【ダンテの『神曲』】キリスト教文学の金字塔!地獄・煉獄・天国を巡る壮大な冒険ファンタジーにして中世における教養の百科全書!

哲学×宗教

今回は「ダンテの『神曲』」について解説したいと思います。参考文献は『神曲-完全版-』です。

【ダンテの『神曲』】キリスト教文学の金字塔!地獄・煉獄・天国を巡る壮大な冒険ファンタジーにして中世における教養の百科全書!

ダンテの『神曲』という世界文学の金字塔ともいえるお話を知っていますか?誰もが名前を聞いたことがあるのにほとんど読んだことがないお話ではないでしょうか。『神曲』は歴史の偉人や各地域の伝説と神話が盛り込まれた壮大な叙事詩なのです。

ミケランジェロは『神曲』を愛読していたことで知られており、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」で地獄篇の一節をそのまま描いています。また、彫刻家のオーギュスト・ロダンは「地獄の門」をモチーフにした作品を手掛け、あの有名な「考える人」こそ「地獄の門」の上部に設置されているのです。日本でも、「地獄の門」の銘文を森鴎外、夏目漱石、上田敏の3人が翻訳しています。

敬虔なキリスト教徒でもあったダンテはこの世界における神の神聖さと信仰心をありとあらゆる方法を用いて『神曲』の中で表現しました。ダンテはこの世界で起こる全ての出来事には神の意図といえるような意味が隠されていて、そのような神の意図を読み解くことこそが詩人の存在意義だと考えていたようです。そのため、『神曲』の物語に神が創造した宇宙を表現することを目指して、文学、歴史、天文、物理、地理、そして哲学と神学という人類の叡智を織り込みました。まさに、中世における百科全書的書物であるともいえる超大作なのです。

「我を過ぎんとする者は一切の望みを捨てよ」

『神曲』の文体はこのように詩的な表現力にあふれていることから、さまざまな格言がこの中から生まれている名言の宝庫なのです。(そのため、一言一句に至るまで無駄なものは一切ないとも賞賛されています)

その内容の圧倒的な迫力と過激さから執筆当初より様々な毀誉褒貶を受けていた『神曲』―同時代のジョバンニ・ボッカッチョがダンテに傾倒した最初の崇拝者となったいっぽう、地獄に堕とされた偉人の関係者たちは当然ながら『神曲』には批判的な態度をとりました。キリスト教文学の最高峰とよばれるダンテの『神曲』、ぜひ、動画を最後まで見て頂きこれを機に『神曲』を教養として身につけてください。内容がわかりやすかったと感じた時にはぜひ高評価&チャンネル登録をお願いします。

1 ダンテ・アリギエーリ

ダンテは1265年にイタリアの都市国家フィレンツェで生まれました。ヨーロッパにおける「キリスト教世界の最高の詩人」とよばれるほどの詩人でありながら、哲学者や政治家(外交官)という顔をもつ多彩な人物なのです。幼少期にはラテン語の古典文法や哲学などを学んでいたといわれています。

ダンテは9歳の時に同い年のベアトリーチェという少女に初恋をすることになります。18歳で偶然の再会を果たすのですが、その時には会釈のみで終わってしまうのです。ダンテはベアトリーチェに対する抑えられない思いを手紙に認め友人に渡すのですが、あろうことか友人たちはそのことを言いふらしてしまいました。そのため、ダンテの思いを知ったベアトリーチェはドン引きして避けるようになるのです。それから、ベアトリーチェは別の人と結婚したものの24歳で夭折してしまうのです。ダンテも別の人と結婚をしていたにもかかわらず相当な落ち込みようだったようです。ベアトリーチェは『神曲』の中で「永遠の淑女」としてダンテを導くために登場するのです。

ダンテは35歳の時にフィレンツェのプリオーレ(国務大臣のような役職)に就任しますが、ローマ法王庁に出かけていた時にクーデターが起こってしまい政争に巻き込まれます。そして、ダンテは詐欺と収賄の濡れ衣を着せられフィレンツェから永久追放されるのです。そのため、『神曲』の中には至る所に政治的な不義に対する憤りを見てとることができ、そこには自らを追放したフィレンツェへの怒りと罵倒が込められているともいえます。

