【古代ギリシア哲学】絶対に正しいものがそこにはある!Re:ゼロから始める哲学生活

哲学入門

今回は、哲学初心者のわたしと一緒に古代ギリシアの哲学を探求する旅に出かけましょう。哲学って、少し難しそうに感じるかもしれませんが、実は日常生活の中にも深く関わっているのですよ。一緒に考え、問いに答え、新しい視点を見つけることで、哲学は驚くほど身近に感じられるようになるのです。この旅が終わる頃には、現代社会にはびこる生き辛さの正体を知るためのヒントをきっと見つけることができるでしょう。

【古代ギリシア哲学】絶対に正しいものがそこにはある[Re:ゼロから始める哲学生活]

1 時代背景

紀元前5世紀 古代ギリシアではアテネやスパルタなどの都市国家(ポリス)が栄え人々の生活様式が大きく変化しました。そして、従来の神話や宗教的信仰だけでなく自然の法則や世界の根源についての探求が行われ理性や経験に基づく実証的なアプローチが求められるようになりました。この頃、記録に残る範囲内で最初の哲学者が登場します。それが、タレス、ヘラクレイトス、そして、デモクリトスなどの自然哲学者たちです。

タレス
ヘラクレイトス
デモクリトス

2 自然哲学者

2.1タレス

タレスは、「万物の根源」(アルケー)は、「水」であるとして存在する全てのものは水から生成され水に消滅していくと考えました。私たちの体の70%が水からできていることを考えると今から2500年も前の顕微鏡もない時代にそれを言い当てたタレスの偉大さがよくわかると思います。

また、タレスは測量術や天文学にも通じていました。「半円に内接する角は直角である」という定理を証明した最初の人物こそがタレスであると言われています。ある日、哲学は何の役にも立たないと言われた時には天文学から次のオリーブが豊作になることを予測して、圧搾機を借り占めておきました。やがて、オリーブの収穫の時期になると多くの人がタレスのもとに圧搾機を借りに来て莫大な利益をえることができたとも言われています。

2.2ヘラクレイトス

ヘラクレイトスは、「万物は流転する」と唱え自然界は常に変化していると考えました。しかし、その背後には変化しないもの(ロゴス)がありそれは「火」であると考えました。彼の有名な言葉に「同じ河に二度入ることはできない」というものがあり物事が絶えず変化していることを象徴する言葉といえます。

ヘラクレイトスは、その思想の困難さと厭世観から「暗い哲学者」と言われています。

2.3デモクリトス

デモクリトスは、万物の根源は「原子」であるとして「万物は原子によって構成されている」と考えました。哲学以外にも、倫理学、数学、天文学、生物学、そして音楽など多方面での学問に通じていたと言われています。

世のわずらわしさを笑い快活を理想としたデモクリトスはヘラクレイトスとは対照的に「笑う哲学者」と言われています。

3 相対主義

紀元前5世紀のアテナイでは民主政治が行われており知識や議論が重視されていました。そこに登場したのがソフィストと呼ばれる弁論術を駆使する知識人たちです。彼らは、主観的な意見や価値観の多様性を強調し絶対的な真理や価値が存在しないとする相対主義の立場をとる哲学者でした。

その代表的な哲学者が、プロタゴラスです。プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と唱えました。ここでいう人間とは個人個人の感覚のことであり尺度とは判断基準のことです。つまり、何が善であり何が悪であるのかはすべて個人個人の感覚が判断基準であるとプロタゴラスは主張したのです。この時期、アテナイでは相対主義が全盛の時代でした。しかし、ソフィストへの批判(金銭主義や道徳の欠如)や相対主義に対する疑問(絶対的な真理があるのではないか)が強くなる中いよいよあの哲学者が登場するのです。

4 ソクラテス

ソクラテスは、紀元前470年頃~399年頃アテナイで活躍した哲学者です。彼は、釈迦、キリスト、孔子と並ぶ、四聖人に数えられる偉大な哲学者です。

ソクラテス
ソクラテスと妻クサンティッペ(悪妻?)

