【名画で学ぶ旧約聖書】眠れなくなるほど面白い聖書の物語を名画で完全解説!前編「旧約聖書」編

哲学×宗教

今回は「名画で学ぶ旧約聖書」について解説したいと思います。参考文献は『一冊でわかる名画と聖書』(監修:船本弘毅さん)です。

【名画で学ぶ旧約聖書】眠れなくなるほど面白い聖書の物語を名画で完全解説!前編「旧約聖書」編

世界で一番のベストセラーになっている本を知っていますか?実はユダヤ教やキリスト教の聖典となっている「聖書」が最も売れた本なのです。なぜ、哲学のチャンネルで「宗教」なのかと疑問に思われた方もいるかもしれません今日の世界の共通ルールの多くは西洋中心に決められたものが多く、そこにはユダヤ教やキリスト教が大きな影響を及ぼしているのです。

キリスト教は西洋文化の根底にあり2000年の歴史と20億人の信徒をもっています。だからこそ、キリスト教をはじめとする宗教への理解も必須の教養となるのです。しかし、「宗教」は明治維新の後に翻訳された概念であることから、「芸術」「哲学」のように日本人にはどうにも馴染みのないものだと思ってしまうものです。

そこで、今回の動画では「聖書」について名画を通して解説したいと思います。名画で視覚的なイメージをもつことで聖書の内容もイメージがしやすくなると思います。今回の前半は「旧約聖書」、次回の後半は「新約聖書」の内容を解説します。宗教に対する正しい教養があれば世界を少し高い視座から見ることができるはずです。ぜひ、動画を最後まで見て頂き宗教に対する正しい教養を身につけてください。

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1 聖書とは何か?

日本人にとって聖書は何の関係もないものと思われる方も多いかもしれません。しかし、身近な日常生活の中にも聖書の影響はたくさんあらわれているのです。1週間のうち1日を休日とするのは創世記の記述にもとづく考え方です。また、今年は西暦2025年なのですがこれも聖書の中に登場するイエスという男が生まれた時を紀元元年としているのです。紀元前はBCと表現しますがこれはBefore Christs(キリスト以前)の意味であり、紀元後のADはラテン語であのどみn(わが主の年)という意味があるのです(実際には紀元前4~5年ころにイエスは生まれたと言われているのですが…)。西暦525年にイエスの復活した日(イースター:復活祭)を決定するために誕生日と復活した日を祝っているのです。

さて、「聖書」と聞くとキリスト教というイメージをもつ人が多いのではないでしょうか?しかし、キリスト教の聖書には『旧約聖書』と『新約聖書』の2つがあるのです。『旧約聖書』では全能の神とイスラエルの民との交流の歴史―「天地創造」から「バビロン捕囚」により離散してエルサレムに帰還するまでの物語。それが「律法」「歴史書」「諸書・文学」「預言書」という39の書物で構成されています。

『新約聖書』ではイエスの生涯と使徒たちの布教活動の歴史―それが「福音書」「使徒言行録」「手紙」「黙示録」という27の書物で構成されています。では「旧約」と「新約」のちがいは内容だけなのでしょうか?実は「約」とはどちらも神と人間が結んだ契約(神の啓示)のことなのですが、「旧約」とはキリスト教の立場から見て「旧い契約」ということを意味しています。キリストと神との間に結ばれた「新しい契約」に対してイスラエルの民と神との間に結ばれた「旧い契約」ということなのです。そのため、キリスト教ではこの2つの聖書が聖典とされているのです。

しかし、ユダヤ教ではイエスを救世主として認めているわけではありません。そのため、ユダヤ教ではキリスト教における『旧約聖書』のみが聖典とされていて、正式名称はヘブライ語聖書『タナハ』とよばれています。さらに、イスラム教では『旧約聖書』と『新約聖書』をどちらも啓典としており、最重要の聖典には『クルアーン』を位置づけて信仰しているのです。