アナーニ事件で憤死したことでも有名な教皇ボニファティウス8世や、ダンテの正義に反する政敵たちは容赦なく作中で地獄に堕とされているのです。

1307年、ダンテは『神曲』の執筆を始めたといわれていますが、さまざまな都市を放浪しながらの執筆で1321年にようやく完成したといわれています。ダンテはヴェローナのパトロンであるカングランデ1世への書簡の中で「人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的」と記しています。

原題はイタリア語で「La Divina Commedia」―神聖な喜劇という意味であることからも、ダンテはこの物語を悲劇ではなく喜劇であると考えていたことがうかがえます。それでは、『神曲』の解説をしていきましょう。前半では『神曲』を読み解く上で重要なダンテの仕掛けた数々の秘密について、後半で「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の概要を解説していきます。

2 『神曲』の概要

『神曲』は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」という三部構成の壮大な叙事詩です。主人公は作者のダンテが35歳の時に1週間かけてこの3つの世界をめぐる物語です。作中には聖書に登場する預言者や聖人だけでなくキリスト教より前の神話や伝承、ギリシア神話やアーサー王伝説の登場人物、そして初恋の人まで出てきます。

『神曲』にはさまざまな仕掛けがなされているのですがその1つが「数」です。古代ギリシアの数学者ピタゴラスは「万物の根源は数である」と考えたように、日本をはじめとする世界中の地域で「数」が神聖視されてきました。まず、ダンテにとってもキリスト教徒にとっても重要な数といえば「3」です。世界中のさまざまな神々が3体で構成されているように3は吉兆を示す数とされています。キリスト教の世界でも父と子と精霊という「三位一体」の思想が存在しています。

『神曲』における3という数はあらゆるモチーフとなって作中にいくつも登場します。そもそも、物語の構成が「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」という三部構成になっています。そして、叙事詩の構成そのものにおいても3つの文で表現されているのです。これは『神曲』の冒頭の原文なのですがきれいに3つの文のまとまりになっていて、各歌の最後の1行をのぞき全てがこのような3行1組の構成―「テルツィーナ(3行詩節)」で構成されているのです。

また、それぞれの文の最後の言葉に注目をしてみると、1行目と3行目の最後の言葉は「ta」の音で韻をふんでいることがわかります。さらに、2行目の最後の「ra」は4行目と6行目の「ra」に対して韻をふみ、5行目の最後の「te」は7行目と9行目の「te」に対して韻をふんでいるのです。このような韻のふみ方はダンテが『神曲』を著すために生み出した方法―「テルツァ・リーマ(三韻句法)」とよばれる形式なのです。『神曲』は全部で14233行からなる叙事詩なのですが、なんとそのすべてがこのテルツァ・リーマで構成されているのです!

ほかにも、さまざまな登場人物たちが3という数に関連して出てきます。冒頭に登場するのは豹と獅子と狼という3匹の獣であり、地獄を流れる川はアケロンとステュクスとプレゲドンの3つ、地獄にいるケルベロスや堕天使ルシファーの顔は3つとなっています。ダンテを天国から見守るのはマリアとルチアとベアトリーチェという3人の女性であり、ダンテと共に旅をするのはウェルギリウスとベアトリーチェと聖ベルナールの3人です。そして、天国で神を見ようとしたダンテが目にしたのは3つの色と3つの輪なのです。

つぎに、キリスト教の聖典『聖書』に頻出する数といえば「7」です。7は神聖な数であると同時に罪や犠牲というような意味も含んだ数字となっています。地獄の最上階(辺獄=リンボ)にある高貴な城の城壁は七重で七つの門に守られています。煉獄は7つの円盤状のテラスが重なった円錐形をしているのですが、ダンテは煉獄に入る際に天使に7つの「P」の文字を額に刻まれることになるのです。これは「7つの大罪(=peccato)」を示すPであり、ダンテは1つの層を超えるたびに天使にPを消してもらうことで清められていくのです。