ソクラテスの思想には「知徳合一」というものがあります。「知」とは善悪の判断ができることであり、「徳」とは人間の魂の良さのことを示しています。そして、人間の徳(アレテー)とは「魂の配慮」であると考えました。善悪の「知」を実現することができれば魂は優れたものになり「徳」が実現されるということです。「ただ生きるのではなく、善く生きよ」というソクラテスの言葉は、知徳合一の考えを端的に表したものだと言えます。

ある日、ソクラテスはデルフォイのアポロン神殿において「ソクラテスより知恵のあるものはいない」という信託を受けます。それを確かめるため、ソフィストたちと対話を重ねていくことにしました。

ソクラテスの対話は「問答法」と呼ばれ、相手の意見を引き出してその説明をさせながら最終的に行き詰まらせ相手にその無知を告白させるという方法でした。つまり、相手が「正義が大切である」と言えば「正義ってなんですか?」と問い返し、「正しいことである」と言えば、「正しいって何ですか?」と問い返していくのです。これを続けていけば、いつか相手は答えに行き詰まるというわけです。ソクラテスは、このようなやりとりを重ねる中で「無知の知」の真理に至ったと考えられています。

無知の知とは「知らないことを知っていると思いこんでいる人々よりも知らないことを自覚している自分の方が賢い」ということです。

しかし、ソクラテスに言い負かされた人々は彼のことを疎ましく思うようになります。そして、とうとうソクラテスは「アテナイが信じる神々とは異なる神々を信じ若者を堕落させた罪」によって死刑判決を受けることになるのです。弟子たちはソクラテスに逃げるよう諭しますが「ただ生きるのではなく、善く生きよ」という彼の意思を貫いて、ソクラテスは毒をあおって刑死するのです。

余談ですが、ソクラテスにはクサンティッペという妻がいました。彼女は世界三大悪妻の1人とされています。ある日、クサンティッペはソクラテスのことを激しくまくしたてるのですが、それでも彼が動じないので頭から水をあびせました。しかし、ソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語ったと言われています。その他には「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」などの言葉も残されています。しかし、ソクラテスが刑死した日、彼の死を嘆き悲しんだり帰りを信じて食卓に好物を並べて待っていたりしたという逸話もあり実は良妻であったという見方もあります。

5 プラトン

プラトンは、紀元前427年頃~347年頃アテナイで活躍した哲学者です。ソクラテスの弟子でありソクラテスを刑死するに至ったアテナイの民主政治やペロポネソス戦争後の三十人政権に失望して対話篇の執筆と自身の哲学の探求を始めます。そして、アテナイの郊外にアカデメイアという学園を創設してそこで弟子たちと哲学の探求に没頭するのです。

プラトン(アテナイの学堂)
ディオゲネスに煽られるプラトン

プラトン哲学の中心的な概念は「イデア論」です。これは理想の世界において不変で永遠のイデアが存在するという考えのことです。そして、具体的な事物や現象はイデアの模倣にすぎないとされています。プラトンは著書『国家』の中でイデア論を理解するために。「洞窟の比喩」というたとえ話を用いています

これは、洞窟の中に壁だけを見ている囚人がいる状況を想定します。囚人たちの背後には火が灯されており囚人たちは後ろを見ることはできません。そこで、囚人たちと火の間にものが置かれると壁にはその影だけが投影されることになります。囚人にとっては、影しか見ることができないため影こそが世界の真実であると考えてしまいます。つまり、囚人たちは、影を世界の真実と思いこんで生きているのです。ある日、囚人の1人が洞窟を出るとそこには洞窟の人は比べられないほどまぶしい太陽が世界を照らしていたのです。囚人はあまりのまぶしさに目をくらませてしまいますが次第に太陽を認識することができるようになります。この時、太陽こそが世界の真実であると気づくのです。しかし、このことを洞窟の仲間に伝えようとしても誰も彼の言うことを信じる者はいません。なぜなら、洞窟の中の囚人にとっては影こそが世界の全てであると信じているからです。

