【大陸合理論】全てを疑っても疑えないものがある!Re:ゼロから始める哲学生活

哲学入門

今回は、哲学初心者のわたしと一緒に大陸合理論の哲学を探求する旅に出かけましょう。哲学って、少し難しそうに感じるかもしれませんが、実は日常生活の中にも深く関わっているのですよ。一緒に考え、問いに答え、新しい視点を見つけることで、哲学は驚くほど身近に感じられるようになるのです。この旅が終わる頃には、現代社会にはびこる生き辛さの正体を知るためのヒントをきっと見つけることができるでしょう。

【大陸合理論】全てを疑っても疑えないものがある[Re:ゼロから始める哲学生活]

1 時代背景

ルターとカルヴァンによる宗教改革の結果スコラ哲学のもと完成された信仰上位の神を頂点とする世界観が壊されていった時代、神を絶対視するのではなく合理的に物事を理解しようとする知性の大切さに人々が気付くようになる中で自然科学を重視する近代が幕をあけることになるのです。そして自然のあらゆる現象は因果関係の法則に従っておきているとして数学的・定量的に現象を予測したり操作したりすることが正しい認識であるとされるようになっていきました。このような考え方を「機械論的自然観」といいます。

コペルニクスやガリレオによる地動説、ケプラーによる惑星運動の法則、ニュートンによる万有引力の発見などいわゆる「17世紀科学革命」がおこる時代に大陸で台頭したのが「合理論」です。

デカルト
スピノザ
ライプニッツ

2 ルネ・デカルト

ルネ・デカルト(1596年~1650年)は「近代哲学の祖」といわれるフランスの哲学者です。デカルトは数学者としても有名でありX軸とY軸からなるデカルト座標の考案も彼の功績の1つです。学生時代に哲学と数学に傾倒していく中で数学の厳密性とは対照的な神学やスコラ学の非厳密性に疑問を抱くようになります。そして大学卒業後はそれまでに学んだ書物を全て忘れて「世間という大きな書物」で学ぶために旅に出て「確実な知識とは何か」を考えるようになるのです。

デカルトは理性による思考でなら確実な知識に至ることができるはずだと考えました。デカルトは理性のことをボン・サンス(良識)とよび「良識はこの世で最も公平に分配されたもの」としました。これを「生得観念」といいます。デカルトは1637年に著書『方法序説』(正式名称『理性を正しく導き学問において真理を探究するための方法の話』)において学問をするための「進め方」を再検証してそれまでの哲学をリセットしてもう一度0から考えてみることを提案しました。そしてそのためには考えるルールが必要であるとして数学的な考え方をもとに4つの原則を提示しました。

①明証 私が真理であると認めなければいかなる事柄も真と認めないこと

②分析 検証しようとする問題を理解するためにいくつかの部分に分割すること

③総合 最も単純なものから考え始めて複雑なものへと至ること

④枚挙 何1つ見落としていないか再検討すること

このように推論していく方法をイギリス経験論の帰納法に対して演繹法といいます。演繹法とは1つの真実から複数の事実を導き出す推論方法であるためデカルトは4つの原則の中でも①を最も重視しました。なぜなら演繹法においては推論の段階で前提となる命題にあやまりがあった場合その後に提示される理論はすべてあやまりであることになってしまいます。そのため全ての始まりに当たる公理は誰もが真理であると認めることのできる絶対的なものでなければいけません。誰もが真理であると認めるということは誰もが疑うことのできないものである必要があります。そこでデカルトは全てのものついて疑うことにしたのです。これを「方法的懐疑」といいます。

彼はあらゆるものを疑う中ですべてのものを疑うことができてしまうということに気づくのです。ということは世の中には絶対に疑うことのできない真理などないということになってしまうのですがデカルトは「あらゆるものを疑うことができるのだが疑っている自分の存在だけは確かなものである」として「全てを疑う自分の存在だけは疑うことができない」と考えたのです。これが哲学史上最も有名な命題「我思う、故に我あり」です。この思考プロセスこそが近代哲学の第一歩でありデカルトが「近代哲学の祖」といわれる所以なのです。