ほかにも、3の倍数である「9」も重要な数となっています。3×3=9のように、3の3倍も神聖な力をもっていると考えられており、祈りや高度の魔術などと結びついた数としても知られています。『神曲』の中で地獄は9つの円の層からなる漏斗型のような構造となっており、地獄の反対にある天国もまた9つの球が入れ子式に同心円状に広がる構造となっています。天国の中の第九天である原動天では神の光のまわりを9つの火輪が回っていて、それぞれの火輪は9階級に分かれた天使によって構成されているのです。

さらに、イエスが地上で生活した年数とされる「33」も神聖な数とされています。なぜなら、地獄篇は34歌、煉獄篇と天国篇は33歌で構成されているのですが、地獄篇の冒頭1歌は序歌とされているので1+33×3=100歌で構成されているのです。『神曲』は数だけでなく「円」や「球」のような図形にも意味がこめられています。円や球は古代より「完全」や「無限」を示すものとして「完全なる神」を象徴してきました。

『神曲』では天国篇のラストで神と邂逅するこの第33歌に注目してみてください。全体が22行の内容でそれぞれ7つのテルツィーナで構成されていることがわかります。これは中世において円周率が22:7とされていたことにも起因していると考えられます。そして、詩の内容は三位一体について語られていて、言葉には円(環)という図形が取り入れられることで「完全な神」を表現しているのです。まさに、神への信仰と救済の道を圧倒的な表現力で示した叙事詩の到達点といえるのです。

3-1 地獄篇

『神曲』は西暦1300年の金曜日「復活祭(イースター)」の前日に始まります。暗い森に迷いこんだダンテは古代ローマの伝説の詩人ウェルギリウスに出会うのです。ローマ建国の祖である英雄アイネイアスの旅路をめぐる叙事詩『アエネーイス』の著者です。『神曲』において詩人ウェルギリウスは理性と哲学の象徴とされているようです。

ダンテは尊敬するウェルギリウスに導かれて死者の国「地獄」をめぐる旅に出かけるのです。キリスト教において地獄は最後の審判で天国に行くことを許されなかった者たちが、あらゆる責め苦を受け続けなければならないとされる場所です。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と刻まれた地獄の門を潜り抜けると、そこは地獄前域とよばれる場所で人生を無為に生きた者たちの魂が群がっていました。そして、ギリシア神話に登場する冥界の大河アケロンが流れていて、そこには罪ある魂を船に乗せて地獄へ運ぶ冥界の渡し守カロンがいるのです。ダンテがアケロン川を渡ると「辺獄(リンボ)」とよばれる地獄の入り口に到達します。

『神曲』における地獄は地球の中心にまで到達する漏斗型の巨大な穴になっていて、第一圏から第九圏までの階層構造になっているのです。この穴は堕天使ルシファーが神に反逆して地上に堕とされた衝撃でできた大穴なのです。そして、地球の反対側には凹んだ分だけとび出た大きな山ができることになるのですが、これが「地獄」の次に行く「煉獄」とよばれる煉獄山です。

「辺獄」はその第一圏にあたる最上階の部分であり、ここにはキリストの登場より前に死んだり洗礼を受けずに生を終えたりした人々がいます。そのため、『イリアス』や『オデュッセイア』の著者である古代ギリシアの詩人ホメロス、トロイア戦争の英雄ヘクトールやアマゾネスの女王ペンテシレイア、哲学者のソクラテスやプラトン、数学者のエウクレイデスまでもが集っていたのです。(イエスより昔の人たちにとってはちょっと理不尽な気がしますよね…)

第二圏の入り口にはギリシア神話に登場するクレタ島の王であり、冥界の裁判官ミノスが死者に対してどの地獄に行くべきなのかを決定していました。(ミノスの尻尾が巻き付いた回数によって行くべき地獄が決められるのです)

第二圏は愛欲や肉欲に溺れた者たちが堕ちる地獄であり、エジプトの女王クレオパトラやアーサー王伝説の騎士で不倫をした説話のあるトリスタン、トロイア戦争の原因となった王女ヘレネーと英雄アキレウスたちが堕ちていました。