プラトンは、この比喩において「火」を目に見える範囲の世界の真理に例え、自分の世界が限定的であると知ること、太陽を善のイデアとしてそこに近づくことを重視したと考えられます。

他にも、プラトンの思想には「魂の三分説」や「哲人王思想」などがあります。「魂の三分説」とは人間の魂を「理想(ロゴス)」「気概(テューモス)」「欲望(エピテューミア)」の三つの部分に分ける考え方です。そして、これら3つは肉体における「頭部」「胸部」「腹部」と対応すると考え、3つの魂を磨くことでそれぞれに対応する「徳」を持つことができるようになるとされています。その徳とは、「知恵」「勇気」「節制」であると言われています。そして、魂の3つの部分をバランス良くいい状態にすると「正義」の徳を持つことが可能になるといいます。

「哲人王思想」とは、『国家』の中で述べられている理想国家の君主のことです。プラトンは、哲学者の目標は感覚世界の背後にある実体であるイデア、そして最終的には善のイデアを見たり知ったりすることであるとしました。イデアを知るということはものの真実のあり方や性質を知るということであり善のイデアを見たり知ったりすることが「善を知ること」でありました。そして、プラトンは善のイデアを知った善なる哲学者は最も物事を知り知恵ある善き統治者たりうるとして哲学者を王とする哲人王の思想を展開したのです。しかし、理想の国家は、名誉支配制、寡頭制、民主制、僭主制(独裁制)の順に堕落していくとも述べました。

プラトンの思想は、西洋哲学のあらゆる源流となったことから20世紀イギリスの哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドによって「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と言われています。

6 アリストテレス

アリストテレス(アテナイの学堂)
アレクサンダー大王の家庭教師をするアリストテレス

アリストテレスは、紀元前384年頃~322年頃にアテナイで活躍した哲学者です。彼はあらゆる学問に精通したことから「万学の祖」と呼ばれています。16歳でアカデメイアに入学してプラトンの弟子となりました。また、マケドニア出身でありアレクサンダー大王の家庭教師を務めていたこともあります。アリストテレスアはプラトンと同じようにアテナイ郊外にリュケイオンという学園を創設しました。そして、庭園(ペリパトス)を散策しながら講義をしていたことからアリストテレスの学派はペリパトス派(逍遥学派)と呼ばれています。

アリストテレスは、師であるプラトンのイデア論を否定してものの本質はそのものの中にこそあると考えました。そして、個別のものに内在する「形相(エイドス)」と「質量(ヒュレー)」の概念を提唱しました。形相にはさらに運動と目的がふくまれておりこれらを合わせて「四原因説」といいます。

「質量」とは存在するものの物質的な原因、「形相」とはそのものが何であるかを決めるもの、「運動」とはそのものの運動変化の原因、「目的」とはそのものが存在する目的と考えられます。家を例にすると家をつくるための木材や石などがあり(資料)、家屋のデザインや構造のもとで(形相)、大工が建築することによって(運動)、住むために存在する(目的)と考えることができるのです。

アリストテレスは、倫理学も創始しました。人々が仲良く暮らすためには慣習や道徳・規範が必要となります。アリストテレスによると、人間の行為にはすべて目的(善)があり、それらの目的の最上位にはそれ自身が目的である「最高善」があるとしました。アリストテレスのいう最高善とは幸福であり幸福は美徳に基づいていると考えました。さらに、美徳は「中庸」の徳であり、極端な行動や感情を避けることの大切さを強調しました。

7 まとめ

古代ギリシア哲学は、タレスら自然哲学者に始まり、プロタゴラスらソフィストの台頭、そしてソクラテス、プラトン、アリストテレスへと続く哲学の黎明期でもありました。彼らの思想は後世の哲学に多大なる影響を及ぼしました。

次回はヘレニズム時代の哲学について学んでいきましょう。本日の旅はここまでです。ありがとうございます。

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