つまり、「聖書」は3つの宗教にとって最も重要な教義が示された根本理念といえます。なぜなら、この3つの宗教はどれもノアの3人の子どもの1人セムを祖先とする一族―パレスチナなど西南アジアの歴史に登場するセム族から登場した一神教だからなのです。セム族の信じる唯一神YHWHが人類を救済するために選んだ預言者こそアブラハムです。アブラハムはユダヤ人の祖とされてキリスト教やイスラム教でも尊敬されていることから、セム的一神教のことは「アブラハムの宗教」と呼ばれていて、その中から登場した一神教こそがユダヤ教、キリスト教、イスラム教なのです。

ユダヤ教とキリスト教の聖典でもある『旧約聖書』の起源はもともと紀元前6世紀のバビロン捕囚の頃から口伝によって伝承されていたと考えられています。やがて、離散したユダヤ人の民族的なアイデンティティを確立するために、『旧約聖書』を編纂しようとする活動が本格的になっていったのです。

『新約聖書』の起源は紀元30年頃のイエスの死後から書かれたと考えられています。ユダヤ教ではYHWH(ヤハウェ)を唯一神としているのに対して、キリスト教では唯一神であり「父(神)と子キリストと精霊」の三位一体説となっています。また、キリスト教では人類の原罪を贖うためイエスが十字架で刑死したとされることから、イエスのことを救世主(メシア)と位置づけています。

しかし、ユダヤ教ではメシアは政治的な指導者という立場でダビデ王の家系から生まれるとされているのでイエスを救世主とは認めていないのです。このように、紀元前6世紀ころにユダヤ人の民族宗教としてユダヤ教が確立されていき、ユダヤ教の宗教改革のような運動のなかからキリスト教が誕生していくのです。そして、6世紀にはアラビア半島でイスラム教が誕生して、現在はキリスト教とイスラム教が世界宗教として世界中に大きな影響を与えているのです。それでは、『旧約聖書』の解説を始めたいと思います。

2 旧約聖書

『旧約聖書』はこのような39の文書から構成されています。「律法」五書は「モーセ五書」といわれて神との契約について記されていることから、この部分がユダヤ教の基本的な教義となっている最も重要な内容です。「歴史書」はイスラエルの民によるカナンへの侵攻からバビロン捕囚までの歴史―つまりイスラエル王国の建国と滅亡の様子が記されています。「諸書・文学」は人生のアドバイスや処世術、また愛や哀しみの歌などが記されています。「預言書」は歴代の預言書による神の意志と預言書の行動などが記されています。全てを紹介すると膨大な長さになってしまうので有名な場面を解説していきます。

「天地創造」ミケランジェロ(1511年/システィーナ礼拝堂)

「創世記」によると、神は6日間で無の世界から天地を創造したとされています。世界中に存在する創世神話と異なるのは無から有を生じさせたという点であり、聖書における神がすべてのものをつくりあげた唯一神であるとされる所以です。神は光と闇、天と地、大地と海、太陽と月などをつくり、6日目に陸地に棲む動物をつくり神に似せた人に管理させることにしたとされます。神は自ら創造したものを眺めて満足し、7日目に仕事を離れて安息日としたのです。(ここから1週間のうちに1日は休日があることにつながっています)

これは巨匠ミケランジェロの「天地創造」における4日目のできごとを表現したものです。神の右手からつくられたのが太陽で左手からつくられたのが月であり、前向きと後ろ向きの神が描かれているのは時間の流れを表現していると言われています。

「アダムとエバ」クリムト(1917年/オーストリア美術館)

神が天地創造においてつくった最初の人間がアダムです。アダムは土をもとに形づくられ神から命を吹きこまれて誕生したとされています。そして、エデンの園を耕して動物や植物に名前をつける仕事を与えられていたのです。アダムは動物たちが番いで生活していることから自分も話し相手を欲するようになります。神はアダムの願いを聞き入れてあばら骨からエバという女性を誕生させました。2人は助け合って生活するようになり、神は「産めよ、増えよ」といって祝福しました。ここから、「婚姻の目的は子孫を増やすこと」につながっていると考えられます。

エデンの園はメソポタミアの「肥沃な三日月地帯」がモデルといわれています。聖書にはエデンの川からチグリス川やユーフラテス川の支流になったという記述があり、古代メソポタミア文明を育んだこの土地のことではないかと考えられているのです。

「楽園追放」ミケランジェロ(1509/システィーナ礼拝堂)

アダムとエバは楽園で不自由なく生活をしていたとされていますが、神からは「善悪の知識の木の実」を食べることだけは禁止されていました。ある日エデンの園にいる生物の中で最も賢いとされる蛇がエバに対して「神が禁止するのは人間が知恵をもつことをおそれているからだ」と言ったのです。エバは蛇の言葉巧みな誘惑に抗うことができずとうとうその実を食べてしまいました。さらに、アダムもエバから渡された実を食べてしまい神の怒りをかってしまうのです。神の叱責に対してアダムはエバに、エバは蛇にその責任を押しつけ反省しませんでした。そのため、神は失望して2人を楽園から追放することにしたのです。

神の言葉に背くという原罪を背負うことになったアダムとエバは永遠の命を取りあげられて寿命をもつことになってしまいました。そして、アダムには労働の、エバには陣痛の苦しみが与えられるようになったのです(ちなみに、蛇も「全ての生き物の中で最も嫌われる」という罰を与えられました)。ほかの絵画ではよく2人が恥部を隠すような表現もされていることから、知恵をもった2人が最初に身につけたものは裸でいることへの羞恥心ともいわれています。

「ノアの方舟」ミケランジェロ(1508/システィーナ礼拝堂)

アダムとエバには兄カインと弟アベルという兄弟が生まれましたがカインはアベルへの嫉妬から野原へ呼び出して殺してしまうのでした(人類の最初の殺人)。その後に第3子セトを授かりその子孫はどんどん増えていくようになったとされています。しかし、神は欲望のまま生きるようになった人間のことを滅ぼそうと決意するのです。そして、神は正しい行いをしてきたノアに対して大きな方舟をつくることを命じました。

ノアは神の言葉を信じて方舟をつくりそれぞれの種類の動物のつがいを入れました。人々はノアのことを嘲り笑いましたが40日におよぶ大雨によって大洪水が起きたのです。ノアの方舟は長さ約135m、幅約123m、そして高さ約14mだったといわれており、トルコのアララト山の山頂に漂着したのではないかといわれています。(メソポタミア文明で実際に起こった大洪水がモデルになったともいわれています)

「バベルの塔」ブリューゲル(1563年/ウイーン美術史美術館)

ノアの子孫たちは順調にその数を増やしていくことができましたがある時「天まで届く塔のある街を建設したい」と考えるようになったのです。しかし、これは神の「地に増えろ」という命令に背くものであるので、神は人間たちの自分たちに不可能はないと思いあがる傲慢さを罰することにしました。そして、それまで人間は同じ言葉で協力しながら生活をしていたのですが、神は言葉をバラバラにしてお互いに意思疎通をすることができないようにしたのです。その結果、人々は自分の利益のみを追求するようになり争い始めたことから、塔の建設は中止されてそれぞれ別々の土地で暮らすようになったといわれているのです。

この建設中止になったバベルの塔は古代メソポタミア文明の「ジッグラト」がモデルです。ジッグラトはメソポタミア各地の遺跡にその痕跡が残っているのが見つかっています。ヘロドトスの記述には塔の高さが90mにも及び最上階には神殿もあったそうです。ユダヤの民が後に紹介するバビロン捕囚された際にこれらの塔を見たことがきっかけで、旧約聖書の内容に「バベルの塔」の物語を挿入したのかもしれません。

「アブラハムに追放されるハガル」ヴェルネ(1837年/ナント美術館)

ノアの息子セムの一族はメソポタミアで繁栄したのですがそこにいたのがアブラハムです。ある日アブラハムは一族でカナンの地(パレスチナ)へ移住することになりました。そして、神よりカナンの地を与えるという約束をされるのです。その後も放浪の旅をして死海沿岸の街ヘブロンで軍事力と財産を築きましたが、アブラハムにはただ1つ後継ぎに恵まれないという悩みがありました。そのため、妻サラはエジプト人の侍女ハガルとの間に子をもうけることを勧め、やがてアブラハムのもとにイシュマエルが生まれます。

しかし、99歳になったアブラハムのもとに神が現れサラとの間に世継ぎが生まれることを示唆するのです。そして、100歳になったアブラハムのもとにイサクが生まれましたが、アブラハムは後継問題に悩みハガルとイシュマエルを追放することにしたのです。このイシュマエルがアラブ民族の祖となったといわれていることから、イスラム教もユダヤ教やキリスト教と同じくセム的一神教の「アブラハムの宗教」とされるのです。

「天使と格闘するヤコブ」レンブラント(1659年/アムステルダム国立美術館)

イサクには2人の息子エサウとヤコブがいましたがいろいろあってヤコブが旅立ちます。そして、ヤコブは2人の妻を娶り財産を築いてカナンの地にもどることを決意するのです。帰路の途中ヤコブは見知らぬ者(神)と戦って勝利したことで神は「イスラエル(神の勝者)」と名乗るように告げて立ち去ったとされています。これがきっかけでヤコブはイスラエル部族の始祖となるのです。

同じ場面を描いたゴーギャンの作品もあります。ゴーギャンはこの絵をブルターニュ地方の古い儀式パルドン祭を見て着想をえたそうです。また、格闘の描写には日本の浮世絵の影響もあるのではないかといわれています。

「イスラエル民族のエジプト入り」コルネリウス(1860年/ベルリン絵画館)

そのヤコブには12人の息子がいましたが中でもヨセフを特別扱いしていました。そのため、ヨセフは兄たちの嫉妬の的となって奴隷として売られてしまうのです。それから、監獄に入れられ脱出できない日々が続きますが、ある時エジプトのファラオを悩ましていた悪夢が神のお告げであると説明したのです。ファラオはヨセフの賢明さに感激してエジプトの宰相に抜擢したとされています。

ヨセフはお告げの通り7年の豊作の期間で大量の穀物を備蓄して飢饉に備えました。やがて飢饉に見舞われますがヨセフは国内だけでなく国外の人々をも救おうとしました。そして、カナンから父ヤコブ(イスラエル)と一族をエジプトへ呼び寄せるのです。ここにヨセフの実子と10人の兄を含む「イスラエル十二部族」の始祖が誕生したのです。

「出エジプト」ブロンズィーノ(1540年/トレド礼拝堂)

エジプトで繁栄したイスラエル人でしたが次第にその多さを恐れられるようになりました。そして、エジプト人はヨセフの偉業に対する感謝を忘れて、イスラエル人のことを奴隷として搾取するようになりました。さらに、イスラエル人の数が増えないように男児をすべて殺せという命令まで出すのです。

この時、生後すぐにナイル川へ流されるものの災難を逃れたのが後の預言者モーセでした。モーセは偶然にもファラオの娘に助けられ養子となって成長することができたのです。その後、モーセはイスラエル人を鞭打つ役人を殺してしまいエジプトから逃亡しますが、逃亡先のシナイ半島で神からイスラエルの民を救うように命じられます。モーセはファラオにイスラエル人を解放しないと10の禍がふりかかると告げました。数々の禍が襲い掛かりファラオはとうとうイスラエル人の解放を認めるのでした。

モーセはイスラエルの民と共にエジプトを脱出する際に紅海の浜辺で杖を掲げて、海を割るという奇跡を引き起こしたといわれています。ちなみに、モーセを描いた絵画にはたびたび2つの角が描かれることがあります。ヘブライ語で「角」を意味する言葉は「輝く」という意味に解釈することができるからです。

「十戒とモーセの死」二コラ・プッサン(1660年/ナショナル・ギャラリー)

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エジプトを脱出したモーセはカナンの地を目指して放浪の旅を続けていました。そして、シナイ山の麓に到着したころに神がシナイ山に降り立ちモーセを呼ぶのです。山頂まで登るとイスラエル人が守り抜くべき10の戒律(十戒)を神に告げられるのでした。これがイスラエルの民と神との間に結ばれた契約となるのです。

しかし、人々は十戒を破って偶像崇拝をはじめちゃったのです。この絵に描かれた黄金の牛の像がそれを示しています。当然、神の怒りをかうのですがモーセが全力で謝罪をしてあらためて神に再契約してもらうことを承諾してもらうのでした。絵画の左端には民の暴挙に憤慨して石板をたたき割ろうとするモーセが描かれています。

このモーセの十戒と言われる約束が刻まれた石板を納めてあるのが「契約の箱」です。エルサレムのソロモン神殿が建設されてそこに祀られることになるのですが、新バビロニアの侵攻によってソロモン神殿が破壊された時に行方不明となるのです。

映画インディ・ジョーンズのシリーズ第1作『レイダース』では「失われたアーク(聖櫃)」として登場する伝説のアイテムなのです。それから、なんやかんやあって40年間にわたり放浪の旅をした後に、イスラエルの民はようやくカナンの地へもどることができたのです。

「サムソンとデリダ」ルーベンス(1609年/ナショナル・ギャラリー)

約束の地カナンに定住したイスラエルの民でしたがその平和は長く続きませんでした。部族間における利害の対立から争いをしたり外部からの侵攻を受けたりしたのです。これはイスラエルの民が神のことを忘れてしまい、異教の神々を信仰するようになったことへの罰だとされたのです。そのため、イスラエルの民は悔い改め神に救いを求めるようになりました。

神はイスラエルの民を救うために「士師」を遣わすようにしました。士師とは異民族と戦うイスラエルの軍事的指導者のことです。士師の活躍によってイスラエルには再び平和が訪れるのですが、その度にイスラエルの民は神のことを忘れて怒りを…これが何度も繰り返されるのでした。そのため、聖書には総勢14名の士師が登場することになるのです。

ペリシテ人と戦った怪力のサムソン、カナン人の王ヤビンを撃退した女預言者デボラ、300人で12万人のミディアン人を撃退したといわれるギデオンなどが有名です。この絵画では英雄サムソンがペリシテ人に通じる美女デリラに「髪を切ると怪力を失ってしまう」という秘密を明かしてしまったことから、デリラに眠らされてペリシテ人の男性に髪を切られようとしている場面が描かれています。

「ダビデとゴリアテ」カラヴァッジョ(1601年/プラド美術館)

部族ごとの連合統治をしていたイスラエルの民はペリシテ人の侵攻に苦しんだことから、強力な軍事的指導者としての王の誕生を求めるようになりました。最期の士師サムエルは王に権力を集中させれば民は隷属することになると忠告しますが、民の意志は変わらず神も「民の望むままに」と告げたのでベニヤミン族のサウルに油を注いで初代イスラエル王にしたのです。

油を注ぐとは古代イスラエルで王や預言者を選ぶ儀式のことであり、救世主メシアの言葉も「油を注がれた者」という意味をもつのです。サウルは十二部族を結集させて優れた指導力を発揮してペリシテ人を撃退するのですが、次第に調子にのってしまい民の心はサウルから離れていくのでした。そんな王サウルに献身的に仕えたのが少年ダビデです。ダビデは琴の名手であったことからサウルに琴をひいて慰めたといわれています。

この絵画はそのダビデが3mもあるペリシテ人の巨人ゴリアテを討ち取った場面です。鉄の武器をもち青銅の鎧兜に身をつつんだゴリアテにダビデは石ころのみで挑むのです。ダビデは石を投げてゴリアテの額に命中させて倒れたゴリアテの首をはねたのです。その後ダビデは2代目イスラエルの王となって首都をエルサレムに移しました。そして、カナンの各地へ遠征してイスラエル人のための強大な王国を築き上げたのです。

「知恵の王ソロモン」二コラ・プッサン(1649年/ルーヴル美術館)

契約の箱を信仰のあかしとして祀った偉大な英雄ダビデでしたが、水浴の目撃から不倫の末に愛人の夫を戦地に送り見殺しにする暴挙に出てしまったので預言者に長男の死を告げられ兄弟間の争いに苦しむ中で晩年を送ることになりました。その後で3代目の王となったのがダビデの次男ソロモンでした。

ソロモンは20歳で王位を継承するものの未熟であることを悟り神に祈りを捧げました。そして、ソロモンは神に「善悪を判断する力」を願うのです。神はソロモンの謙虚さに好意をもって知恵だけでなく名誉や長寿なども与えたのでした。そのため、ソロモンはイスラエル王国の中でも最高の名君として記録されるのです。

ソロモンは外交を駆使して経済の発展に尽力して王国は大きく繁栄するようになりました。そして、契約の箱を納めるエルサレム神殿(ソロモンの第一神殿)を建設したのです。この絵画では知恵の王ソロモンの裁判の様子が描かれています。ふたりの女が「この子はわたしの子どもです」と主張して譲らないでのソロモンは「子どもを半分に切って半分ずつ渡せばよい」と言ったのです。ひとりの女は即座に訴えをやめたのですがもうひとりの女は平然としていたのです。そのため、ソロモンは訴えを取り下げた女こそが本物の母親であると見抜いたのです(まさに、日本でいうところの大岡越前ですね)。

さらに、ソロモンの噂を聞きつけてシバ(現イエメン説)の女王がやってきたのです。女王はさまざまな質問をするのですがソロモンに答えられないものはなかったそうです。そして、受け取った以上の多くの贈りものを女王に渡したといわれています。しかし、王国の繁栄はイスラエルの民の重税によるものだったのです。また、ソロモンは外交戦略のために異国の女性を多く妻としたのですが、異教徒が増える原因となってしまい神のいかりをかうことになってしまうのです。

「ユダ王国の滅亡」レンブラント(1630年/アムステルダム国立美術館)

ソロモンの死後、イスラエル王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂しました。北のイスラエル王国を支持したのは十二部族のうちで十の部族、南のユダ王国を支持したのはのこりの二部族だったようです。そして、前722年に北のイスラエル王国はアッシリアの侵攻を受けて滅亡しました。この時、十の部族はアッシリアに強制連行されてそのまま消息不明となってしまうのです。「失われた十部族」といい一部は日本に到達したのではないかといわれることから、「日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人のつながり)が都市伝説として残っています。

いっぽう、南のユダ王国はダビデの家系による統治が続き平和な時を過ごしましたが、前586年に新バビロニアの王ネブカドネザル2世によってエルサレムは陥落するのです。ソロモン神殿は破壊されて住民はバビロンへ強制連行されることになりました。これが有名な「バビロン捕囚」でありここから約50年間の長い捕囚生活が始まるのです。

「エルサレムの再建」ジローラモ・ジェンガ(1535年/ナショナル・ギャラリー)

前539年アケメネス朝ペルシアの侵攻によって新バビロニアも滅亡しました。イスラエルの民はエルサレムへの帰還をゆるされることになるのですが、長い捕囚生活と離散(ディアスポラ)がユダヤ人としての誇りを芽生えさせたのです。「神に選ばれた」という選民思想やソロモン神殿の代わりにシナゴーグ―祈りを捧げたり司祭が説教をしたりする場をつくって慣習を守るようにしたのです。

やがて、約束の地へと帰ってきたユダヤ人はエルサレムに第二神殿を再建しました。そして、神は人々を再び正しく導くために預言者を遣わせる必要があると考えるのです。ここに、救世主(イエス・キリスト)の到来が預言されることになるのです。

まとめ

今回の動画は「名画で学ぶ旧約聖書」をテーマに解説してきました。動画の中では紹介することができなかったこともまだまだたくさんありますので、ぜひ本書や関連書籍を手に取ってさらに詳しく学んでみてください。

人類がほかの動物たちと比べて特に秀でた身体的特徴がないにもかかわらずこの地球の覇者となれたのは「考える力」がほかのどの生物よりも秀でていたからなのです。人間は考えることで自然を征服してさまざまな文明や文化を創造してきました。その結果として幸福や不幸という概念も生み出すことになったのです。

以前の動画でポール・ゴーギャンのこの長いタイトルの絵画―『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を紹介しました。

「世界はどうしてできたのか?」「人間はどこから来てどこへ行くのか?」この最も根源的な問いについて考えてきたのが哲学と宗教なのです。なぜエルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地とされるのか?それは、ユダヤ教徒には「嘆きの壁」(ヤハウェ神殿を囲む外壁の一部)があり、キリスト教徒には「正墳墓教会」(イエスの墓とされる場所にある教会)があり、イスラム教徒には「岩のドーム」(ムハンマド昇天伝説の地に建つモスク)があるからです。それぞれの宗教の共通点と相違点や歴史的な背景を知ることでこれまで知らなかった世界の見方が大きく変わることもあったのではないかと思います。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。

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