第三圏は大食の罪を犯した者たちが堕ちる地獄であり、冥界の番犬ケルベロスに引き裂かれるという苦しみを味わうことになるのです。

第四圏は貪欲と浪費の罪を犯した者たちが堕ちる地獄であり、重い金貨の入った袋を転がしながらお互い罵り合うという罰が与えられるのです。ここには、枢機卿や教皇などの聖職者たちの魂も集っていることから、ダンテが敬虔なキリスト教徒でありながらも教会を批判していることが示唆されています。

第五圏は憤怒の罪を犯した者たちが堕ちる地獄であり、ダンテは怒りで我を忘れた亡者が互いを殴り合い沼で苦しむ光景を目の当たりにします。

第六圏より下の地獄はディースという城塞都市の中にあるのですが、城門には悪魔の群れやギリシア神話における蛇の怪物メデューサなどがいるのです。ダンテたちは悪魔たちに城門を閉ざされるものの天使が現れて入ることを許可されます。

第六圏は異端の宗派の人間が幽閉される地獄であり、ここに堕ちると石棺に封じられてしまうのです。ローマ教皇でありながら異端者という疑惑もあったアナスタシウス2世もここにいます。

第七圏の前では牛の頭をもつミノタウロスや馬の下半身をもつケンタウロスに出会います。ダンテは英雄ヘラクレスの師である賢者ケイローンやネッソスの案内を受けて進みます。

第七圏は暴力をふるった者が堕ちる地獄なのですが、ここから第九圏の地獄はそれぞれが複数の領域にさらに細かく分かれているのです。

第七圏の第一層には隣人に暴力をふるって財産を奪った者たちが堕ちていました。ここにはマケドニアのアレクサンダー大王も堕ちているのです。第二層には自分への暴力(=自殺)をふるった者たちが堕ちていました。亡者たちは森の中で樹と同化させられ、ギリシア神話の怪物である半人半鳥のパルピュイアについばまれるという罰を受けます。第三層には神や自然への暴力をふるった者たちが堕ちていました。ダンテは神や自然を冒涜した者や男色者に火の雨が降り注ぐ光景を目の当たりにします。まさに『旧約聖書』における「ソドムとゴモラ」の逸話に由来するものだと考えられます。

第八圏の前ではギリシア神話に出てくる詐欺の悪魔ゲリュオーンに出会います。善人の顔に蛇の体と獅子の腕をもつキマイラを想像させるような怪物です。ここでウェルギリウスがゲリュオーンと交渉して背中に乗って第八圏へと向かうのです。

第八圏は悪意をもって罪を犯した者が堕ちる地獄であり、亡者たちは10個の悪の嚢(マーレボルジェ)に振り分けられるのです。

1つ目のマーレボルジェでは婦女をさらった者が悪鬼から鞭で打たれています。ギリシア神話で金の羊毛を求めアルゴナウタイを率いて航海した英雄イアソンがいました。2つ目のマーレボルジェでは媚びへつらい続けた者が糞尿の海に浸からされています。3つ目のマーレボルジェでは聖職者の立場を利用した者が岩孔で炎につつまれています。4つ目のマーレボルジェでは占い師や邪法者が首を捻じ曲げられ背中に涙を流しています。5つ目のマーレボルジェでは汚職に手を染めた者が灼熱の黒い液体に浸されて、12体の醜悪な悪魔マレブランケに痛めつけられています。6つ目のマーレボルジェでは偽善者が鉛の外套を着せられ永遠に歩かされ続けています。7つ目のマーレボルジェでは窃盗者が蛇に噛まれて燃え上がる苦しみを受けています。8つ目のマーレボルジェでは謀略で欺いた者が火焔で全身を覆われ苦しみ続けています。9つ目のマーレボルジェでは不和を誘った者が身体を引き裂かれて内臓を出されています。最後のマーレボルジェでは錬金術など偽造や虚偽を行った者が疫病に苦しみ続けています。

ダンテは第八圏をこえるといよいよ地獄の最下層である第九圏コキュートスに到達します。第九圏はかつて神に逆らった巨人ティターンたちが守護する場所です。『旧約聖書』の「創世記」におけるバベルの塔を建設した英雄ニムロドもいました。ちなみに、ニムロドはバビロニアの王であったことから、『ギルガメッシュ叙事詩』のギルガメッシュと同一人物ともいわれているそうです。

