恋愛の悩みは哲学で!

哲学入門

今回は、哲学初心者のわたしと一緒に「恋愛の悩みを解決する哲学」を探求する旅に出かけましょう。哲学って、少し難しそうに感じるかもしれませんが、実は日常生活の中にも深く関わっているのですよ。一緒に考え、問いに答え、新しい視点を見つけることで、哲学は驚くほど身近に感じられるようになるのです。この旅が終わる頃には、現代社会にはびこる生き辛さの正体を知るためのヒントをきっと見つけることができるでしょう。

【哲学×恋愛の悩み】恋愛の悩みは哲学者がすでに答えを出していた!?

実は今から約3800年前の古バビロニア時代に書かれた石板にはこんなことが書かれていたそうなのです。「お店の人に良い銅の棒を渡すからと約束されてお金を払ったのに全然よくないものを渡されてしまったから文句を言いに行ったらほしいならあげるけどいらないなら帰ってくださいって言われた…あいつ他の客にもこんなひどいことしているのか!?」歴史的に価値のある発見があるのかと思ったらなんと詐欺にあったことに対するただの愚痴だったのです。

紀元前に生きていた人々も現代人である私たちも人間はいつの時代であっても同じような悩みをもっていたことがわかります。このような悩みに真っ向から挑み思考することによって、その解決の糸口を見出してきたのが哲学者たちなのです。だからこそ哲学者たちがその答えに至ったプロセスを知ることで

新しいものの見方や考え方をもつことができるようになるはずです。この記事を読み終わる頃には「哲学っておもしろい」「哲学で悩みが解決された」と哲学に興味をもってくれるようになることでしょう

1 モテたい

学生時代から全く異性と付き合ったことがなかったり、友人から恋人をとっかえひっかえする話を聞いたりする時「モテたい」と思うことがありませんか?そんな時はぜひ実存主義の哲学者ジャン=ポール・サルトルの哲学を学んでみてください。サルトルはフッサールやハイデガーに影響を受けたフランスの哲学者・文学者です。1964年にノーベル文学賞を受賞しますが「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って辞退して周囲を驚かせました。

サルトルは幼少期から学問は優秀でも背が低くギョロ目でおまけに強度の斜視という外見的コンプレックスを抱えながら生きてきました。にもかかわらず「モテたい」という思いだけは誰よりも強く学内で美少女に告白するも幾度となく拒絶される経験を重ねたと言われています。そんなサルトルが自らの外見的コンプレックスを克服するためにたどりついたのが実存主義の哲学なのです。

18世紀ジェームズ・ワットが蒸気機関を改良・実用化したことがきっかけで産業革命がおこり大量生産・大量消費を是とする大衆社会が到来します。そのため1人1人の人間は平均化・機械化された存在になっていきました。このような時代背景のもと個としての人間の立場を強調して孤独・不安・絶望・苦悩の中に生きる現実の存在である私にとっての真理を探究する思想、今ここにいる私が幸せに生きるための哲学こそが実存主義です。

サルトルは「神は存在しないのだからどのように生きるのかは自由であり人間は自己の主体的な選択と決断によって生きるべきである」と考えました。そしてサルトルは「実存は本質に先立つ」と言いました。たとえばナイフには切るという本質があってそのために存在しています(即自存在)。しかし人間はまず存在していてそこから何者かになっていくのであり、自分の本質(役割)は自分で自由に決めることができるのです(対自存在)。このようにサルトルは「人間は自由である」と考えたのですが人間は自由であるがゆえに孤独であり、自由であるがゆえに責任をもたなくてはいけないとも考えました。このことをサルトルは「人間は自由の刑に処されている」と言ったのです。しかし人間は自由の刑に処されているからこそ社会参加するべきだと考えたサルトルは、「これからなろうとするがまだなれていないものになりうるということだけが重要なのだ」「持って生まれたものなんてどうでもいい」と言いました。そして外見的コンプレックスを抱えるモテない少年ではなく、フランス哲学界をリードする知的エリートとして生まれ変わることができたのです。そして大学内でも美人と評判のポーヴォワールという女性と契約結婚をしたり、晩年には多くの愛人にも恵まれる生活を謳歌したりすることができたのです。

