる「市民」です。では差異を理解して他者を受け入れ世界に対して常に批判的である人間をよい「市民」とするならばそのような人になるためには何が必要なのでしょうか?たとえばそれは「教養」だと考えられています。「教養」とはただ知識の多寡を指すのではなく知識をえるための方法であるともいえます。「教養」は自己・他者・世界に対する「差異の認識」をもつことにつながります。

そして「差異の認識」は「差異の寛容さ」にもつながるのです。現代社会をながめれば差異に対する不寛容さが原因となる現象をいくつも思い出せます。大きな視点で見れば差別と分断を生み出す自国優先主義の政治体制をとる国々も、小さな視点で見ればSNSによる個人攻撃や炎上騒動への便乗までありますよね?。衆愚政治ともいえるようなポピュリズムの横行は知性をもつ市民の存在を前提とする民主主義の根幹を揺るがすものになっているのです。民主主義や衆愚政治について詳しく知りたい方はぜひこちらの記事をごらんください。

では「思考の型」は現実社会においてどのように活用することができるのでしょうか?例えば問題が与えられていない状況でも問題を発見してそれを解決することに活かせます。実は日本の教育(中教審答申)でも問題に解答する力よりも、問題を発見する力(問いを立てる力)の重要性が指摘されるようになってきています。バカロレア試験は難しいとはいえそれでも「与えられた問題」に解答すればよいのです。しかし現実には「何が問題なのか?」がわからないことの方が多いはずです。そこで「思考の型」で扱った[問題の分析ステップ⑤]が役に立ちます。たとえば「消費税増税」について考えるならば、

・消費税の増税は可能か?

・消費税を増税することは許されるのか?

・消費税を増税するべきか?

・財政再建のためには消費税の増税で十分か?

・消費税を増税すれば財政再建されるのか?などの問いをつくります

これらに対して「はい」「いいえ」のどちらの立場についても論拠を示したうえで、自分の考えは「はい」「いいえ」(あるいは第三の立場)なのかを示すようにするのです。また必ずしも「はい」「いいえ」で答えられないオープンクエスチョンの問題もあります。「なぜ」「どのように」のような問いに対しては答えの数は無数に存在しますが、「なぜ」という問いなら「理由」や「原因」または「目的」について答える必要があります。「どのように」という問いなら「手段」や「過程」について答える必要があります。このような場合においても問題を複数の問いに分解することができれば、「思考の型」で身につけた手順で進めることで解決の糸口は見えてくるはずです。答えのわからないどころか何が問題なのかもわからないような、まさにVUCAの時代だからこそ「思考の型」を活用することが求められるのです。

6 まとめ

今回は「バカロレア哲学」について考えてきました。ここまでの内容から「フランスはすごい、それに比べて日本は…」と思われた方もいるかもしれません。しかしフランスでもほとんどの人が哲学を苦手としているのです。実はバカロレア哲学試験に合格しているのは全体の約18%というデータがあるのです。たしかに多くのフランス人は哲学を学んでいます。しかしそれがそのまま「哲学ができる」という意味ではないのです。だから「わたしは哲学なんて学んだことがないから」と引け目に感じる必要はないのです。

バカロレアもこのチャンネルも「哲学者」になることを目的にしているわけでありません。「哲学」をつかって人生を今より少し豊かなものにすることを目指しているのです。本書ではこのフランス式の「思考の型」が最良の思考方法だと言いたいわけではありません。だからこそ本書の一番の目的はその「理念」に気づいてほしいことだとされているのです。「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。「人間は思考することはやめてしまえば誰もがナチスのような巨悪になりうる」ハンナ・アーレントはこのように言いました

ぜひゼロからいっしょに哲学生活を始めてみませんか?これからも哲学の実践的な活用方法について紹介していく予定ですので、ぜひご期待ください。

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