コキュートス(嘆きの川)は裏切りという最も重い罪を犯した者が堕ちる氷の地獄です。ここは同心円状に4つの円に分かれていて外側の第一の円は「カイーナ」といいます。これは『旧約聖書』における人類で最初の殺人を犯したカインに由来することから、肉親に対する裏切り者が氷漬けにされているのです。第二の円は「アンテノーラ」といいトロイア戦争の裏切り者アンテノールに由来します。そのため、祖国に対する裏切り者が氷漬けにされているのです。第三の円は「トロメーア」といいユダヤの指導者を裏切ったプトレマイオスに由来します。そのため、客人に対する裏切り者が氷漬けにされているのです。第四の円は「ジュデッカ」といいイエスを裏切ったイスカリオテのユダに由来します。そのため、主人に対する裏切り者が氷漬けにされているのです。

ダンテたちはコキュートスの中心―すなわち地球の重力が向かう終点へと辿り着きました。この地獄の最下層には神に反逆した堕天使ルシファーが氷漬けにされていたのです。ルシファーは3つの顔をもつ恐ろしい姿になっていて、イスカリオテのユダとカエサルを裏切ったブルータスとカシウスをかみ砕いています。

ダンテたちはルシファーを足場に地球の反対側の地表を目指して歩き続けました。そして、地獄を抜けた先にある「煉獄山」へとたどりつくのでした。

3-2 煉獄篇

地獄は堕ちてしまったら決して救われることのない地獄でしたが、煉獄は犯した罪が小さいのでまだ天国に行ける可能性のある者が罪を清める場所なのです。煉獄山の麓には共和制ローマの哲学者である「小カト」がいて、破門された者が集まる第1の台地と信仰を怠った者が集まる第二の台地があります。死者たちはここから罪を清めるために贖罪の登山を開始するのです。

ダンテは煉獄の門である「ペテロの門」で天使によって額に7つのPを刻まれます。これはイタリア語で「peccati(ペカッティ)」の頭文字で7つの大罪を意味しています。煉獄山はこの7つの大罪に対応した「冠」といわれる7つの階層から構成されていて、1つの階層を上がるたびに額に刻まれたPが浄化されていくのです。

第1の冠では「高慢」の罪を負う者が重い石を背負わされています。ダンテは死後にこの場所に来ることを予見するのです。

第2の冠では「嫉妬」の罪を負う者がまぶたを縫われて盲目にさせられています。

第3の冠では「憤怒」の罪を負う者が煙の中で祈り続けています。

第4の冠では「怠惰」の罪を負う者が休むことを許されず煉獄山を周回させられています。

第5の冠は「貪欲」の罪を負う者が地面に這いつくばり欲望を消滅しようとしています。

第6の冠は「暴食」の罪を負う者が絶対に口に入れることのできない果実を前に食欲を抑えようとしています。

第7の冠は「愛欲」の罪を負う者がお互いに走って抱擁を交わすことで罪を悔い改めようとしています。

ダンテたちが7つの階層を乗りこえて煉獄山の山頂にたどりつくとそこには「常春の楽園」とよばれる天国に最も近い楽園がありました。ダンテたちはかつて人間が暮らしていたとされるこの場所で、天国から迎えに来た淑女ベアトリーチェらと共にいよいよ天国へと進むことになるのです。

3-3 天国篇

『神曲』における天国の世界観は天文学者プトレマイオスの宇宙観や天動説にもとづき地球を中心とする同心円状に10層の天が入れ子式の階層構造となっています。天国への案内は淑女ベアトリーチェが務めることになります。ウェルギリウスはキリスト教より前の人間であるため天国へ入ることができないのです。

ウェルギリウスと別れたダンテはまず地球と月の間に存在する「火焔天」に向かいます。ここは火の根源となる場所とされており、炎が空に向かってゆらぐのは火焔天に還ろうとしているからだと考えられていたのです。ダンテはギリシア神話の神アポロンに助けられ通過して天へと向かいました。