ポーヴォワールは人間の自由と女性解放フェミニズムの先駆者であり「人は女に生まれるのではない。女につくられるのだ」という言葉をのこしています。サルトルは「ぼくたちの恋は必然だけど偶然の恋も経験したいな」と言って愛人をつくるのですが浮気相手との関係について逐一手紙で報告していたとされています。「私は書くことから生まれた」「その前にあったのは鏡に映った像だけだった」サルトルの言葉と行動はきっとあなたに勇気と決断をもたらしてくれたのではないですか?人間は自由であるのだからいつでもなりたいものになりうるのです。あなたは今日ここから生まれ変わることができるのです。同じ実存主義のカミュやニーチェの哲学についてもっと詳しく知りたいと思ったらぜひこちらの記事をご覧ください。

2 不倫したい

家族をもつ異性を好きになったり、家庭があるにもかかわらず愛人をたくさんもつ友人の話を聞いたりする時「不倫したい」と思うことがありますよね?そんな時はぜひドイツ観念論の哲学者イマヌエル・カントの哲学を学んでみてください。カントはイギリス経験論と大陸合理論を統合することを試みたドイツの哲学者です。「コペルニクス的転回」と呼ばれる認識論上の革命を起こした『純粋理性批判』、普遍的な道徳の基準を理論立てた『実践理性批判』、そして現在の国連のひな型となる国際機関創設を提案した『永遠平和のために』など様々な問題を普遍的な原理から考え直すという大事業を行ったことから「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込み、カント以後の哲学はカントから流れ出る」といわれています。

カントは経験や対象を認識する時には先天的な受け取り方をするため認識するべき「もの自体」を認識することはできないと考えました。なぜなら「もの自体」を認識した時にはすでに先天的な受け取り方というフィルターを通して認識しているからです。そこでカントは「もの自体」という真理を理性によって解明することはできないので、人間が認識することのできる人間のための真理を解明するべきであると考えたのです。これまでは対象を認識する時には対象が先に存在していてそれを見ることによって認識していると考えられてきました。これを「認識は対象に従う」と表現します。しかしカントは見る(感性)ことによって理性(悟性)が受け取った結果として対象が認識されると考えたのです。これを「対象は認識に従う」と表現します。このように対象を認識する力のことを「理論理性」といいます。

理論理性に対して意思決定する力のことを「実践理性」とカントはいいました。カントは理論理性で認識できる範囲を「現象界」といい、「もの自体」が存在する範囲を「英知界」とよびました。しかし「もの自体」に到達することはできないので英知界のことを認識することができないことから私たちは人間としての行動の原則をもつことができなくなってしまいます。そこで「普遍的な道徳法則」によって実践理性が左右されると考えたのです。

カントは道徳法則について「定言命法」と「仮言命法」の2つの命令を考えました。「定言命法」とは「何々すべきである」という無条件の命令です。「仮言命法」とは「もし何々であるならば何々しなさい」という条件ありの命令のことです。たとえば困っている人がいたとして、困っている人がいるなら助けるべきだと考えることが定言命法であり、もし助けたらお礼をもらえるかもしれないから助けると考えることが仮言命法です。カントは道徳法則から出される定言命法に理性によって従うことが人間が善く生きるために必要なことであると言いました。これを「自律」とよび道徳法則にしたがおうとする意志を「善意志」とよびました。カントは欲望に任せて好き勝手に行動するのではなく理性のはたらきによって道徳法則に従って生きることこそが自由であると考えたのです。

カントは人間には傾向性(習慣的な感覚的欲望)があると考えました。不倫もわかりやすい傾向性の1つといえます。満たされないものがあるためにいけないとわかっている不倫に興味をもってしまうことは誰にでもありそれは傾向性のなせることだといえます。しかしそれがよくないことだとわかって踏みとどまることができる人がいるように、理性によって自分の行動を決定することもまた人間にはできるのです。それは人間が自分の中にある良心の声(道徳法則)を聞き取ることができる存在であり、一時の傾向性に流されたとしても理性によって行動を改めることもまたできる存在である、カントはこのように考えたのです。そして仮言命法(もしばれたら大変だからやめる)という偽りの道徳法則ではなく定言命法(全ての人がそれをしたらよくないと思うこと)に従って行動ことを求めるのです。たとえ自分だけが理性的に行動することになったとしても、そこから1人また1人と広がりをみせて幸福な世界につながっていくと思えるのであればその行動には尊さを認めることができそれを実践できた自分への尊さにもつながるのです。

たしかにカントは「英知界」(もの自体)を認識することはできないと考えました。しかし唯一その中の「善意志」だけは知覚して行動にうつすことができるとも考えました。学校の道徳の授業で教わるような仮言命法(うそつきはきらわれるからダメ)ではなく、定言命法(よくあろうとすること)に従うことにこそ人間としての尊厳が生まれるこのように普遍的な道徳法則を守ることへの動機を見出した点にこそカント哲学の偉大さがあるといえるでしょう。あなたが良心に従い道徳法則を守ることでえられる尊さは、欲望に流されてえられる一時の快楽(と後ろめたさ)をきっと上回るものであり、これこそが人間としての尊厳であるという曇りなき清々しさなのです。

カントは起床から就寝まで規則正しい日課にそって生活していたといわれています。いつも同じ時間に散歩をしていたので近所の人はカントの通りすぎる時間と自分の家の時計がずれていたら家の時計を直したと言われるほどです。カントがこのような生活を送っていたことも今なら少し理解できる気がします。「やりたいことをする」のではなく「やると決めた正しいことを徹底する」というカントの自由意志と人間としての尊厳に対する哲学は、不倫に限らずあなたを惑わせる全てのものからきっとあなた自身を守ってくれるでしょう。カントはこの尊さについて『実践理性批判』において次のように述べています。「繰り返し反省すればするほど常に新たにそして高まりくる感動と尊敬の念をもって心を満たすものが2つある我が上なる星の輝く空よ我が内なる道徳律とや」と。

ドイツ観念論の哲学についてもっと詳しく知りたいと思ったらぜひこちらの記事をご覧ください。

3 結婚する?

ずっと付き合っている恋人がなかなか結婚してくれなかったり、本当にこの人と一生を添い遂げるべきなのか迷ったりする時「結婚する?」と思うことがありますよね?そんな時はぜひ実存主義の哲学者セーレン・キルケゴールの哲学を学んでみてください。キルケゴールは実存主義の先駆者ともいえるデンマークの哲学者です。その後キルケゴールは24歳の時に14歳のレギーネに恋をして、彼女が17歳になった時に婚約をしますが翌年一方的に婚約を破棄してしまうのです。それでもキルケゴールは生涯レギーネのことを忘れることはなく遺産と遺稿をレギーネに送っていますがレギーネは遺稿だけを受け取ったとされています。

キルケゴールは著書『あれかこれか』においてヘーゲルが唱えた客観的真理(世界は絶対精神に向かって進んでいく)という考え方を否定しました。そして主体的真理すなわち私にとっての真理を発見することが大切であり、そのために生きそのために死ねると思えるような真理を発見するという実存のあり方を説きました。ヘーゲルがイエーナの街を出ていくナポレオンのことを世界精神と讃えたのに対してキルケゴールはそのナポレオンが踏みつぶしていく道端の草花こそが自分であると考えました。そしてヘーゲルのように「あれも・これも」と考える弁証法ではなく、「あれか・これか」を主体的に選択すること、つまり自分の全存在をかけた決断によって自分の人生を選択する生き方こそが大切であると考えたのです。