その上で、確実に存在する自分が認識できるものであれば確実に存在しているとしてデカルトは神の存在証明を行いました。簡単にまとめると

①私たちはさまざまな観念をもっているがその中の1つに神という観念がある

②神は無限の存在だが有限から無限は生じない以上有限な存在である人間から無限の存在である神という観念が生まれることもないはず

③神という観念は人間以外のところから生じたはずである

④神が存在しているからこそ無限な存在という観念が生じたのである

このように神の存在を証明して神が私をつくったのだから私の認識は正しいに決まっているとしたのです。またデカルトは物体と精神はたがいに独立したものであると考えました。これを「物心二元論」といいます。デカルトは存在するためにほかのあらゆるものを必要としないものを「実体」といいました。そして実体には「精神」「物体」「神」の3つがあり「精神」と「物体」は有限実体(限りがあるもの)「神」は無限実体(限りのないもの)と区別されます。「精神」と「物体」にはそれぞれ異なる属性(性質)が備わっており「精神」の属性は「思惟」すなわち考えるはたらきのことです。「物体」の属性は「延長」すなわち空間的な広がりと「運動」すなわち位置が変化することです。そして「神」は“誠実な存在”であるとして人間の理性の背後には神が存在すると考えました。

このように分類したうえでデカルトは「精神」と「物体」はそれぞれ互いに独立して存在すると考えたのです。皆さんのほとんどが「え?」と思われたと思います。しかし当時はまだ神学の影響が強く残っている時代なので神の存在を誰も疑っていなかったので仕方のないことかもしれません。最初の一歩はとてつもなく素晴らしかったのですがそのあとは力尽きたように考えることをやめてしまったかのようなデカルトの哲学は当然のように後世の哲学者によって多くの批判をあびることになります。しかしデカルトがいたからこそその後にスピノザ、ライプニッツが合理論を進め合理論に対立する形でロックやヒュームによる経験論が発展していくのです。さらにそれらを統合して現代の哲学の基礎をつくるカントが生まれたことを考えれば「近代哲学の祖」はやはりデカルトであるといえるのです。

デカルトは晩年スウェーデンのクリスティーナ女王に招かれて軍艦で北欧へ向かいます。そこで学問を講義することになるのですが早起きが苦手なデカルトは早朝5時からの講義がつらくて風邪をひきそのままなくなってしまったのです。人間の思考方法を神から独立させた上で神の存在証明を行った偉大な哲学者も北欧の女王には弱かったのかという冗談が残されているそうですよ。

3 バールーフ・デ・スピノザ

スピノザ(1632年~1677年)はユダヤ人の商人の家に生まれたオランダの哲学者です。伝統から自由な宗教観を持ち神を自然のありかたと同一視する立場をとったことが原因でユダヤ教の共同体からヘーレム(破門)にされることになり狂信的なユダヤ人からは暗殺されそうにもなります。哲学教師とレンズ磨きの仕事をしながら生計を立てていたといわれ著書『神学・政治論』は数年後に禁書に指定されこれを書くきっかけになった友人が虐殺されるということもありました。また主著『エチカ』はデカルトと同じく演繹法による論理的な推論によって話が展開されます。そんな思想の制限とのたたかいでもあったスピノザはいつしか「最も危険な思想家」といわれるようになるのです。

スピノザの考える確実な真理は「すべてが神の意志によって神のうちに必然的におこっている」ことを認識するというものです。これを「事物を“永遠の相のもとに”観想する」といいます。永遠の相とは神の意志のもとにという意味です。まず前提として「神は無限の存在である」ということを当時はみんなが信じていました。そして無限な存在であるならば有限ではない(なぜなら有限とは限界があるということである)ことになり有限でないならばそれらをわけることはできないはずである(わけることができたら有限になってしまうため)と考えるのです。ということは「神である」ところと「神でない」ところをわけることはできないはずであるので神の外部というものは存在せず全ては神の内部にあり

神がすべてを包み込んでいるはずであるとスピノザは考えたのです。つまり人も自然もすべてのものが神のあらわれであるということです。これを「神即自然」といいスピノザの思想を「汎神論」といいます。

それまでの神のイメージは「意志をもって人間に裁きを下すような存在」でしたがスピノザは自然や宇宙そのものを神と捉えて私たちが認識している世界というのは神のその時々における「擬態」である、スピノザは神をこのようにイメージするようにしたのです。そのため無神論者としてのレッテルをはられ「危険思想家」とよばれることになるのです。ただし汎神論ではそれまでの神のイメージが強ければ強いほど説得力が増してしまいます。なぜなら神は絶対者である(と信じている)絶対であるならば無限であり外部はない(ですよね?)ということはすべてが神の内部であり神は世界そのもの(ということになりませんか?)。

またスピノザは「自由意志はない」という主張もしました。サッカーをする時のことを考えてみてください。サッカーをする時には①意志をはたらかせる(サッカーがしたい)②意志により行動する(サッカーをする)、というように「自分がサッカーをしたいと考えたからサッカーをする」とみなさんは考えていますよね。つまり「自由意志」は存在すると考えられます。しかしスピノザは「自由意志はない」と考えました。意志と行動には何の因果関係もなく両方が神を原因として並行してたまたま起こっただけであり人間が勝手に勘違いしているだけと言ったのです。これを「心身平行論」といいます。信じられないかもしれませんが最新の脳科学の研究では「自由意志はない」という説も支持されているのです。

スピノザは「自由意志はない」とした上で

①自由意志はないのだから何かあってもその行為の原因をその人に求めることはできない

②すべては神にとって必然性の一部であり全てを肯定して全てを赦すことしかできない

③すべてを肯定して全てを赦すことができたら人は神を愛することができ神からも愛される

と考えました。ここにスピノザが「歴史上もっとも過激な思想家」といわれる所以があります

4 ゴットフリート・ライプニッツ

ライプニッツ(1646年~1716年)はあらゆる学問に通じていたドイツの哲学者で時代を代表するほとんどの知識人と交流をもつほど活動的であったことから「近世のアリストテレス」「万能の学者」とよばれています。ニュートンと同じく数学の微積分法を発見した1人とされており現在も使用される微積分の記法はライプニッツによるものなのです。

ライプニッツはスピノザの「神即自然」という考え方を継承しつつも「ではどうしてこの世界は多様性にみちあふれているのか?」という問いを説明できないと考えました。そこでライプニッツはこの世は「モナド」という極小のそれ以上に分割できない物体が無数に集まることで成立していると考えたのです。モナドは極小の点のようなものであり原子のように物質的なものではなく非物質的で精神的な存在であるとされています。また「モナドには窓がない」といわれるようにお互いに影響することなくそれぞれが単独で存在しておりモナドの中にはすべての性質や可能性がそなわっていることから世界はモナドの表象であるとライプニッツは考えました。

スピノザはこの世の全てが神そのものと捉えていましたがライプニッツはこの世の全てがモナドによって構成されていてそのモナド自体が神であると捉えることにしたのです。このことからスピノザよりもさらに世界が神で満たされているという認識が深まることになりました。

例えば点描で描かれた絵画を想像してみてください。絵画は1つ1つの点の集合から構成されていますがそれぞれの点はまわりと関わることなく全体として1つ絵画としてうけとることができますよね。この1つ1つの点がモナドであり描き出された絵画がモナドを通して神が作り出した世界そのものなのです。モナドが互いに影響しないのに調和しているように見えるのは神があらかじめそのように定めたからだとライプニッツは言いました。これを「予定調和」といいます。

ライプニッツは著書『モナドロジー』において予定調和について以下のように述べています。今2つの完全に同じ時を刻むことができる時計があるとしてそのためには2つの時計は完璧に同じものとして作られている必要があります。そのような時計をつくるためには優れた製作者が必要でありもし製作者が限りなく優秀であれば関係のない両者が調和しているように見える現象をつくることもできるはずとしたのです。つまり製作者が完全な存在(すなわち神)であればすべてのものが調和している環境をつくりだせると言えるのです。ライプニッツはこのように考えることでスピノザの心身平行論や自由意志が存在しないということを説明できるとしたのです。

ライプニッツのモナド論と予定調和の考え方はそれまで信仰において課題となっていた「自然科学とスコラ哲学の関係」「自由意志」「神の恩寵」についての問題をまとめて解決することができたのです。このような功績をたたえ古代ギリシアの哲学をまとめて体系化した大哲学者アリストテレスの名をとって「近世のアリストテレス」とよばれています。

5 まとめ

宗教改革や科学革命によって信仰よりも自然科学や理性を重視する時代背景のもとデカルト、スピノザ、ライプニッツと続く大陸合理論が発展していきました。イギリス経験論では生得観念はないとして帰納法による経験を重視した潮流が生まれたのに対して大陸合理論では生得観念はあるとして理性をつかって演繹法による確かな知識を探究する全く正反対の哲学が発展してきたところにこの時代の哲学のおもしろさがあるといえます。

次回はこれら2つの潮流を統合しようとする哲学ドイツ観念論について学んでいきましょう。ぜひご期待ください。本日の旅はここまでです。ありがとうございました。

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