第1の天である「月光天」は生前に神に対する請願を満たせなかった者が集う場所です。

第2の天である「水星天」は私的な野心や名声への欲望に抗えなかった者が集う場所です。

第3の天である「金星天」は生前に愛の情熱のとりこになってしまった者が集う場所です。古い友人でもあるハンガリア王カルロ・マルテルロと出会い友愛について対話します。

第4の天である「太陽天」は『神学大全』の著者トマス・アクイナスや知恵の王ソロモンなど賢人たちが集う場所です。

第5の天である「火星天」はキリスト教を守るために戦った殉教者が集う場所です。ここにはダンテの祖先カッチャグイダや十字軍の勇士たちがいました。

第6の天である「木星天」は生前に大きな名声をえた正義をもつ統治者が集う場所です。ここには古代イスラエルのダビデ王やローマ帝国のコンスタンティヌス大帝がいました。

第7の天である「土星天」は生涯を信仰に捧げた者が集う場所です。ここには聖ベネディクトや聖ペトルスダミアニといった聖人たちがいました。

第8の天である「恒星天」は多くの恒星が輝き黄道十二宮が置かれる場所です。十二宮の1つ「双子宮」はダンテに詩の才覚を与えてくれた場所であり、ダンテはここからこれまでの7つの天や地球の姿を目にするのです。

第9の天である「原動天」は全ての天を動かす根源となる場所です。ダンテは宇宙の運動について語るベアトリーチェの瞳の中に原動天の光を見るのです。これは9つの火の輪となっていて天使の9つの階級にそれぞれ対応していて、この9階級の天使たちはこれまで通った9つの天球にも対応しているのです。

第10の天である「至高天」はエンピレオともいわれ、天使や聖人たちが天の中央の光を取り巻き薔薇のような形状をしています。ここでベアトリーチェは消えて代わりに聖ベルナールが登場します。聖ベルナールの祈りを通してダンテは聖母マリアの光の中に神を見るのです。ダンテは見たことだけはわかるもののそれが何かは記憶できませんでした。そこで、この世を動かす全ての希望が「神の愛」であることを悟ることになるのです。

4 『神曲』の影響

ダンテは当時の公文書に使用されていたラテン語ではなく、トスカーナ地方の方言を使って『神曲』を書きました。なぜなら、ラテン語の使用は教会を中心とする聖職者たちの特権だったからです。そのため、ダンテはラテン語に代わる文語を地元の言語の中に見出したのです。『神曲』に記されたトスカーナの言葉はそのままイタリア語へと発展していきます。

この脱ラテン語・脱教会という流れは後のルネサンスへと継承されていきます。そして、16世紀に英国にルネサンスが波及したことで近代英語が確立されていくのです。

ルネサンスとは、宗教的世界観から人間中心主義への転換であると捉えることができます。絵画においても、それまでの平面的な表現から遠近法(人間の視点)へと変化しています。ただし、表現手法としては人間中心主義でも作品自体はキリスト教の世界観が残ります。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』もダンテの『神曲』もその例に漏れません。

そこから、17世紀の科学革命によって文字通り「地球が動く」ことになるのです。デカルトやカントなどの近代合理主義の哲学が登場してヘーゲルやマルクスへと続き、ニーチェによっていよいよ「神は死んだ」世界に人々は投げ出されることになるのです。今日『神曲』は世界文学を代表する古典の最高傑作としての評価を不動のものにしています。

5 まとめ

今回の動画はダンテの『神曲』について解説してきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだたくさんありますので、ぜひ本書を手に取って読んでみてください。

世界文学の金字塔であり中世のあらゆる教養をつめこんだ百科事典ともいえる壮大な物語―イタリアでは中学・高校で必ず学ぶ国民的バイブル(日本でいえば源氏物語?)。『神曲』が描き出した地獄の描写は現在まで人々のイメージを決定的なものにしています。

信仰の極地ともいえるテルツィーナとテルツァ・リーマで表現された文体の美しさ、世界中の神話や伝説、そして聖書の内容を網羅するあらゆる教養の宝庫、そして、何より物語として最高に面白く哲学的な問いの数々は深く心に刻まれるはずです。

まちがっても、ライバルに嵌められて会社をクビになった中年の親父が結婚しているのに小学生の時に好きだった子が天国から見守ってくれる妄想をしてライバルや会社の悪口を言いまくって初恋の少女に救われるお話とか言ったらダメですよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました