【構造主義】私たちは構造に縛られて生きている!Re:ゼロから始める哲学生活

哲学入門

今回は、哲学初心者のわたしと一緒に構造主義の哲学を探求する旅に出かけましょう。哲学って、少し難しそうに感じるかもしれませんが、実は日常生活の中にも深く関わっているのですよ。一緒に考え、問いに答え、新しい視点を見つけることで、哲学は驚くほど身近に感じられるようになるのです。この旅が終わる頃には、現代社会にはびこる生き辛さの正体を知るためのヒントをきっと見つけることができるでしょう。

【構造主義】私たちは構造に縛られて生きている[Re:ゼロから始める哲学生活]

1 構造主義とポスト構造主義について

構造主義とは「人間は何らかの社会構造に支配されており決して自由に物事を判断しているわけではない」という考え方のことです。つまり「人間がどう考えるかはその人が生きる社会のシステムによって

無意識に形づくられてしまっている」ということなのです。

次にポスト構造主義ですがこのポストは構造主義の「あとの」という意味であり構造主義を完全に乗り越えられていないという意味もこめられています。ということはポスト構造主義も「人間は構造に支配されている」という部分については同意しているのです。では構造主義とポスト構造主義は何がちがうのでしょうか?それは「構造主義のわずかにもっていた希望を打ち砕いた」点にあります。構造主義には「自分たちが生きている社会の構造を把握してその欠陥を見つけ出し修復して幸せな未来を作り出そう」という希望がありました。しかしポスト構造主義では「そんなことは不可能だ。人間は自分の意志で構造を作り変えることなどできない。なぜならその作り変えようとする意志自体がとらわれている構造から生み出されているから」と考えるのです。それでは構造主義がどのように発展していったのかをくわしく見ていきましょう。

2 フェルディナン・ド・ソシュール

ソシュール

ソシュール(1857年~1913年)スイスの近代言語学の父といわれる言語学者でありその哲学は構造主義にも大きな影響を与えることになるのです。著書『一般言語学講義』はソシュールの死後ジュネーブ大学で言語学の授業を受けていた学生たちがまとめたことがきっかけでその名を世にしらしめることになるのです。

言語学ではそれまで過去から現在にかけてその言語がどのような変遷をたどってきたのかについて考えられていました。しかしソシュールは「言語を理解するのに歴史は必要ない」と考えました。そして歴史を考えないその時における言語のルールのことを「共時態」といい「共時態」が次の共時態へと変化していくことを「通時態」といいました。ソシュールは「共時態」を考えることが大切であると考え

言語を2つの側面から捉えるのです。

1つは「パロール」といい個々の発話行為のことです。私たちが何か言葉を話す時のその行為をパロールというのです。もう1つは「ラング」といいある言語における文法の規則や体系のことです。私たちが会話をすることができるのはその言語に一定の規則があるためなのです。そして「パロール」と「ラング」を合わせたものが言語の全体像でありソシュールはこれを「ランガージュ」といいました。

ソシュール以前の言語学では「言語名称目録観」が支持されていました。これはあるものに対して1つ1つラベルがはられているように名前がつけられているという考え方のことです。しかしこれでは言語によってものの捉え方が異なる点を説明することができないのです。たとえば、日本語では兄と弟を区別しますが英語ではどちらもブラザーです。日本人は兄であるか弟であるかをきちんと区別しますがアメリカ人にとってはどちらも同じだと考えられているのです。ソシュールは「個々の存在に意味は存在しない。それらは隣との対立関係によってはじめて成り立つ」と考えたのです。つまり兄がいるから弟が存在するのであり逆もまた然りと言うことでありどちらかがなければどちらともブラザーになってしまうということなのです。

このことからソシュールは「言語とは差異のシステムである」といいました。ソシュールは言語の音として成り立つ側面のことを「シニフィアン」といい、言語が意味をもつ側面のことを「シニフィエ」といいました。そしてこの2つの側面が結びつくことによって「記号(シーニュ)」が生まれるとしたのです。つまり「お」「と」「う」「と」という発音のことをシニフィアン、「年下の男の兄弟」という意味のことをシニフィエとしてこの2つが結びつくことによって「弟」という言語が生まれるということです。シニフィアンとシニフィエが結びつくのはたまたま起きたものであると考えソシュールはこのことを「言語の恣意性」といいました。ソシュールはものには最初から名前がつけられていたわけではなくたまたま言語のルールの中でそれらが結びつけられてそれらは隣同士にあるものとの対立関係において存在しているだけであると考えたのです。これを「言語論的転回」とよびこのような考え方がのちの「構造主義」の哲学に大きな影響を与えることになるのです。

3 クロード・レヴィ=ストロース

レヴィ=ストロース

レヴィ=ストロース(1908年~2009年)ベルギー出身の文化人類学者であり『悲しき熱帯』『野生の思考』を著した構造主義の祖ともいえる哲学者です。南米サンパウロ大学在任中にアマゾン川流域の未開人の調査を通して構造主義の思想を体系化していくのです。

レヴィ=ストロースはサルトルの「自由の刑に処されている人間は歴史に参加することによって新たな歴史をつくっていくことができる」という考え方を否定しました。サルトルの考える歴史とは西洋文明を中心とした歴史のことであり、それは他の文明のことを無視する偏見と傲慢な価値観の押しつけであると断じたのです。さらに「本当に人間は自由なのか?人間の思考や行動は社会や文化的な構造に支配されているのではないか?」と考えました。西洋的な歴史の進展は合理的・論理的に進んでいくことを是とするものであるけれどその結果が戦争や環境破壊でもあるとしたのです。

それに対して未開人には西洋的な歴史というものがまず存在しません。その日その場にあるものによって毎日をすごしているのです。これを「プリコラージュ」といいます。西洋的な価値観では未開人のことを「おくれている」と捉えることになりますが、その民族にとって民族が生存していくうえでは合理的で論理的な選択をしているとも考えられます。事実その生活をしていく中では大きな戦争や環境破壊は存在していないのですから。このような未開人の思考を西洋的な思考(科学的思考)に対して「野生の思考」といいます。

ソシュールは「言語が集まって世界が構成されているわけではなく全体という構造がまずあってその中で対立がおこることによって言語が生まれる」と考えました。レヴィ=ストロースはここで同じようにソシュールの言語論的転回をもとに「個人があつまって社会が形成されているのではなく社会や文化という構造がまずあってその中で対立がおこることによって個人が成立する」と考えたのです。レヴィ=ストロースは社会や文化の対立を分析することによって社会の構造を把握しようとしたのです。そしてソシュールのように同じ社会の過去と現在を比較するのではなく社会ごとの文化の差異や対立を考えることが大切であると考えたうえで「人類共通の構造」があるのではないかと説きました。

たとえば西洋においては科学的思考によって近親婚の禁止が採用されています。一方未開人においては野生の思考のもと女性を交換することで結果として近親婚を回避するということが起きていたのです。もし西洋の文化しか見ていなかったとすれば近親婚を回避するという人類共通の構造を検証することはできませんでした。これがそれぞれの社会の対立や差異を考えることによってそれまで見えていなかった構造を発見することができるという「構造主義」のスタートとなるのです。

4 ミッシェル・フーコー

ミッシェル・フーコー

フーコー(1926年~1984年)は思想的には構造主義に近いのですが本人がそれを批判していたことからポスト構造主義に位置づけられるフランスの哲学者です。フランス最高の学習機関「コレージュ・ド・フランス」の教授になる一方同性愛者でもあったので最後はAIDSによってなくなってしまいます。

フーコーは「権力によってつくられた構造に人間社会は支配されている」と考えました。そしてこの構造を打ち破るためには「人間の考え方を形成したプロセス」を歴史から再発見することが必要であると考えたのです。これを「知の考古学」とよび人間を支配している権力構造が形成されたプロセスを解明することに主眼をおきました。

フーコーは「人間の思考は古代から連続して進化してきたのではなくそれぞれの時代において特有の形で存在している」と考えました。このような思考形式のことを「エピステーメー」といいます。エピステーメーは時代と共に変化していきます。中世においては「類似」が重要視され、ものごとは類似関係によってつながっていることから占いなどが行われていました。17世紀においては「表象の分析」が重要視され、ものごとを比較や分類することによって表面的に理解するようになりました。19世紀においては「生命と人間」が重要視され、ものごとの内面をも理解することができるようになったことから人間という新しい概念が誕生したと考えたのです。実存主義(私はどのように生きればいいのか?)の台頭がまさにそうだといえます。

フーコーはエピステーメーこそが人類の構造であると考えました。私たちはそれぞれの時代におけるエピステーメーによってものごとを認識しています。これは無意識に構造に支配されているということであり私たちの思考や感情がこの時代のエピステーメーによって支配されているということでもあります。もし昔の人に「その考え方はまちがっている」と言ってもそれは「狂気」であるとして受け入れられることはないでしょう。同じように未来の人が私たちに「その考え方はまちがっている」と言っても

私たちはそれを受け入れることは多分できないでしょう。私たちはすでに無意識に社会の構造に縛られているため正しいとされる枠組みからはみ出すものを「狂気」と捉えてしまうのです。

フーコーはこの構造は権力によってつくられたものだと考え近代的な権力構造のことを「生の権力」とよびました。近代以前においては「殺す権力」が利用されていました。王政によって生殺与奪が決められておりその恐怖によって民衆を支配していました。しかし民主主義の台頭によって「殺す権力」は不可能になりました。

そこで考えられたのが「生の権力」つまり「支配しやすい市民を教育する」ことによって権力を維持するようにしたのです。フーコーは身体的な教育として①閉鎖的な空間を設定してそれぞれの集団にわける②起床から就寝までの時間を細かく管理する③道具や機械と一体化した体をつくる3つがあるとしました。たとえば学校では①学年やクラスという閉鎖的な空間の中で②時間割を決められ③体を思い通りに動かすように教育されています。精神的な教育としてはパノプティコンがあります。功利主義者のベンサムによって考案されたパノプティコンは一望監視装置という特性をもった円形の監獄のことです。中央にすべての部屋を見ることのできる監視塔があり囚人から看視者を見ることはできないが看視者からは囚人を見ることができるようになっているのです。ということはもし監視塔の中に監視者がいなくても囚人は「監視されているかもしれない」と考えて規範を守ることが期待されるのです。このように抽象的な監視によって自発的に規律を守るようになることを「パノプティコン効果」といいます。たとえば「同調圧力」という抽象化された権力によって私たちは社会という構造におさまるように監視されているのです。そして無意識のうちに私たちを縛ることになるこの構造からはみ出すものを「狂気」として排除するシステムがつくられているとフーコーは言いました。このことから人間とは社会の構造に支配されており没個性化することによって存在しているのであって主体的に行動しているのではなく

社会の構造にしばられて生きているだけであると考えました。

5 ジャック・デリダ

ジャック・デリダ

デリダ(1930年~2004年)はニーチェやハイデガーを批判的に継承しつつレヴィ=ストロースを厳しく批判することになるポスト構造主義の哲学者です。

デリダの哲学のキーワードといえば「脱構築」(≒解釈しなおすこと)です。それまでの哲学は二項対立によってものごとを考えていました。しかし「善と悪」「真と偽」「男と女」「精神と身体」「正常と異常」などの二項対立には必ず優劣や勝ち負けが決められており前者が優れており後者は劣っているというように考えられた結果ものごとが階層やヒエラルキーの中に位置づけられてしまうことで権力とむすびつきやすくなるという危険性をデリダは指摘しました。たとえば第二次世界大戦下におけるドイツでユダヤ人は劣っているという考え方が絶対的なものであるとされたことであの凄惨な出来事が引き起こされてしまったように、優れているものが力をもてばもつほどそうでないものが虐げられることになってしまうということなのです。

そこでデリダは「脱構築」という考え方を提案するのです。脱構築とは二項対立の前後をいれかえるという意味ではありません。二項対立の全てを否定するのではなく白か黒かに分類されないあいまいな部分についてもっとしっかり考えなければいけないという意味なのです。このあいまいな部分を「パルマコン」といいました。「パルマコン」とは薬にも毒にもなりうる両義的な意味をもつものということです。つまり考え方次第でよいものにもわるいものにもなるというあいまいな部分に注目して価値判断を保留することを重視したのです。そのためデリダの哲学は「決定不可能性の哲学」ともいえます。時に真実が相手を傷つけてしまうこともあればやさしいウソが相手をなぐさめてくれるということがあるように、二項対立による優劣をつける(=価値判断をする)のではなく判断を保留する(価値は絶対的でもなければ永続的なものでもない)ことが大切であるとデリダは考えたのです。

その結果ポストモダン思想においてはそれまでの西洋的なみんなでゴールに向かって進んでいくぞという「大きな物語」を否定してそれぞれの多様性を認め合い共存していくことが大切であるという「小さな物語」を支持するようになるのです。

6 ジル・ドゥルーズ

ジル・ドゥルーズ
ドゥルーズ&ガタリ

ドゥルーズ(1925年~1995年)は「ノマド」という生き方を提唱したフランスの哲学者です。精神分析家フェリックス・ガタリと共に「ドゥルーズ&ガタリ」としていくつかの著作を残しています。

ドゥルーズはデリダ同様に「ものごとの関係には体系的な仕組みが存在している」という西洋的な思考を批判します。そして西洋的な思考においてはその体系から外れるものが排除される危険があると指摘したのです。

ドゥルーズはものごとには明確な秩序など存在していないと考えました。西洋的な体系化された思考方法のことを「ツリー」といいドゥルーズのような思考方法を「リゾーム」といいます。そのうえで「世界は欲望によって形成されている」と考えました。私たちも本来は欲望のままに生きていく存在であるはずなのですが構造に抑圧されることによって型におしこめられていると指摘したのです。この型のことを「アイデンティティ」とよび無意識に形作られたアイデンティティによって縛られながら生きることになってしまうのです。このような状態のことを「パラノイア(偏執症)」といいます。一方アイデンティティに縛られることなく欲望のままに生きる存在のことを「スキゾフレニア(分裂症)」といいます。スキゾフレニアはリゾーム的な思考のもとで自分の欲望のまま生きるだけではなく他者の価値観をも受け入れることができます。ドゥルーズはこのような生き方こそが大切であると考えスキゾ的な生き方の理想形を「ノマド(遊牧民)」としました。ノマドは定住地がないためあらゆる場所で偏見なく

それぞれの価値観を受け入れることができるのです。

6 まとめ

フーコーは19世紀に誕生した「人間」というエピステーメーもいずれ終わりをむかえると言いました。その時そこにあるものはもはや「人間」ではなく「人間ではない何か」でありこのことを「人間の終焉」と表現しました。フーコーがこの考えを提唱してからすでに50年が経過しましたが現代はまさに人間の終焉とも受け取ることができるような時代をむかえておりもしかしたらすでに人間は終焉しているのかもしれないとさえ思います。人間が終焉したのちにあらわれるものとは一体どんなものなのか?私たちはこれからどのように生きていけばいいのか?ポスト構造主義の次にあらわれる哲学を考えるのは今この時代を生きる私たちなのです。STEP③でそれぞれの哲学者の思想をどのように人生に活かしていけばよいのかを考えていきたいと思います。これからもご期待ください。本日の旅はここまでです、ありがとうございました。

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