キルケゴールは1849年に著書『死に至る病』において実存の3つの段階について言及しています。1つ目は「美的実存」といいます。これは快楽を追求する生き方であり「あれも・これも」と考える生き方のことです。しかしいずれむなしさを感じるようになり、絶望したのちに次の段階へと進むことができるようになるのです。2つ目は「倫理的実存」といいます。倫理的義務に従う生き方であり「あれか・これか」と考える生き方のことです。しかしいずれ自分の罪深さや無力さを感じるようになり、絶望したのちに次の段階へと進むことができるようになるのです。最終段階は「宗教的実存」といいます。人間の存在を根拠づける神の前に単独者として立つことで本来の自己を見出すことができるようになるのです。キルケゴールの唱える絶望とは自己の喪失(=死に至る病)のことであり、肉体的な死よりも精神的な死の方が問題であるとしたのです。しかし絶望が絶望をよび絶望が深化していくことこそがむしろ真の自己につながる道であるとも考えられます。『死に至る病』において「絶望は長所であろうか?それとも短所であろうか?まったく弁証法的に絶望はその両方である」と皮肉にもこれまで否定してきた弁証法によって絶望を捉えているのです。

そんなキルケゴールは結婚について「結婚すればいいきっと後悔するであろう、結婚しなければいいきっと後悔するであろう」という有名な言葉を残しています。余談ですがキルケゴールとは反対に古代ギリシアのソクラテスは結婚について「ぜひ結婚しなさいよい妻を持てば幸せになれる、悪い妻を持てば私のような哲学者になれる」という言葉を残しています。ソクラテスの妻は世界三大悪妻の1人とされるクサンティッペです。まわりの人が「そこまでひどい妻なら別れたらいいじゃないか?」と言っても「クサンティッペとうまくやっていけるようなら他の誰とでもうまくやっていける」と平気な顔で答えたという逸話も残されています。

結婚をしてもしなくてもいずれにせよキルケゴールの考える「絶望」はやってきます。絶望という死に至る病を克服するためにもあなたは絶望から逃げることはできないのです。あなたの実存(自分の全存在をかけた決断によって自分の人生を選択する生き方)は絶望と向き合った先にこそ見つけることができるのですから。先に紹介したサルトルやキルケゴールそして有名なニーチェやハイデガーなどの実存主義の哲学についてもっと詳しく知りたいと思ったらぜひこちらの記事をご覧ください。

4 再婚する?

結婚で大きな失敗をしてしまったり、最愛の人を失った悲しみを埋めたくなったりする時「再婚する?」と思うことがありませんか?そんな時は三大幸福論の哲学者バートランド・ラッセルの哲学を学んでみてください。ラッセルはケンブリッジ大学の教授時代には天才ウィトゲンシュタインの才能を見出したイギリスの哲学者です。その業績は多岐にわたりますがそれでもやはりラッセルといえば三大幸福論の1つに数えられる『幸福論』です。今回は波乱万丈のラッセルの人生を紹介したいと思います。

ラッセルは22歳の時にまわりから反対されながらも5つ年上のアリスと結婚しました。しかし彼女は禁酒運動や婦人参政権運動などの社会運動に精力的であり夫婦生活にもあまり前向きではなかったといわれています。次第に2人の関係は疎遠なものとなっていったのです。それから議員である友人の夫人と思想面で意気投合したり、シカゴで出会った娘と婚約をしたりすることになるのですがアリスとの離婚に際して決死の覚悟を見せたものの夫人は離婚してまでラッセルと一緒になるつもりはなく、またシカゴの娘は心を病んで発狂する事態に陥ってしまったのです。

失意の底にいたラッセルは44歳の時に女優コレッティ・オニールと出会いますがその関係も長くは続きませんでした。そして同年ドーラという女学生と恋に落ちやがてアリスとの離婚が正式に成立して2回目の結婚に至ります。2人の間には子どもが生まれましたがその生活は平坦ではなく、ドーラは別の恋人との間にも子どもをもうけ同居するようになりました。ラッセルは嫉妬の感情を抱いてはならないとしながらもそんな生活に耐えられなくなり60歳の時に別居することになりました。

ラッセルは執筆に没頭するようになりますが、その時パトリシアという女性をアシスタントに雇いました。パトリシアは献身的にラッセルに尽くしラッセルが63歳の時にドーラとの離婚を成立させた翌年3回目の結婚をしました。しかし平凡な家庭を守ることを望んだパトリシアは「バートランド・ラッセル事件」の影響やラッセルの仕事のスケールの大きさについていけなくなりやがて別居することになります。

78歳の時ノーベル文学賞を受賞して渡米した際に48歳のエディスと再会します。ラッセルは趣味や思想が一致して思いやりのあるエディスと過ごす時間に安らぎを感じるようになったことで2人は離れがたい関係になっていくのでした。そして80歳になった時にドーラとの離婚を成立させて4回目の結婚を決断しました。エディス夫人はやさしさと微笑みたやすことなくラッセルにつきそいました。トラファルガー広場の集会や国防省でのデモそして逮捕され囚人護送車で送られる時でもエディス夫人はいつもラッセルの側を離れることはありませんでした。ラッセルはエディス夫人に捧げる言葉を自叙伝に残しています「老いて人生の終りに来てわたしはあなたを知って初めて喜びと平和を見出した。あの長い寂しい月日を経てわたしはいまようやく安らぎを得ている。いま眠りにつくとすればわたしは心満たされて眠ることであろう」こうしてラッセルは97歳の時にエディス夫人に看取られながら最期の時を迎えました。

ラッセルが恋愛に求めたものは真実に生きることであり、結婚は真実の恋愛でなければならないと考えました。ラッセルは「恋愛は歓喜の源泉であり最も良い快楽を一層大きくしてくれる。愛し合う幸福な者同志の深い親愛感と強い共同意識を味わったことのない人たちは人生にとって欠くことのできない最良のものを見失っている」と言いました。波乱万丈の人生を送ったラッセルはどんな時でも真実を求めて生きてきました。「4回も結婚するなんてどうかしている!」「80歳で結婚なんて恥ずかしくないのか?」きっとそのように感じる人もいると思います。でも世の中には辛い結婚生活に耐えるだけの無益な日々を過ごしている人やもう恋愛をする年齢じゃないと自分を納得させる理由に縛られている人であふれています。たしかにラッセルの人生の半分以上は幸福とは言い難い時間が占めていたかもしれません。しかし最期の瞬間においてラッセルは間違いなく幸福を感じていたことでしょう。

これまでいろいろな哲学者を紹介してきました。実存主義のニーチェやカミュからは無意味な人生をひたすら真っ直ぐ生き抜くことを…。ポスト構造主義のフーコーやデリダからは「当たり前」に縛られないことの大切さを…。あなたにとって恋愛とは?結婚とは?どんなものなのかをもう一度ふり返ってみて下さい。そしてあなたの人生におけるあなただけの「真実」をぜひ見つけてみてください。バートランド・ラッセルについてもっと詳しく知りたいと思ったらぜひこれらの記事をご覧ください。

5 まとめ

いつの時代でも私たちは生きていくうえで同じような悩みを抱えています。だからこそ今よりも一歩でも豊かな人生を歩んでいけるようにこれからも哲学を一緒に学んでいきましょう。

「モテたい」という悩みには実存主義のサルトルの哲学が、「不倫したい」という悩みにはドイツ観念論のカントの哲学が、「結婚する?」という悩みには実存主義のキルケゴールの哲学が、そして「再婚する?」という悩みには三大幸福論のラッセルの哲学があなたの悩みを解決してくれるヒントになるかもしれません。「哲学は何の役にも立たない」と思われがちですが、現代社会を生き抜くためのヒントが哲学の中にはたくさんあるのです。これからも哲学の実践的な活用方法について紹介していく予定ですのでぜひご期待ください。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。

Audible登録はこちらから(クリック)

コメント

タイトルとURLをコピーしました